第24回 オバマケアに対する明快な選択の場 ―接戦のアメリカ大統領選挙戦展望―

 今年のアメリカ大統領選挙は、アメリカ国民にとって、久しぶりに明快な選択を下す場となった。上下両院の議決を経て大統領が署名し、すでに制度化が始まっているアメリカ史上初めての国民皆医療保険(通称オバマケア)に対し、ロムニー共和党候補が「政府による国民の支配であり、莫大なコストがかかる」として、即撤廃を求める路線で勝負に出たからである。

 今年で14回目となる私の大統領選挙戦ウオッチの経験でも、今度ほど際だった対決は珍しい。レーガン共和党候補が「小さな政府」の政治、歳出削減による財政赤字と債務の縮小、大幅減税、規制緩和、妊娠中絶反対―といった保守主義路線を正面から掲げ、現職カーター民主党を破った1980年以来だと思う。


●ライアン副大統領候補が「主役」に

 事実、ロムニー、ライアンの正副大統領候補を指名した共和党全国大会を覆ったのは、「政府は問題を解決しない。政府そのものが問題なのだ」とのレーガンが残した名台詞を始め、全てあのレーガン指名の80年と同じレトリックだった。外交政策でも、オバマ政権の核軍縮推進とは対極にある「強いアメリカ」の主張が復活した。これは、マサチューセッツ州知事時代から中道派の実績を持つロムニー氏が、事前の予想を覆し、レーガンの信奉者を公言し、思い切った「小さな政府」の政治による財政赤字の削減策の提唱者として知られる42歳のポール・ライアン下院予算委員長を副大統領候補に選び、その過激なまでの保守派路線にあえて乗り換えたからである。

 ライアン氏は、共和党が2010年の中間選挙で下院の多数を握る原動力となり、大きな影響力を振るう茶会グループの全面的な支持を得ている。そのウィスコンシン州選出下院議員を7期も務めた政治家としての実力と清潔な人柄に加え、政府の経済活動への干渉を峻別(しゅんべつ)するオーストリアの経済学者ハイエクらの自由主義経済理論で武装した弁舌のさえは、衆目が一致するところで、保守派からは兼ねてから将来の大統領候補との声が出ていた。その明快でわかりやすい主張は、ブッシュジュニア政権で影響力を発揮したネオコンと同根である。綱領の外交政策では、あの悪名高かった「アメリカ例外主義」が堂々と再登場した。

 いずれにせよ、ライアン氏が今年の選挙戦の陰の主役となったことは間違いない。マサチューセッツ州知事時代に、故エドワード・ケネディーの支持も得て、オバマケア同様の州医療保険制度を実現した実績を持つロムニー候補が、3回のTV討論を含めた9月からの本番選挙戦で、この「矛盾」をどうさばくかに注目が集まっている。予備選挙以来の保守派との対立を克服して、党の団結を実現するための苦肉の策でもあったこの勝負の行方は、まだ定かでない。


●守勢だったオバマ陣営には反撃のチャンス

 一方、オバマ大統領にとっては、このライアン登場はチャンス到来といった感じである。オバマ陣営は夏前の前哨戦の段階から、早々と接戦州でロムニー候補を「企業合併で職を奪う非情なファンド屋」と決めつけるネガティブなTV広告を流したように守勢に立っていた。大規模な景気刺激策に踏み切ながら一向に上向かない経済、雇用統計を引きずり続け、ひたすらブッシュ前政権が残したリーマン危機と二つの戦争という「負の遺産」の大きさを強調することに追われていたからである。「イエス、ウィキャン」、「チェンジ」と叫び続けた4年前の熱気は消えていた。

 就任以来、初の黒人大統領を意識するあまりか、共和党との超党派政治でアメリカの「第二の建国」を試みる路線にこだわり続けたのが裏目に出ていた。中間選挙での敗北後でさえ、ライアン氏らとの協調を模索した時期もあった。ようやく「金持ちへの増税を認めない」共和党との対決路線に切り替えたのは今年に入ってからである。

 従って、いまオバマ陣営は、オバマケアを「自由なアメリカ社会」にはなじまないとまで決めつけ、大胆な民営化路線への転換を訴えるロムニー・ライアン路線の「過激さ」を攻撃するとともに、女性票、老人票、ヒスパニック票、黒人票の支持を固めることに活路を見出そうとしている。

 共和党大会終了後の各種支持率調査でも、オバマ大統領のリードはわずかに0.5%。フロリダ、オハイオ、バージニアなど10州の接戦州の結果が勝負を左右する様相である。スーパーPACと呼ばれる双方の「勝手連」によるネガティブ・キャンペーンへの無制限の資金投入によって、かつてない「汚い」選挙戦の展開が予測されている。


●グルー・バンクロフト基金への寄付

 4年前の共和党綱領では「日米同盟はアジア繁栄の基礎」と明記された部分が完全に姿を消し、日本は韓国、フィリピン、オーストラリアと一緒に「経済的、軍事的、文化的関係」を持つ国の一つとして併記されるにとどまった。普天間基地移転問題の混迷、「オスプレイ」配備問題の行き詰まりなど、現在の日米同盟形骸化の危機をこれ以上物語るものはない。

 このような折、私が「青淵」五月号の時評で〝日米同盟の「劣化」をどう食い止めるか―グルー・バンクロフト基金の挑戦〟と題して、対米留学生の減少は日米関係の基礎を揺るがしかねないと訴えたことに対して、心ある「青淵」読者の方から同基金に対して、かなりの額の寄付を頂いたことを報告しておく。日本があの戦争への道を歩み始めたなかでも、最期まで日米関係はじめ世界との和解に心を砕かれた渋沢栄一氏の精神が今も「青淵」の場で引き継がれていることを肌で感じ、心からのお礼を申しあげる。

(2012年8月31日記 松尾文夫)

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