2005_02_アメリカを読み解く アメリカ建国に始まる黒い影 ──銃社会と人種差別(言語)

『言語 2005/02』

【特集】

アメリカを読み解く

アメリカ建国に始まる黒い影

──銃社会と人種差別

松尾文夫

 「銃社会と人種差別」というテーマをもらって、やはり「アメリカ合衆国憲法」までさかのぼらなければならない、と思う。この現在のアメリカ社会では、いわば影の部分を代表する二つの問題も、ルーツは間違いなく建国時にある。そこまで戻るほうが理解がたやすいし、全体像、そして相互の関連性も見えてくると思う。

1 ケリー作戦の空振り

 激戦となった2004年大統領選挙戦の終結間近の10月21日早朝、民主党のケリー候補は、最重点州のオハイオで、迷彩服姿で銃を持って水鳥の猟に出掛けるパフォーマンスを演じた。マスコミは、ここぞとばかりに「銃を持つケリー」の記事や映像を流し、銃所有者の多い同州をはじめ、保守票の多い接戦州へのアッピールには成功した。同時に、ケリー陣営のホームページは、次のようなメッセージを流し続けた。「ジョン・ケリーは、銃の所有者であり、ハンターである。ケリーとジョン・エドワードは、法に従うアメリカ市民に銃を持つ権利を認めた憲法修正第2条を支持する。その他のわれわれが持つすべての権利と同じように、銃の権利も責任が伴う。ケリーとエドワードは、銃を犯罪者やテロリストの手から遠ざけるための、多くの人々が合意する措置、銃規制法の厳正な執行、現行の攻撃用銃器の販売・所持の規制法の継続……といった対策を支持する」。

 つまり、ブッシュ政権がその延長に反対し、すでに失効していた攻撃用銃器規制法の継続にあえて賛成するなど、細部ではブッシュ政権と一線を画しながらも、実際には、銃を持つ権利への支持を表明したもので、共和党の基盤である保守票への露骨なすり寄りであった。

 周知のように、このケリー作戦は空振りに終わる。イラク政策でブッシュ大統領と「同じ土俵」にのぼったうえで、イラク情勢の悪化という「敵失」を待つというケリー作戦が独自性の欠如と受けとめられ、裏目に出たのと同じ結果であった。

 しかし、ここでは、憲法の修正第2条支持が、ケリー陣営から表明された事実を注目したい。

2 修正第2条という錦の御旗

 修正第2条とはなにものか。合衆国憲法が発効した3年後の1891年に追加された、いわゆる「権利章典」部分10ヵ条の2番目に位置し、斎藤眞先生の訳によると、「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって安心であるから、人民が武器を保蔵し、また携帯する権利は、これを侵してはいけない」と規定されている。

 いまアメリカ国民の銃規制推進派と規制反対派は、この解釈で真っ向から対立する。国論を二分しているといっていい。

 前者は、建国時の民兵、すなわち現在の州兵(ナショナル・ガード)の一員となるかぎりにおいて、市民の武器保持の権利が認められる、という州としての権利を保障したものだと主張、銃規制は、憲法上の問題ではなく、公共の安全確保上の問題とする。これに対して後者は、連邦中央政府権力�フ専制化を見張り、市民の自由を守るのに不可欠な個人の権利であり、アメリカ民主主義の生命線だと主張する。

 そして、この州権説対人権説の対立は、現在のアメリカ政治、さらには社会的価値観全体にまで持ち込まれている。アメリカの高校生が学ぶアメリカ史の代表的な教科書といわれる『ジ・アメリカン・ネーション』(二〇〇三年版)は、この修正第2条について、次のように記述している。

 「アメリカの国民は、この修正第2条の本当の意味について、建国時の早い段階から論議して来た。一部の専門家は、国民一人一人が武器を保持する基本的な権利を保障していると信じている。他方、これは単に各州が民兵を維持する権利を保障したのだという意見もある。銃規制問題はいまアメリカが直面している最も複雑で論議の多い憲法上の懸案である」。

 正直な告白だと思う。つまり教科書もお手上げの対立と混乱があるということである。一番の問題は、連邦最高裁判所が、この解釈の対立に対し、明確な裁定を打ち出していないことである。

 判例自体が少なく、かつ古い。一番新しい、事実上の「公式見解」としての役割を果たしている「アメリカ合衆国対ミラー事件」の判決にしても、1939年のものである。その判決では、修正第2条は、州が民兵制度を持つ権利を侵さないことを認めたものだ、と述べるにとどまり、個々の市民の武器所有の権利を認めたものではない、と言い切ってはいないのである。

