―米民主党の落とし穴―
首都ワシントンを振り出しに、ニューヨーク、ボストン(ハーバード大学)、再びワシントン、メリーランド州ワイリバーでの国際会議参加、そしてサンフランシスコ―とまたアメリカを約二週間旅してきた。 2002年にジャーナリストに復帰してから通算十一回目のアメリカ取材旅行。そして毎度のことながら、「アメリカという国」をきちんと捉えることの難しさを、改めてかみしめて来た。 今回は、中間選挙を五ヶ月後に控え、これからのアメリカ政治の行方を左右する野党民主党の現状について報告する。
-守勢挽回のチャンスー
いま、民主党は、2000年大統領選挙でゴア候補がブッシュ大統領に惜敗して以来の守勢を一気に克服するチャンスに恵まれている。一向に米軍撤退の「出口」が見えないイラク情勢をかかえたうえに、ガソリン高、ワシントンでの汚職続出とマイナス点も重なって、ブッシュ大統領の支持率が30%台と父ブッシュがクリントンに負けた92年大統領選挙直前の水準まで落ち込む中で、民主党が上下両院の共和党多数支配をくつがえす可能性が出て来ているからである。少なくとも下院での逆転は可能との予測がウォール・ストリート・ジャーナル紙などにも出始めた。 数字を挙げて説明すると、中間選挙で435議席全員が改選される下院は、現在、共和党232、民主党202、無所属1で、民主党が15議席増やせば、逆転する。上院は現在共和党55議席、民主党44議席、無所属1で、今回の選挙では、100議席の三分の一、33議席が改選され、その内わけは共和党17、民主党15、無所属1。従って、民主党が6議席増やせば、多数を握る。 民主党がもし、こうした数字のハードルを乗り越えることが出来たなら、クリントン民主党政権下の1994年の中間選挙で、共和党がギングリッチ議員が主導する「アメリカ国民との契約」運動の成果で、下院で52議席、上院で8議席を一気に増やして、1946年以来四十八年ぶりに多数派としての地位を民主党から奪った「歴史的事件」の再現となる。事実、いま民主党内では、「1994年の復讐」というスローガンが語られている。レーガン政権時代の内外政策の忠実な実行を唱えた「アメリカ国民との契約」路線は、いま俯瞰するとイラク戦争開始を含めた、現在の「ブッシュのアメリカ」のネオ・コン路線の下敷きとなっているだけに、もしこの復讐が成就すると、大きな出来事である。
―まとまらない党内―
しかし、果たして民主党がこの好機を生かして攻め切れるか。伝えておきたいのはその分析である。 まず、民主党側に、1994年の共和党のような、全国的な攻めの戦略が存在しないことを認めておかねばならない。あの「アメリカ国民との契約」運動のように、ブッシュ政治に対する「対案」を国民の前に提示するような動きはどこにも見当たらない。もっぱら、ブッシュ政権側の「失策」に依存するだけである。つまり党内にリーダーシップが確立していない。 民主党全国委員長のポストに、2004年の大統領選挙戦予備選挙の序盤で、イラク戦争反対の明確な主張と共に、若者を中心とするインターネットによる資金集めという新しい戦術をあみだしたことで注目を集めたディーン元バーモント州知事が座っていることが、党内に不協和音を生み出している。長期的な視点に立って、民主党の全国組織をこれまでの労組や地方ボス依存から改革することを目指すディーン委員長が、党資金を全米五十州の党組織に配布しようとすると、議会民主党再選委員会から即座に異議が出るーといった具合である。 その象徴的な状況が、ブッシュ共和党に対する最大の攻め所といってもいいイラク戦争についての立場がいま党内でまとまらないことである。主な指導者だけ挙げても、ブッシュ路線の100%支持といってもいいリーバーマン元副大統領候補。これと正反対にアメリカ軍の即時撤退開始を主張するマーサ下院議員、ほぼこれに近いディーン全国委員会委員長、ケネディ上院議員。その中間に、2006年末をメドにイラク治安部隊の整備に合わせての撤退を主張するケリー前大統領候補―とその足並みは乱れている。
-反戦運動に加わらないヒラリーー
