第23回 日米同盟の「劣化」をどう食い止めるか  -グルー・バンクロフト基金の挑戦-

 本来なら今回は、アメリカ大統領選挙戦の展望を報告する時期かとも思う。しかし、

オバマ再選阻止に挑戦する共和党側で、中道派のロムニー元マサチューセッツ州知事が指名争いで勝利を確実にしながらも、2年前の中間選挙での共和党下院制覇の原動力となった「ティーパーテー・グループ」と呼ばれる党内保守派の支持をまとめきれていない。このため経済指標の改善という追い風がこのまま続けば、オバマ再選有利との見方も出ている。しかし、中東情勢の不安定でガソリン価格が高騰すると、とたんに大統領支持率が40%台に落ち込む。従って、今年の大統領選挙戦のきちんとした分析は、9月以降の本番選挙戦の構図がはっきり見えて来る次の機会に譲りたい。

 

 ●アメリカ留学生、ピーク時から半減

 代わりに、今回は日米同盟を支える基礎的な土台の「劣化」という、重要な課題に

ついて報告しておきたい。日米同盟がその表の顔である安保問題で普天間基地移転の

立ち往生という試練に立たされている陰で、静かに進行しているアメリカの大学に留学

する日本人学生の数が減っているという現実についてである。

 一つの統計にご注目いただきたい。第一次世界大戦の反省から1919年に創立され、国務省とも連携の上で、フルブライト奨学金などの運営に当たっているワシントンの

国際教育財団(IIE)が昨年11月14日付で発表したアメリカの大学で学ぶ外国人学生の数についてである。この発表によると、海外留学生の総数723,227人のうち、

日本は、一位中国157,558人(前年比23%増)、二位インド103,895人

(前年比1%減)、三位韓国73,351人(前年比2%増)と続きやっと七位に顔を出す。その数は21,290人。前年比14%減である。

 過去のデータを見ると、日本は1999年の46,810人をピークに、2002年から漸減傾向が始まり、昨年にはとうとうその半分以下にまで落ち込んだということである。ちなみに1999年の時点では、中国からの留学生は53,221人で、ほぼ日本と拮抗していたのが、今では3倍に膨れ上がっている。広島の原爆慰霊碑にも献花し、

東日本大震災に際しても東京を離れず、「トモダチ」作戦の成功に大きく貢献したルース駐日アメリカ大使が2009年の着任以来、唯一嘆き続けるのがこの数字である。

 

 ●戦争への自己批判の落とし子

 この事態をどう考えるか。アメリカに限らず海外での留学そのものが減っていることから、その理由付けには事欠かない。「失われた20年」と呼ばれる日本経済の不振、

その結果としての企業留学の激減、人口の少子化、そして日本社会全体の内向き思考、

さらにはインターネットの普及によって、バーチャルな海外体験が可能になった状況を脱留学の背景に挙げることも出来る。

 しかし、アメリカ留学に限っていえば、日米同盟に「日本という国」の立国そのものを託す現状下で、「日米相互理解」の核となる彼らの減少自体、不幸な出来事である。

国益に反するとまでいっても良い。日本は、アメリカの黒船来航をきっかけに近代化への道を果たしながら「アメリカという国」を正確に捉えきれず、あの戦争という最大級のすれ違いを演じてしまった苦い過去を持つ。今再び「アメリカを知っているようで知らない」間違いを繰り返すことは許されない。日米同盟の足元での「劣化」を食い止めることが至上命令となっている。

 4月、この難しい使命を秘めて由緒ある一つの公益財団法人が新しいスタートを切った。その名は「グルー・バンクロフト基金」(伊藤雄二理事長)。1950年、まだ戦禍の跡が残る東京で発足した戦後初のアメリカ留学生支援組織、財団法人「グルー基金」を前身とする。

 1932年から1941年12月の日米開戦時まで駐日大使として在任、日米開戦回避に努力し、戦後は天皇制のもとでの日本再生の青写真を描いたジョセフ・グルー氏の

名前を冠したもので、グルー氏から日本滞在中の日記を中心にまとめた著書『滞在十年』

の印税、400万円の寄付を受けて、日本側も当時の吉田首相、一万田日銀総裁、石川経団連会長ら官民の指導者が先頭になり、6800万円も集めた。まさに日米双方の

戦争への「自己批判」の落とし子であった。1953年、4人の高卒者が第一回生として選ばれ、返済不要の奨学金を得て、東部や西部の名門大学での4年間の勉強に旅立っていった。

 

 ●新たな新渡戸稲造を

 その後、同じ駐日大使として1924年に赴任しながら、1年足らずで軽井沢で病死したエドガー・バンクロフト氏の遺族からの遺産の寄付で出来た基金とも2007年に合併、現在の組織となり、毎年優秀な7,8人の高卒者が選ばれている。現在は30人が留学中である。そのOB総数は120人と小粒ながら、まさに日米を結ぶ絆の「核」として、各官庁、国際機関、実業界、マスコミ、大学および研究所の中核で活躍している。

 松本健常務理事は「数よりも質で勝負したい。帰国後の就職支援を含め、4年間で身につけた語学力やリベラル・アーツを日本社会の文化的伝統や習慣にインターフェースさせる支援活動を強化したい。新渡戸稲造のような国際社会で活躍できる人物を育てたい」と抱負を語っている。頑張っていただきたい。

                          (2012年4月4日記)


© Fumio Matsuo 2012