 銃規制反対派は、このミラー判決が州兵にならない市民の武装の権利には言及していない一点をとらえて踏みとどまる。つまり、全米ライフル協会(NRA)をはじめとするいわゆる「ガン・ロビー」が修正第2条を銃規制反対の「錦の御旗」としてかかげることが可能な状況が法解釈上も存在するということである。

 そして、現在、NRAが100%支持したブッシュ大統領が再選を果たした事実が物語るように、アメリカ国内ではこの人権説に基づく規制反対派が圧倒的に優勢である。ブッシュ政権が延長を拒否したA47など攻撃用銃器規制法が成立した

1994年以来、新たな銃規制の動きは、少なくとも連邦レベルでは完全にストップしている。逆に「銃が増えれば、犯罪が減る」、つまり、いたずらに規制強化でおさえ込むより、一般市民にも「正しい使用」についてきちんとした教育をしたうえで、銃を持たせる方が治安の維持に役立つといった主張が、実際に犯罪率が低下する状況下で説得力を増している(*1)。

 もう一つ、修正第2条のそもそもの出自が、保守的な共和党多数派の「小さな政府の政治」指向の時代では、人権説の規制反対派に大きな追い風になっている事実も忘れてはいけない。修正第2条は憲法原案には含まれておらず、各州での批准討議のなかから生まれた。「必要悪」として発足させる連邦中央政府に対する強い不信感を払拭することが必要だ、というのが「建国の父」たちの判断だった。つまり、連邦中央政府の専制化を防ぎ、監視するために、国民一人一人が武器を持つ

「国民皆武装」(マディソン)の権利を認めることを、追加する「権利章典」10ヵ条の一つとして折り込むことを約束、批准を確実なものにしようとの計算であった。これは、武力の行使が、アメリカ民主主義を守り、支える根源的なDNAとして、合衆国憲法という今も続く「アメリカという国」の政治インフラに埋め込まれたことを意味した。「9・11」のショックのなかで、ブッシュ政権によるイラクでの武力行使が、国民の多数によって支持され続ける現状は、こうしたアメリカ建国の原点までさかのぼると理解しやすい。

3 憲法明記の黒人差別

 アメリカ合衆国憲法は、建国期のさまざまな種類の対立を調整して誕生したことから「妥協の束」と呼ばれる。しかし、そのなかで、はっきり「差別」され「排除」されていたのが、黒人であり、原住インディアンであった。人種差別というアメリカのもう一つの暗い影も、合衆国憲法に始まる。

 まず黒人については、下院議員選出の基礎となる各州の人口算定の段階から、「自由人以外のすべての人数の5分の3」という間接的な表現で黒人人口の5分の2が切り捨てられ(第1条第2節3項)、南部奴隷州が北部自由州への逃亡奴隷を強制的に連れ帰る、いわゆる拉致の権利を認める(第4条第2節3項)など、黒人に対する差別が明確に意識された。アメリカ建国が黒人への差別で始まったことは間違いない。

 一方、インディアンは、この人口算定そのものから「納税の義務」のないことを理由にはっきり除外されている。それに合衆国憲法で、インディアンとの関係で触れられているのは、この1か所だけ。連邦議会の権限を定めた第1条の第8節3項で、諸外国との通商、各州間の通商の規制に続いて、「インディアン部族との間の通商を規制する」と一言触れられている。

 こうしたアメリカ建国の政治インフラのなかでの決定的な「差別」と「排除」のうち、黒人の「差別」の壁は、結局1861年から65年までの南北戦争という双方合計で死者約62万というアメリカ史上最高の死者を出した悲惨な内戦によって、ようやく制度的には乗り越えることが出来る。武力の介在によってしか、黒人差別というアメリカ民主主義の原罪を消す作業は始まらなかった、その武力行使というDNAが一働きしたということである。

 1863年のリンカーン大統領の奴隷解放宣言を受けて、1865年確定の修正第13条、1868年確定の修正第14条、1870年確定の修正第15条によって、黒人奴隷制と差別は憲法レベルではなくなる。以後1世紀半、黒人は実質的な差別との戦いを経て、いま「アフリカン・アメリカン」と呼ばれる。まだ差別の壁は残っているものの、アメリカが世界に誇り得るマルチ人種パワーの一翼をになうところまで地位を高める。日本をはじめ他国が真似できない、その多元的エネルギーをになう。

