●11月7日にお知らせした「銃を持つ民主主義」英訳版を抱えてのアメリカの旅を続けています。74歳の一人旅はいささか大変ですが、「大旅行」の緊張のせいか、ワシントン・ケンブリッジ(ハーバード大学)・ニューヨークと順調に日程をこなしています。
●初めての行事となった7日のワシントン日本大使館広報センター(JICC)での講演がうまくいったことがこの旅にはずみをつけてくれました。80年代からの友人であるホワイトハウス詰めの現役長老記者の1人、CBSテレビのBill Plante記者がモデレーターとして参加してくれたおかげもあって、約80人もの参加者からいろいろと質問がでて、活発に議論を展開することができました。
●一番感慨深かったのは、このワシントンの会場に「銃暴力阻止のための連合」、「銃暴力阻止のための100万人の母親達の行進」の代表らが、どこでこの講演のことを知ったのか、参加してくれていて、私が拙著「銃を持つ民主主義」の原点の一つとして細述した、アメリカ憲法修正第2条のテーマの解釈についての質問が飛び出したことでした。私の本のテーマがきちんと捉えられているのに驚くと共に、拙著英訳の意義を確認できたのは嬉しいことでした。
●ケンブリッジの4日間は、サイン会などの予定は無く、ここ数年来常宿としているB&B(Irving House)に滞在して英気を養いました。ハーバード大学のキャンパスの一部といってもいい近さにあるこのIrving Houseは私がアメリカの宿で一番気にいっている場所で、ニューイングランド伝統の民家がそのまま日本の民宿風に運営されている質素な宿です。朝食にでる地元製のジャムの味も、いかにもアメリカ建国期をしのばせるような素朴なものです。ケンブリッジでは、こうして、ゆっくりアジア研究の大家達と懇談できました。
●ボストンから汽車で紅葉末期のニューイングランド海岸線を楽しみながらニューヨークに入りました。そして12日には、ニューヨークの42番街近くのブライアントパークに面したビルに新装開店したばかりの紀伊国屋書店で、私としては初めての経験となる「サイン会」なるものも行いました。二階売り場の喫茶コーナー横のスペースで開かれた、極めてカジュアルな会合で、積み上げられた拙著の英語版と日本語版の前で、在住日本人の友人も混じった、約30人の聴衆に執筆と英訳の目的を説明、熱心に聞いてもらいました。「日本の米軍基地は必要なのか」等、鋭い質問もいくつか飛び出しました。紀伊国屋書店側は予想以上の本が売れたと喜んでくれましたが、具体的な数字はわかりません。ただ、一緒に並べてあった10冊の日本語版は全て無くなっていました。
●この日の朝刊でU.S.Aトゥデイが、アメリカ憲法修正第2条の解釈についてアメリカ最高裁が、最近のNRAら銃規制反対の主張に近い下級審の判決に対して、久しぶりに新しい解釈を下す可能性がでてきたと、報じていました。これは、私が拙著の中で1939年の「玉虫色」ミラー判決以来、最高裁が明確な態度表明を避けていると分析していた事態に、現在の保守化しつつあるアメリカ最高裁が、新しい局面を開く可能性、つまり、市民の銃を持つ権利をはっきり認めることさえも考えられることになったことを意味しています。私としては、拙著のテーマがそのままこれからのアメリカ世論での激しい賛否両論の議論の対象になるという意味で、幸運なことだと思っています。
●14日夜には、拙著第7章で細述している、1965年2月のマルコムX暗殺直後に知り合った黒人の友人、元マルコムXの部下のLez Edmond博士の招きで、ニューヨーク市郊外のSt. John大学(カトリック系で日本の上智大学の姉妹校)を訪れ、マイノリティーの学生たちを中心とする講座で学生たちとの懇談を行いました。ここでも、日本人留学生1人を含め、多くのアジア系、中南米系、そして地元アメリカの黒人学生らが約70人以上も参加してくれ、熱心に私の話しを聞いてくれました。用意していた44冊の本は全部なくなり、サインを求められる列ができました。私としては、これまた、Edmond氏との43年間の友人関係を噛み締める機会となり感慨深いことでした。
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●この会場の模様の写真と、ワシントンのJICCでの写真をブログに添付しましたので、見ていただければ幸いです。本日15日夜にはニュージャージー州側の、ニューアーク空港からアメリカ大陸を縦断して、サンフランシスコに飛びます。そして週末には16日のスタンフォード大学内ブックセンターでの最後の「サイン会」に出席し、出版元のStonebridge社の社員との懇親会等を経て、24日、いよいよ帰国することになります。
●帰国後、なるべく速やかに、お約束した最新のアメリカ分析をこのブログで発表させていただくつもりです。しかし、いまここで報告しておきたいのは、私が出発した後、日本国内で大問題となっている大連立構想をめぐるゴタゴタなど、日本についての報道がアメリカのメディアではなんと、殆ど報道されていない、という事実です。この日本関係ニュースの欠如は、何もこの旅で始まった現象ではありません。しかし、日本に関心を持つアメリカの識者が、日本の現在の姿について、かつてカーター大統領が再選を逸する直前、イラン人質問題の行き詰まり等でアメリカ国内情勢を嘆き、その一言で国民の信頼を失った言葉、「混迷‐malaise」という表現で語るのを耳にして、心が痛みました。
16日福田首相初訪米を待ち受けるアメリカと、今後の日本との関係は生易しいものではありません。
ニューアーク空港にて。2007年11月15日
松尾文夫