第28回 アメリカ・ウォッチ  安倍首相は真珠湾のアリゾナ訪問で「和解外交」の一歩を  ー オバマ広島訪問実現に期待されるケネディ次期米大使 ー   (渋沢栄一記念財団 機関誌「青淵」10月号掲載) (pdf版はこちら) 2


 例年にない酷暑となった六八年目の八月一五日正午を、私は小さな緊張の中で迎えた。昨年末の総選挙に続き、七月の参院選でも大勝した安倍首相が、日本武道館での終戦追悼式典での式辞で例年の首相挨拶とは違った「独自色」を出すのではないか、と思われたからである。

 やはりというか、首相挨拶では一九九三年の細川首相以来続いていた太平洋戦争でのアジア諸国の犠牲者に対する遺憾の意の表明が消えていた。二〇〇七年には安部首相自ら謹んで哀悼の意を表すと述べていた。いかにも靖国参拝見送りの代償といった感じもぬぐえないこの変身に、周知のように中国、韓国の反響は厳しいものだった。少なくとも靖国参拝見送りの決断とは相殺された。依然として首脳会談さえ宙に浮く中国、韓国とのぎくしゃくした関係の打開は先送りされてしまっている。

 アベノミクスの大胆な展開の元で、長期政権の道を固め、二〇二〇年五輪の東京招致に成功という追い風まで受けた安倍政権にとって、今求められているのは、この「独自色」をもっとスケールの大きな、大胆な外交イニシアチブで発揮することだと思う。

 中国、韓国との「歴史和解」にも連動を

 安倍首相はなるべく早い時期に、アメリカ国民にとってあの戦争のシンボルとして未だに彼らの記憶から消えることのない真珠湾奇襲攻撃の現場、つまり今もアメリカ水兵一一七七人の遺骨が眠る戦艦アリゾナ残骸上の国立墓地、「アリゾナ・メモリアル」を訪問、鎮魂の花束を手向けるケジメの儀式を行うべきだというのが私の提案である。

 戦後六八年たっても日本の現職首相はもとより、前、元の首相も誰も訪問しておらず、安倍訪問は日米関係史上初めての歴史的な出来事となる。この一石は、これまたアメリカ大統領が誰一人として実行していない日本側の不幸なモニュメントである広島の原爆慰霊碑訪問、献花への道を開くことになると思われる。オバマ大統領は既に「広島訪問の希望」を表明していることでもあり、来年に予定される日本公式訪問の際にこうした安倍首相の努力に応える形で広島訪問が実現する可能性は高いと思う。

 そして日本がアメリカとの間でこうした最後の和解の儀式を相互に実現させることは、アメリカ国内での中国系、韓国系市民の政治的発言力の高まりもあって、今アメリカ世論内で広範囲に浸透している「安倍右傾化路線」への警戒心を和らげるのに役立つと見られる。同時に、ワシントンの動向をウオッチしている中国・韓国の対日政策の変化にも跳ね返り、安倍外交にとっては一石二鳥のプラスをもたらすことが期待出来る。

 もちろん安倍外交は、このアメリカとの「歴史和解」をきっかけに、中国、韓国、さらに北朝鮮までも対象とした包括的、多面的なケジメの儀式を展開しなければならない。このグランドデザインについては、私は二〇〇五年八月、米ウオールストリートジャーナル紙への寄稿で、アメリカ大統領と日本の首相による広島—アリゾナ相互献花の提案を直接米世論に訴えて以来、本誌時評欄を含めて提言を続けている。二〇〇九年には『オバマ大統領が広島に献花する日』(小学館101新書)と題して、あの戦争に対する日本のケジメの欠如を、旧連合国、欧州諸国、さらにはイスラエルとの間でさえ、この和解の儀式を二〇世紀末までにはきちんと終えているドイツとの対比で詳細に分析している。南京の虐殺記念博物館への首相献花なども提案している。あのB29の絨毯爆撃を生き延びた最後の世代の記録としてご一読いただければと思う。

 ドイツとの落差、かみしめるとき

 次期駐日米大使に故ケネディ大統領の長女キャロライン・ケネディ氏が指名され、遅くとも年末までには日本に赴任するとみられている。ケネディ氏は二〇〇八年の大統領選で、早々と対抗馬のヒラリー・クリントン前国務長官ではなく、オバマ支持を表明した実績があり、このオバマ大統領との深い絆から、オバマ広島訪問には大きな影響力を発揮するものと見られる。八月二三日、ワシントンのリンカーン記念堂で開かれた、黒人の差別撤廃に貢献した故マーチン・ルーサー・キング牧師の「私には夢がある」演説五十周年の記念式典にも招かれ、演説の機会を与えられている。ケネディ氏はその短い演説でもわざわざ『方丈記』の一節を引用して早くも日本への配慮をみせている。

 九月四日、ドイツのガウク大統領は、オランド仏大統領とともに、独仏友好条約(エリゼ条約)締結五十周年を記念し、大戦中、ナチス親衛隊が住民を教会などに閉じ込め機関銃掃射と放火で虐殺したフランス中部オラドゥール村を訪問した。廃虚となった村中心部は当時のまま保存されており、両大統領は生存者とも面会した。

 遅ればせながら日本はこのドイツとの落差を埋める努力を始めねばならない。国内外から「右傾化」を懸念されている安部長期政権にとって、「和解外交」の展開はそのマイナス面を払拭させるチャンスだと捉えるべきだと思う。私が思い出すのは、「赤狩り」支持で政界入りを果たしたニクソン大統領が一九七二年二月、北京に乗り込み、毛沢東との握手を果たし、世界の歴史を変えた故事である。

        (二〇一三年九月十日記)    

© Fumio Matsuo 2012