4 カジノに精出すインディアン

 これに対し、南北戦争後も「排除」され続けてきたインディアンは、多元的エネルギーに貢献するところまではいっていない。黒人人口全体を州人口算定の構成メンバーとして認めた修正第14条でも、インディアン除外の一節は消えなかった。

 それに1636年、ピークオット族との戦争を皮切りとするインディアン殺りくのすさまじい記録に触れておかねばならない(*2)。

ここでは大わくの数字だけあげておく。前述の高校教科書によると、1500年、つまり南部のジェームズタウン入植やメイフラワー号一行による北部プリマス植民地の誕生の約1世紀前の時点で、インディアン約250万人が生活していたといわれる。ところが、最新の2000年人口調査では、インディアン人口247万5956人と報告されている。4世紀以上の時間の経過を経ても、ほぼ同じ数字であるという事実が、インディアンに対するさまざまな形の殺りくを実証している。(この文章はずっと殺りくが続いている、誤解される)このインディアン排除の歴史に、アメリカ民主主義の武力行使というDNAがはっきり顔を出しているということである。イギリス支配時代の1763年のフォートピット(現在のピッツバーグ)砦での戦いでは、イギリス・植民地連合軍側は、現在のイラク戦争流にいえば、細菌兵器も砦を包囲したデラウェア族インディアンに対して使っている。

 こうした殺りくは、1890年のサウスダコタ州ウーンデッドニーで「ゴースト・ダンス」を踊っていたラコタ族300人が、14年前のカスター騎兵隊全滅への仕返しとして、合衆国陸軍第七騎兵隊によって虐殺されたのを最後になくなる。同年、人口調査局は「フロンティアの消滅」を宣言した。これは、「明白な天命」をスローガンに、西へ西へと領土拡大を達成した「アメリカという国」にとって、インディアン「排除」の必要性がもうなくなった、との告白でもあった。

 この、黒人と比べて一歩も二歩も後を歩いているインディアンはいまなにをしているのか。連邦や州の税金を払う義務がない保留地の「准独立国」としての地位を生かして、カジノ経営に精を出す。その全米約350のカジノで年�ヤ160億ドルを超す売り上げを出す実力を背景に、州や連邦レベルでの圧力団体としての影響力を増している。カリフォルニアでは、シュワルツェネッガー知事との間で、年間10億ドルの州政府への「上納金」で合意に達した。2004年9月には、ワシントンのスミソニアン博物館の構内に「アメリカン・インディアン国立博物館」がオープン、全米の500を超すインディアン各部族の代表2万人がそれぞれの伝統衣装で集まった。

 しかし、保留地での失業率は、50%から80%を超す現実は変わっていない(*2)。

5 米軍を支えるマイノリティー

 最後に、この人種差別問題での最大のアイロニーを報告しておく。アメリカ一人勝ちを支える世界最強のアメリカ軍が、マルチ人種パワー、具体的には黒人をはじめとするいわゆるマイノリティーによって支えられているという、事実である。2003年の国防総省統計によると、正規軍全体の61・7%が白人、21・7%が黒人、9・6%がヒスパニック系、4・0%がアジア・太平洋系、1・2%が先住インディアン、1・8%がその他、という統計が出ている。別の統計では、黒人、ヒスパニック系などマイノリティーに女性を加えると、全軍の40%を占める、という。

 マイノリティー出身将校は、まだ全体の約19%。しかし、黒人将校を例にとると、1962年にはわずか1・6%、73年には2・2%だったのが2003年には、8・8%まで上昇した(*3)。陸軍士官学校をはじめ三軍のエリート将校養成校では、マイノリティー将校の比率を10〜12%に引き上げるための「是正措置」、つまり入試採点のカサ上げが行われている。

 いま「アメリカという国」は、建国期に「差別」、「排除」したマイノリティーに依存しつつ、武力行使というその民主主義のDNAを発動している。日本にとって、この辺のアイロニーに満ちた実像をきちんととらえることが急務である。

【注】

(*1)この点については、松尾文夫『銃を持つ民主主義──「アメリカという国」のなりたち』(二〇〇四年、小学館)第2章「武力行使というDNA」で詳述している。

(*2)このインディアン殺りくの記録やカジノ経営については、上掲書第6章『「差別」と「排除」』で詳述している。

(*3)アメリカ軍におけるマルチ人種パワーの役割をめぐるアイロニーについては、上掲書第7章「常備軍とマルチ人種パワー」で詳述している。

(ジャーナリスト)

© Fumio Matsuo 2012