第3回 ワールドサッカーの熱狂も去り、猛烈な熱波におおわれる欧州でひそかに進行する不気味な緊張、「移民」問題 ーロンドンの生活で感じる欧州のアキレス腱ー ロンドン発  守屋光嗣ストリンガー 2

 1999年以来、ロンドンに住み、2005年からカウンセラーとして活動している私が日々の生活で肌で感じている「移民」経験を紹介しておきます。 今欧州では、労働党から保守党へのっ政権をもたらした先の英国の総選挙のみならず、オランダ、ベルギーーと「移民」、「人種」問題が政治の場での争点となってきています。その顕在化のかたちは、国により様々です。しかし、「ギリシャ危機」以後、欧州全体をいまだに覆い続ける金融不安の裏側で、静かに進行している重い状況です。欧州勢の活躍で、各国内で盛り上がったワ―ルド・サッカーの興奮が覚めた後、その「出口」のない深刻さが余計に身にしみます。

● 「英国人」でないとダメ

 現在, 私が暮らしているところは、ロンドン中心部の西側の端の辺り。パディントン駅からそれほど遠くない地域です。その中心を貫く表通り一帯は、アラブ系の人口が爆発的に増えています。最近では、バスの中で英語が聞こえてこない日のほうが多いかもしれません。

 二ヶ月ほど前、表通りで隣り合って営業している「イラニアン・クルディッシュ・キュイジーヌ」の2軒のレストランの間で諍いが起こました。どちらかの店の従業員がナイフでさされ、病院に運ばれる騒ぎになりました。当然、警察が出動。しかし、翌日には、両レストランとも、何事もなかったかのように営業していました。つまり、日常茶判事の出来事だというわけです。

 多種多様な民族で構成されているロンドンで、カウンセラーの仕事をする以上、日本人だけを相手にというわけには行きません。あるとき、研修先のクリニックで、「英国人」を担当することになりました。そのクライアントの両親は中部アフリカ諸国圏からの移民でしたが、クライアント本人は英国で生まれ育った「英国人」です。

 初回のセッションを前に、クリニックは、本人にカウンセラーが「英国人」でないことを伝えています。 しかし、初回のカウンセリングの数日後、クライアントからクリニックに手紙が届き、そこには「自分のカウンセラーが外国人なのはおかしいのでは」と書かれていました。続けたくなかっただけなのかもしれません。私の力が及ばなかっただけなのかもしれません。ただ、私にとっては「外国人」である自分の立場を改めて実感させられた出来事でした。

 13年間続いた労働政権の終焉と連立政権の誕生という結果に終わった5月の英国総選挙。日本をはじめ海外からは、政権の交代に大きな注目が集まりました。しかし、少なくとも日本のマスコミに限っても、報道の中で欠けていたのは、労働党、保守党、自由民主党といった既成政党が、移民排斥を掲げる極右政党、BNPの党勢拡大を阻止するとの一点では団結していたのだ、という事実です。

● BNPの台頭

 結果として、BNPは完膚なきまでの敗北に追い込まれました。私には、英国民が今のところまだ理性を失っていないことが証明されたように思えて、嬉しかったです。しかしながら、このBNPの敗北直後から移民排除を掲げる新たな極右団体の存在が顕著になってきているのです。

 ガーディアン紙の報道によると、その一つである「The English Defense League (EDL)」の標的は、ムスリム。大きなムスリムコミュニティがあるイングランド北部やロンドン東部で、暴力的な活動を拡大しているそうです。2005年7月7日のロンドンでの同時多発テロ以降、皮肉屋の英国人がよく使うジョークがあります。  It does not mean all Muslims are terrorists. However, all terrorists are Muslims.

 EDLの急速な拡大は、こうしたジョークの段階を越えた支持が英国民の間で増えていることの表れではないか、と思われます。さらに、EDLの活動に自発的に参加する「中流階級」出身者が徐々に、だが確実に増えているという報道が流れています。空恐ろしいことだと思います。今はまだ特定の人種グループに向けられている憎悪が、いつすべての外国人、移民に向けられることになるのか、誰にも 判らないからです。

 英国の隣国、アイルランドでは、ユーロ圏最悪の財政破綻を悲観して、何十万単位での人口流出が始まるのではないか、との懸念が高まっています。依然として消え去らない金融不安の中、こうした異常事態は、果たしてこのアイルランドだけにとどまるのでしょうか? 「ギリシャ危機」以来、今も欧州全体をおおい続けている問いかけです。

● 逆「移民」への懸念

 20世紀前半とは比べ物にならないほど移動手段が発達した現在、こうした「新移民」への懸念は、グローバラィゼイション時代のひそかな負の副産物となりかねない危険をはらんでいるわけです。アイルランドからの金融難民の英国流入の可能性のみならず、これまでの流れとは逆に危機の先進諸国から中南米やアフリカの新興発展国へ、といった逆「移民」をめぐるトラブル。私がこのごろロンドンで考えこむ「恐怖のシナリオ」の一つです。

 折から、移民受け入れの先進国であるアメリカでも、アリゾナ州では7月末に、州民に常に合法的な滞在者であることを証明する書類の携帯を義務付け、現場の警察官が問答無用で不法移民を取り締まることを容易にする新法が発効しました。連邦政府はこの新法を差し止める訴訟を起越し、これに対しアリゾナ州知事は、新法を守る訴訟で反撃、と半世紀前の黒人差別撤廃をめぐる南部諸州対連邦政府の対決に似た「泥仕合」に発展しています。ロンドンの新聞は、このアメリカの動きを、わが身のことのように報道しています。それによると、11月の中間選挙戦を前に、医療制度改革の強行後, オバマ大統領がメキシコ湾石油汚染のあおりも受けて、求心力を失う中、かねてから「不法移民が米国民の職を奪っている」と主張してきている保守派にとって、格好の争点ずくりの場となっているようです。

 ロンドンで身にしみる「移民」問題の深刻さは、グローバルなのかも知れません。皆さんに考えていただきたいと思います。

( ロンドン2010年7月22日発、守屋光嗣 )

© Fumio Matsuo 2012