第1回 アメリカにあって日本にない関係(その一)

アメリカにあって日本にない関係(その一)

 —水面下での米朝の交流—

北朝鮮をめぐる東アジアの緊張はいぜんとして続いている。六ヵ国協議再開のメドはいぜん立っていない。アメリカと北朝鮮の間には、新たに「金融制裁」をめぐる対立も加わり、六ヵ国協議そのものの足を引っ張っている。

 四月上旬、東京を舞台に繰り広げられた六ヵ国首席代表の接触も、結局空振りに終わった。日本との国交正常化交渉も、拉致問題の解決という玄関口のところでストップしている。

 しかし、こうした激しい対立の状況下で、報告しておかねばならないことがある。主役のアメリカと北朝鮮との間で、きちんとした民間交流が進行しているという事実である。しかも昨日今日に始まったものではなく、私が知り始めてからでも、すでに三年間にわたって続いており、今後も継続される見通しである。

 交流の主体は、ニューヨーク州北部にある1870年にメソディスト教会によって創立された長い歴史を持つシラキュース大学と、平壌にある北朝鮮の代表的理工系大学である金策工業総合大学。テーマは、システム・アシュアランスと呼ばれるIT技術をめぐる「双務的研究協力」とされている。

 しかし、それは建前上のことで、実際はシラキュース側が金策側にIT基礎技術を教え込む研修の実施である。このプロジェクトに対して資金を提供しているのが、週刊誌「タイム」の創刊で成功した、故ヘンリー・ルースが残した七億ドルの遺産をもとに、アジア各国でさまざまな教育支援事業を展開している「ヘンリー・ルース財団」。その仲介役としては、朝鮮戦争直後に韓国とアメリカとの友好親善団体として設立された、ニューヨークに本部があるコリア・ソサエティー。連絡役には、ニューヨークの北朝鮮国連代表部も加わっている。シラキュース大学キャンパスで研修を受ける金策工業総合大学側の関係者には、米国務省からビザが出ている。

 どこから見てもアメリカ、北朝鮮、そして韓国も暗黙の支持を与えている立派な民間交流である。私は、経歴からからも明らかなように、朝鮮問題の専門家ではない。2002年5月、ジャーナリストに復帰、アメリカ取材を続けるなかで、自然に出会った動きである。その経過については、2004年3月号の中央公論にまとめた『アメリカが睨む「危機」後の統一朝鮮―水面下でつながる米朝関係―』と題する論文を、このブログの「図書館」部分に収録しあるので、ご一読いただきたい。

 —北京で六カ国協議と並行してのIT研修—

 そのごく一部を再録しておくと、2003年3月に金策工業総合大学の副学長ら二人がシラキュース大学を訪問したのを皮切りに、双方の相互訪問による打ち合わせが実って、最初の研修がシラキュース大学で開かれたのが2003年4月である。4月8日から約一ヶ月、平壌から来た金策大学側計六人がキャンパス内に滞在し、システム・アライアンスの各分野について、シラキュース側が動員した合計三十人の教授や大学院生らから研修を受けた。ナイヤガラの滝やニューヨーク証券取引所見学などの親善プログラムも組まれた。

 注目してほしいのはこの日付である。2003年4月といえば、北朝鮮をイラク、イランとともに「世界にとって最も危険な悪の枢軸」と決めつけたブッシュ大統領が、実際にイラク戦争を強行した直後である。4月9日にはバグダッドが陥落している。北朝鮮の核開発問題でも六者協議の前段の米朝中の三ヵ国協議が不調に終わり、アメリカと北朝鮮の間の緊張も高まっていた。その中で、こうしたIT技術研修が堂々と行われていたのである。

 私は、このアメリカにのみ可能で、日本には持ち得ない、アメリカと北朝鮮の関係に接して、強くショックを受けたことを昨日のように思い出す。

本日の発信では、中央公論論文発表後の動きについて、報告しておきたい。

 驚いたのは、昨年7月31日から8月20日まで、シラキュース大学と金策工業総合大学との本格的な二回目の交流、つまりIT研修が北京で行われたことであった。北京の漁陽(Yu Yang)飯店ホテルにシラキュース側から八人の教授らが出張、金策側からは二十一人(十六人が大学の研究者、三人が北朝鮮外務省の「大洪水災害」再建委員会から、北京の北朝鮮大使館アタッシェら二人)が参加して、英語の能力別に二班に分かれて、約三週間、研修が行われた。

 ここでもこの時期に注目してもらいたい。同じ頃、つまり昨年の7月26日から休会をはさんで9月19日の初の共同声明発表までの約三ヶ月間、同じ北京では、六ヵ国協議の駆け引きが続けられていた。その共同声明では、北朝鮮が「すべての核兵器と既存の核計画の放棄やNPTやIAEAへの復帰」には合意した。しかし、北朝鮮の核の平和利用の権利や軽水炉提供問題も併記していたため、その手順の解釈をめぐってその直後からアメリカと北朝鮮が真正面から対立、現在の六ヵ国協議の行き詰まり状態にいたっているのは周知の事実である。

 つまり、激しい外交的対決の陰で、それと平行して同じ北京で、アメリカと北朝鮮の間で極めて友好的な民間交流が行われていたという「関係」は、少なくとも日本にはない。

 いま日本がかみしめておかねばならないのはこの事実だと思う。この「アメリカ・ウォッチ」で取り上げた理由である。韓国の聯合通信社が北朝鮮の朝鮮中央通信社(KCNA)の報道を写真付きで伝えたところによると、金正日書記は、今年1月5日、新年初の視察先として、金策工業総合大学のE-ライブラリーを訪問したという。北朝鮮にとって、シラキュース-金策間のIT研修が持つ重要性がすけてみえる。

 次回は、昨夏の北京研修の詳細や、アメリカの中国宣教師の息子として中国で生まれ、育った故ヘンリー・ルースが、日本とアメリカとの関係を含めて東アジアの歴史で果たした、アイロニーに満ち満ちた役割などについて、次回で報告したい。

「アメリカにあって日本にない関係」(その一) 完 

 2006年4月22日

© Fumio Matsuo 2012