新しい年を迎えながら、日本本土のメディアできちんと取り上げられ、論じられていない沖縄との関係について報告しておきたい。
「オール沖縄で歴史を変える」をスローガンに、辺野古基地移設反対を公約とした保守系(元自民党沖縄県連幹事長)の翁長雄志前那覇市長が、昨年一一月の沖縄知事選で一〇万票に近い差を付けて、安倍政権の意を受けて移設賛成に踏み切った仲井真前知事を破って当選した。こうした沖縄の選択は知事選だけではなかった。その後任の那覇市長選挙、辺野古を抱える名護市の市会議員補欠選挙での移転反対候補の連勝、そして昨年末の総選挙での自民党候補の全敗—と続いた。しかも従来からの保守対革新という戦いの枠を完全に越えて、沖縄一区での共産党候補の初勝利に象徴されるように、まさに「オール沖縄」としての明確な意思表示であった。その意味で一九七二年の施政権返還後初めの歴史的な出来事でもあった。
●「万国津梁の精神」を出口に
この現実に本土はどう対処すれば良いのか。
総選挙で再度三分の二を越す多数を占め、長期政権の記録に挑戦する体制に入った安倍政権は、今のところ黙殺のかまえである。「辺野古建設を全て予定通り進める」として、上京した翁長新知事と安倍首相、菅官房長官ら政権首脳との会談すら実現していない。前知事に増額を約束した新年度振興予算の減額も検討中だという。こうした本土での多数支配を背景にした露骨な「圧力」に今回、辺野古移設、つまり新基地建設反対を最大公約数にまとまった「オール沖縄」を従わせることが出来るだろうか。
私にはそう思えない。そして一九五六年共同通信に入社し、大阪社会部に配属された直後、沖縄出身の市民が多く住んでいた大正区で、米軍統治下の沖縄での抗議運動支援の集会を取材して以来、一九六〇年代のアメリカ特派員時代に沖縄施政権返還交渉をワシントンで取材した経験を含め、長く沖縄問題をウオッチし続けている私には、一つの対案がある。
翁長新知事が昨年の選挙戦で打ち出した「次の世代のための沖縄ビジョン」の中で、琉球王国時代の「万国津梁の精神」に触れている事実に注目して、これを長期的には安倍政権との不幸な「睨み合い」からの「出口」として生かそうという提案である。
「万国津梁の精神」とは、一四五八年に琉球の尚泰久王が鋳造させ、首里城正殿に掲げた鐘に刻まれた銘文で、「琉球国は東アジアの真ん中にあり、朝鮮、中国、日本とも親密な関係にある蓬莱の島である。船を操って世界の架け橋となり、めずらしい宝は国内に充ち満ちている」と書かれているテーゼのことである。日中朝鮮半島のみならず、すべての国と仲良くする交易立国の宣言であった。
事実ペリー黒船艦隊の来航で日本が近代化の道を歩み出す過程で、中国との長年の朝貢関係にあった琉球王国は、明治政府の手で「琉球処分」され、日本に併合される前の段階では、米国、フランス、オランダと和親条約を締結している。特に前後四回那覇に立ち寄ったペリー提督は、事実上軍備ゼロで友好的な琉球にいたく感激した。「アメリカ人は琉球人の永遠の友人である」との提督の言葉が刻まれた碑文が今も那覇の外人墓地に残っている。すべての国と仲良くする「万国津梁の精神」は実践され、受け入れられていたのである。
●歴史和解と一石二鳥の発想を
翁長新知事が幅広い層の支持を集めた「オール沖縄」のメッセージの核心は、辺野古での新しい基地建設は認めないものの、日米同盟の価値は認め、本土がそれなりの負担をした上での一定の米軍基地の沖縄残留自体は、否定しないところにある。従来型の基地反対論者とは次元が違う現実性である。ここから「万国津梁の精神」が生むもう一つの可能性、すなわち東アジア全体の和解への貢献という大きな課題とつながってくる。
現在の東アジアは、北朝鮮の「予測不可能な」脅威の中で、日本が隣国の中国、韓国との間で、領土問題や従軍慰安婦問題、靖国参拝を始めとする歴史問題で対立する非正常な関係が続いている。二〇〇八年以来、持ち回りで続いてきた日中韓首脳会談も昨年来ストップしている。その緊迫した東アジアの真ん中に位置する沖縄に、今本土との間で亀裂が生まれつつあること自体、安倍外交が黙殺して済むものではない。今米国が日米同盟への悪影響を懸念する中国、韓国と日本との不幸な状況に風穴を空ける一石二鳥の一手としても、翁長知事がコミットした琉球王国時代の「万国津梁の精神」に歴史和解への突破口を見出すチャンスではないか、というのが私の提案である。
戦後七〇周年、今中国、韓国、そして北朝鮮にさえ、沖縄の米軍基地への反発はない。むしろ日本軍国主義復活の悪夢に対する「安定剤」としてアメリカ軍駐留を歓迎する空気さえある現実を、戦後レジームからの脱却をとく安倍政権はあらためてかみしめてみなければならないと思う。
「オール沖縄」の民意を放っておいて良いことは一つもない。安倍外交に今強く求められているのは、こうした大局観である。
(二〇一五年一月十日記)渋沢栄一記念財団機関誌「青淵」2月号掲載