そして最大の弱点は、中間選挙でニューヨーク州での上院議員再選が確実視され、二年後にやってくる2008年大統領選挙戦での指名争いのトップを走るヒラリー・クリントン元大統領夫人の立場が、ケリー前大統領候補より右寄り、リーバーマン元副大統領候補に近いことである。 五月三十一日、ニューヨーク州民主党大会で、21万ドルという豊富な資金を背景に、大統領選挙戦さながらのにぎにぎしさの中で、上院議員再選出馬を発表したヒラリー女史は、ブッシュ政権の内外政を厳しく批判し、民主党による新しい指導力の確立を訴えたものの、肝心のイラク戦争については言及を避けた。大会後の記者会見も、「ブッシュ大統領はイラクの指導者に対して、治安についての責任を取り、アメリカ軍が帰還できるように求めなければならない」というだけだった。テキサスのブッシュ牧場への座り込みで反戦運動のシンボルとなったイラク戦死者の母、シーハンさんが「なぜヒラリーは、私の運動に加わってくれないのか」と嘆くゆえんである。
―注目のプリンストン演説―
ヒラリー女史は、一月十九日、ブッシュ政権による三年前のイラク単独武力行使以来一貫している、こうした自らの実質的イラク戦争容認の立場について詳述した演説を行っている。アメリカでの外交問題研究で高い権威を持つプリンストン大学ウッドロー・ウィルソン大学院創立七十五周年記念講演というひのき舞台で「中東におけるアメリカ外交政策の課題」と題して行われた。いまその全文テキストに目を通すと、二年後の大統領選挙戦までも十分意識したとみられる彼女の包括的な路線がはっきり浮かび上がって来る。そのイスラエル・イラン・イラクの順で組み立てられている主張を要約すると次のようになる。
(1)われわれは、中南米、アフリカ、アジアなど多くの地域で、新しいビジョンと指導性を必要としている。そのなかで、中東地域以上にこのアメリカの指導性とビジョンが求められている地域はない。
(2)私は中東地域に対するアメリカの関わり方を決める価値観について述べたい。まずその中心にイスラエルの安全と自由の確保を据えねばならない。この五十年以上も続くコミットメントを揺るがせてはいけない。
(3)そしてより広い意味では、人間が神から与えられた一人一人の可能性を達成するために、努力する自由、つまり民主主義と人権の夢を果たす自由の確保が中東に対するアメリカのアプローチの中心に位置しなければならない。圧制の下で苦しみ、イデオロギー、または宗教的ファナティシズムによって将来が閉ざされている全ての人々、特に女性に対して、アメリカは支援を惜しんではならない。
(4)新大統領がホロコーストの存在を疑問視し、イスラエルの消滅を口にし、核兵器に使用可能な濃縮ウラン製造再開に踏み切ったイランに対し、ホワイトハウスは脅威を軽視し、交渉を他国に委ねている。私は、アメリカがイランや北朝鮮の脅威への対処を他国まかせにして傍観したことが信じられない。核を持つイランは、イスラエル、その隣国達にとって危険な存在である。新テロリスト、反米、反イスラエル主義者が政権を握っている事実は、この脅威の緊急性を物語る。アメリカの政策は明確なものでなければならない。
(5)われわれはイランの核兵器の製造と保有を許すことができないし、すべきでもない。こうした事態にいたるのを阻止するため、われわれは中国やロシアの公然たる支持を得ることにより精力的に取り組み、国連の場での政策を可能なかぎり速やかに実現させねばならない。現在のイラン指導部に対して、彼らが核兵器を取得することは許されないーという明確なメッセージを送るうえで、われわれはあらゆるオプションを残しておかねばならない。
(6)いまイランで直面している問題の一つに、イランがイラク情勢と関係を持ち、影響力を持っていることが挙げられる。私が繰り返し述べているように、イラク情勢には短時間で効果が上がる解決法はない。私は現在のままの際限のない介入継続には反対だが、同時にアメリカ軍をただちに撤退できるとも、すべきとも思わない。もし昨年末の選挙の結果、イラク政府を樹立することに成功すれば、今年中にアメリカ軍の撤退を始め、あとには、安全な地域に十分な情報能力と緊急出撃能力をもった小規模な駐留部隊を残すべきである。新イラク政府を安定化させるのに役立つだろう。
