今回は、米中関係をテーマとする次の著作のリサーチのために、10月中旬に広東省広州市にある中山大学歴史学部の先生方のお世話になり、珠(しゅ)江(こう)流域の史跡を回った旅の感想を報告しておきたい。今年7月にも同じような旅を北京、天津でも行っており、その結論は、いまや世界の政治、経済の中で圧倒的な存在感を示すようになったこの巨大な隣国に対して、どこまでも冷静な目で接しなければならないとの強い思いである。
● 日米よりも先に始まっていた米中関係
中国専門家ではなく、特派員としての駐在経験もない私が米中関係にこだわり始めたのは1969年4月、共同通信特派員として初めてのワシントン勤務を終えた頃である。当時ベトナム戦争の最盛期で、中国が仮想敵となっていたジョンソン政権内に、朝鮮戦争で戦い合うまで続いていた伝統的な中国との友好関係に「ノスタルジー」を感じる空気があることを探知したからである。66年1月からの4年間、来る日も来る日も国務省、ホワイトハウス、そして上下両院の三点セットを回り続ける中で、捕らえることが出来た水脈だった。
これを元に、帰国2年後の1971年4月10日発売の中央公論五月号誌上に「ニクソンのアメリカと中国—そのしたたかなアプローチ—」と題した論文を発表、結果として三ヵ月後のキッシンジャー秘密訪中で実現するニクソンと毛沢東との握手を予測することになる。以来、「ペリー艦隊が浦賀に現れた1853年より69年も前に貿易で始まっていた米中関係」というアングルで一冊をまとめることがライフワークとなった。中国側の取材だけでも、今年の2回を含め過去5年間で7回の旅を重ねている。
今度の旅は、こうしたアメリカと中国との接点を19世紀までさかのぼって確かめるためだった。1784年8月、アメリカからの初めての貿易船「中国皇后号」が到着した広州市から南へ高速道路を2時間ほど走り、珠江東岸にある虎門市に着く。1839年6月、清朝道光帝の全権大使、林(りん)則(そく)徐(じょ)がイギリス船から強制的に取りあげたアヘン2万箱分を真水と塩と石灰に混ぜて処理し、海に流した二つの池がアヘン戦争博物館、林則徐記念館の一部としてきちんと保存されている。その1年後のアヘン戦争の敗北でイギリスに香港の割譲をのまされ、20世紀まで続く中国の屈辱の歴史の出発点となったこの虎門でのアヘン処理の現場に、林則徐側についていた広州駐在のアメリカ人商人や宣教師も立ち会っていた事実が確認できた。
珠江西岸のデルタ地帯では。そのほぼ中央に位置する江門市で華僑華人博物館を見てきた。周辺の五つの地域からは大量の中国人が東南アジア、アメリカへと生活の糧と成功を夢見て旅立ち、その一部約12,000人は、1869年に完成し、大西洋岸と太平洋岸を結んでアメリカを「世界国家」にのし上げた歴史的インフラである大陸横断鉄道の建設に参画している。アイルランド系移民の労働者が逃げ出してしまったシエラネバダ山中の難工事を請け負ったこの珠江デルタからの中国人労働者の存在がなければ、大陸横断鉄道の開通は大幅に遅れたとみられている。
明治以後、中国に先駆けて近代化に成功した日本は、その後の中国大陸との関係の中で、こうした中国とアメリカとの「深く長い」関係を事実上無視して、あの太平洋戦争での破局を迎える。戦前の日本の大きな間違いの一つである。
● 改めて南京献花のすすめ
以下、香港にも陸路訪れ、いろいろと過去から学ぶ旅を終えた段階で、中国情勢についての分析を2点、報告しておく。
第一は、今中国が一党独裁体制のもとでの市場開放政策、つまり資本主義の最も効果的な実践を通じて成し遂げた驚異的な高度成長の果てで、直面している所得の格差拡大、水資源の不足、都市と農村の不均衡、腐敗の深刻化—といった自己矛盾の壁を肌で感じたことである。この「弱い中国」の側面は、今年3月の全人代(日本の国会に当たる)温家宝首相の政府活動報告でも14項目の「中国社会の不安定要因」としてはっきり認められている。航空母艦の登場に代表される中国軍事力の増強への警戒もさることながら、新幹線、上海地下鉄事故に端的に示されるその高度成長のゆがみという中国「大国化」の悩みに、注目しておくことが必要だと思う。
第二は、いつまでたっても、中国で見るテレビからは「抗日戦争物」が消えない。今度は南方テレビが「南京、南京」をやっていた。私は2009年以来、日本の首相の中国訪問の際、こうした中国人の心の中に沈殿しているトゲを抜くために、日本の中国侵略のシンボルとなっている南京を訪れ、虐殺慰霊碑の一つに献花すべきだと提案し続けている。ジャーナリストとしての先輩であり、恩師である故松本重治国際文化会館理事長が当時の同盟通信上海支局長として「虐殺があったことは事実です」と生前述べられていたことを私は受け入れる。
数の問題ではなく、虐殺が行われた事実だけで、首相献花の理由として十分だと改めて思う。このトゲの問題は、もし自分が中国人だったらと考えてみることが必要だと思う。今アメリカと中国の間には、こうしたトゲはない。