この三月と五月、二〇〇五年以来、私が日米のメディアを通じて提言し続けている日米首脳による真珠湾と広島での相互献花の提案が、朝日新聞と日経新聞のコラムで取り上げられた。朝日新聞は三月一五日付け朝刊の山脇岳志アメリカ総局長のコラム「風」で、「新しい戦後七〇年 広島に花を 真珠湾にも花を」という見出しがついた。日経新聞では五月一七日付けの朝刊のコラム「風見鶏」で「オバマ氏が広島に来る日」との見出しだった。筆者はワシントン支局長も務めたことがある編集委員の大石格氏。同コラムには、二〇〇九年の拙著『オバマ大統領がヒロシマに献花する日—相互献花外交が歴史和解の道をひらく—』(小学館101新書)の表紙写真までついていた。
昭和八年生まれ、墳墓の地である福井の地で、敗戦約ひと月前の一九四五年七月一九日、B29一二七機による「夜間無差別焼夷弾爆撃」を生き延びた経験から、今では数少なくなったあの戦争を知る最後の世代の一人として「日本とアメリカは、ドイツのようにまだお互いの死者を悼むというあの戦争にけじめをつける和解と鎮魂の儀式を終えていない」との提言を続けてきた私にとっては、ありがたい出来事であった。
●広島、長崎訪問に強い反対
しかし、この高揚感はあっという間に消えた。四月末の安倍訪米では、真珠湾献花の日程はなく、大石コラムの「広島で来年のサミットを」との提案も採用されなかった。それに五月一三日には、国連本部で開かれていた核拡散防止条約(NPT)再検討会議から、核兵器の悲惨な被害を知るためにと「世界の政治指導者による広島・長崎への訪問」を呼びかけた岸田外相直々の演説に対して、中国の傅聡軍縮大使が「歴史問題への日本政府の姿勢から判断すると、被爆地への招待が世界の人々の大局的で正しい戦争の認識の助けになると思わない。特定の国々による歴史の一方的な解釈とねじ曲げの道具として利用されることを望まない」と正面から異を唱え、合意文書から広島、長崎訪問の削除を求めた発言が伝わって来た。韓国の安泳集大使も「被爆地訪問は再検討会議の目的とは直接関係がないように思われる」と控え目な発言ながら、はっきり中国の側に立った。
東京から杉山外務審議官が駆けつけた日本側の努力にもかかかわらず、多数の国の支持は集まらず。最終合意文書案では広島、長崎の名前には触れず、「核兵器の被害を受けた人々や地域と交流し、その体験を共有する」との一行だけが残ることになった。しかし会議最終日になって、中東の非核地帯構想会議開催をめぐる記述に、イスラエルを刺激したくないアメリカがイギリス、カナダとともに強く反対したため、最終合意文書そのものがまとまらないまま散会。終わってみれば、「広島・長崎への訪問」という日本の核外交の切り札が二つの隣国によって国連の場で否定されたという記録だけが残る、日本にとっては後味の悪い結末となった。
●ニクソンの「毛沢東との握手」に学ぶ
実は私は、広島、長崎への献花について、アメリカ国内に西海岸の中国系、韓国系市民を中心に厳しい意見があることを二〇〇九年の拙著執筆の段階から気づいていた。
教えてくれたのは拙著でも引用している韓国系アメリカ人の学者で、「日本が始めたあの戦争では広島、長崎の犠牲者の何十倍というアジアの民が犠牲となった。アメリカ大統領が広島や長崎で花を手向けるとき、本来加害者である日本人が一瞬たりとも被害者の顔をすることが許せない。原爆の悲惨な被害とは別問題だ。もしオバマ広島献花が事前に発表されれば、西海岸では反対デモが起こりかねない」という痛烈な内容だった。事実二〇一〇年、ルース駐日大使が初めて広島で献花したとき、アメリカ国内では「原爆投下に対する謝罪だ」との批判が即座にでた。
「とうとうここまで来てしまったか」というのが、中国の傳総大使の発言を聞いての私の感慨だった。第二次安倍政権発足以来の靖国訪問、「戦後レジームからの脱却」発言などがアメリカ国内で「修正主義的」と受けとめられた状況が中国、韓国ではより先鋭化したかたちで共有されていることを肌で感じた。四月末の安倍首相訪米は、日米関係史上はじめての米議会両院合同会議での演説という「勲章」を手にしながら、演説後の韓国外交部の「謝罪がなかった」との公式コメントが物語るように、二つの隣国との「歴史認識問題」の解決は積み残してしまった。
中国、韓国内に深く沈殿する日本との歴史問題をいつ、どのように消すことが出来るのか。とりあえず八月の「安倍七〇年談話」では、「侵略」「謝罪」の言葉を自ら使わないことにこだわっているといわれる立場をがらりと変えて、中国、韓国が強く望んでいる一九九五年の村山談話の一〇〇%の継承を織り込むことだと思われる。既に「国益」を意識する段階に来ている。
今安倍首相が必要としているのは、「赤狩りニクソン」として政治家の階段を登りつめ、国内保守派の支持を固めたうえで「毛沢東との握手」に踏み切り、世界の歴史を変えたニクソンの故事に見習うことだと思う。
(2015年6月10日記)渋沢栄一記念財団機関誌「青淵」7月号掲載