(7)こうした方策は、イランに対して、彼らがイラクで持つ大きな影響力と人間的、宗教的な関係にも関わらず、決して自由な行動を許されるものではないとのメッセージを送ることになる。そしてイスラエルや、ヨルダンのような同盟国に対しても、アメリカがテロリストが現状以上の足場を築くことを阻止するために、中東で必要な安定力を供給し続けるとのメッセージを送ることになる。
-ネオ・コンも顔負けー
要約が長くなった。しかし、きちんと記録しておくべき点だと思う。すくなくとも、次の二点でブッシュ政権と同じ、あるいはそれ以上に踏み込んだネオ・コン的主張が明らかにされているからである。 第一は、イラクでの恒久的なアメリカ軍基地の維持をはっきり提唱していることである。これは現在、ホワイトハウスでさえコミットすることをためらっている点で、ヒラリー女史の突出が目立っている。イラク国内のアメリカ軍基地のうち、十四ヶ所を恒久的なものとして残そうという計画があることは報道されている。しかし、イラク政府との合意、イラク国内外からの実質的な「占領継続」との非難を恐れて、ブッシュ政権はこの問題にきわめて慎重な態度を取り続けている。ヒラリー女史は、その「本音」を先取りし、しかも中東での「必要な安定力の供給」とまで言い切っているわけである。
-説得力もつイランーイラク連係説―
第二は、イランの核開発の脅威をイラク情勢とはっきり結びつけてとらえ、そのイラクへの影響力ゆえにも、核兵器開発の阻止には「あらゆるオプションを残しておく」との強硬姿勢を示していることである。注目しなければならないのは、ブッシュ政権が五月末になって、このヒラリー演説に従うかたちで「イランとは交渉せず」とのそれまでの方針を変え、「交渉を他国に委ねている」と彼女から批判されていたイギリス、フランス、ロシア、ドイツとイランとの交渉に参加したことである。国連安保理常任理事国プラスドイツによるイランのウラン濃縮活動停止に対する「包括的見送り案」がそれで、六月中旬現在でイラン側も「一歩前進」と評価し、中国、ロシアも巻き込んだ。その展望はまだ定かでない。しかし、ヒラリー女史の主張通りの展開となっていることは間違いない。 もし、イランでこの方式が成功すると、北朝鮮の核問題への波及も考えられる。六月十三日、ブッシュ大統領の電撃訪問にタイミングを合わせるように、ようやく国防、内務相も決まって勢ぞろいした新イラク政府は、アメリカの強い要求で一部スンニ派を取り込んだものの、基本的にはフセイン時代にテヘランに亡命していた人脈を中心とするシーア派の天下である。それにアメリカ占領下、イランから国境を越えてバグダッドからバスラまでのシーア派地域に入った多くの医療グループ、チャリティー関係者は三百を越す医療、建設、文化、宗教施設を完成させたと報告されている。イランーイラクの情勢を連係させて捉えるヒラリー・テーゼはいま説得力を持っている。
-「好戦的対外介入主義者」かー
ヒラリー女史のタカ派色は、上院議員当選後、あえて軍事委員会のメンバーになることを希望したこと。イラク開戦直後、砂あらしの影響もあってラムズフェルド国防長官の小規模兵力による作戦が難航、アメリカ世論から批判が噴出したとき、ラムズフェルド支持を表明したこと。アフガニスタン、イラクのアメリカ軍基地への慰問旅行―と、これまでにも定評がある。こうした態度は、2008年大統領選挙での保守派層の支持獲得のための政治戦略の一部とみられてきた。 しかし、ここに来て、民主党内外からは、1999年、クリントン政権下でのユーゴ空爆の時などには、躊躇するクリントン大統領に強く武力行使を迫ったことなど、ファースト・レディー時代のヒラリー女史の言動までさかのぼって「好戦的な対外介入主義者」が彼女の素顔だと説く解説も(ゲール・シーヒー著『ヒラリーの選択』など)登場するようになった。 ザルカウイ容疑者の殺害、イラク新政府発足とブッシュ大統領のバグダット訪問、ローブ補佐官の不起訴、六月八日のカリフォルニア州での下院補欠選挙での共和党の勝利、対テロ調査のための電話盗聴に対する63%の支持率(ワシントン・ポスト紙による五月十二日世論調査)などー共和党側も巻き返しの努力を続けるなか、「タカ派ヒラリー」の存在自体が民主党にとって「獅子身中の虫」ともなりかねない状況である。ブッシュ政権との「距離の近さ」がそのイラク政策を混迷させる可能性が出て来ているからである。
(2006年6月18日記)