11回 「ブッシュ抜き」、「イラク戦争抜き」で戦われる可能性 


2008年アメリカ大統領選挙展望―

 私がアメリカ大統領選挙戦を直接、間接に追いかけるのは、1960年のケネデイ、ニクソンの対決を、まだ日比谷公園内の市政会館の一部、通称日比谷公会堂の真下にあった共同通信本社外信部デスクの新米記者としてカバーして以来、通算13回目となります。夏の党大会や開票速報を、テレビ中継など存在しなかった当時、アメリカからの唯一のリアルタイムの情報集手段であったVOAラジオの傍受に、緊張した時間をすごした日々を昨日のことのように思い出します。


 ○ ブッシュ大統領の一言

 すでにマスコミが伝えるように、共和、民主両党とも、大統領候補指名争いは熾烈です。しかし、この報告に皆様が目を通されているころには、1月3日のアイオワ州の党員集会を皮切りに、ニューハンプシャー州(1/8)、ミシガン州(1/15)、サウスキャロライナ州(共和党は1/19、民主党は1/26 )、フロリダ州(1/29) と続く予備選挙、そして2月5日のカリフォルニア、ニューヨークなど大州のほんとが参加する予備選挙の結果が次々と入り始め、両党とも遅くとも2月中旬には、事実上の大統領候補が決まる見通しです。

 従って、具体的な候補者名を予測すること自体意味がありません。ここでは緒戦のアイオワ州党員集会やニューハンプシャー州予備選挙では、1位だけでなく2位につけられるかどうかが重要な要素であることを報告しておくことにとどめます。アイオワ州党員集会では、2位につけながら、最後には指名を獲得した1972年の民主党マックガバン、1976年の民主党カーター、ニューハンプシャー州予備選挙では、1988年ブッシュ・シニアといった歴史的な前例があります。

 そこで、本稿では、私が昨年11月、アメリカの空気に三週間以上も浸る中で肌で感じたことを踏まえて、今年の大統領選挙戦の『土俵』について報告しておきたいと思います。

 最初に、意外に伝わっていないブッシュ大統領の一言を紹介しておきます。

 ブッシュ大統領は昨年12月14日の記者会見で、イランの核開発について「2003年からから計画を中断していると見られる」との米政府内16の情報機関がまとめた「国家情報評価(NIE)について、記者団からの激しい追及を受けた後、指名争いの展望をとの質問に対して、こう答えました

 「激しい戦いになっている。共和、民主両党ともこの激しさは同じだ。今の段階で両党に有力指名候補者が浮上していないのは、過去の歴史に遡っても初めてではないのか。その行方を見守るのは興味深い」と答えていました。そして「私は選挙運動が大好きだ。今度はそれが出来なくて残念だ」などと2004年の選挙運動の思い出を長々と語った。この発言は重要だと思います。

 ブッシュ大統領が他人事のように選挙戦を見つめていることが明らかにされたからです。私はこの選挙戦に「距離」を置く大統領の姿勢に注目する次第です。

 私は1968年大統領選挙で、当時のジョンソン大統領が再選確実といわれながら、自らが拡大したベトナム戦争に反対する世論に屈して三月末の段階で、指名辞退に追い込まれながらも「歴史が自分の業績をどう評価するか」にこだわり、ベトナムとの和平交渉で民主党大統領候補に選ばれたハンフリー副大統領の足を引っ張り続けた姿をワシントンで見ています。

 結局、この1968年大統領選挙は、こうした民主党側の自滅現象によって共和党ニクソンのホワイトハウス入りが実現し、以後アメリカの政治全体が保守化する時代、あるいは共和党が主導権を握る時代が到来するきっかけとなります。1968年以降、現在に至る40年間で、ホワイトハウスの主であった年数を数えると、共和党がニクソンーフォード政権で二期、レーガン政権で二期、ブッシュ・シニアー政権で一期、ブッシュ・ジュニアー政権で二期と合計28年間、民主党はカータ一期、クリントン政権で二期と合計12年間−−とはっきり差がつく数字が出てきます。

 私が遭遇した1968年大統領選挙戦での「ジョンソンのこだわり」の代償の大きさを示していると思います。 従って、私としては、ブッシュの大統領の傍観者的なこだわりの欠如に驚くとともに、逆にこの「ブッシュのこだわり」なしで行われる大統領選挙戦の「土俵」に注目しておく次第です。


 ○「神」にゆだねる大統領

 もちろん、今年のイラク情勢で最大の焦点となるアメリカ軍撤退の「出口」を巡る議論などで、ブッシュ大統領が共和党指名の候補と対立し、ジョンソンと同じような共和党自滅の状況を生み出す可能性も、否定できません。

 しかし、今の時点でのこうしたブッシュの「距離を置く」姿勢から、少なくとも八月の共和党全国党大会で指名される大統領候補者が、イラク「出口」戦略などでブッシュ大統領と対立し、批判する自由を手にすることは確実と思われるからです。 ジョンソン大統領がハンフリー候補者に対し、自らの現職副大統領であったこともあって、その選挙戦のすべてに自らの政策との整合性を求めて、がんじがらめにした1968年とは、100パーセント違う状況です。

 それに、引退を表明していて、イラク戦争泥沼化の責任を一身に背負う “悪役”を演じうるチェイニー副大統領の存在とあわせて、共和党候補者は政治的に重要なフリーハンドを確保することが可能になります。このアイロニーに満ち満ちたアングルが、今後の選挙戦をウオッチする上で、重要になると思っていす。共和党にとっての数少ない勝機がここにあると思います。ブッシュ外交を「傲慢で、批判に耳を貸さない」と決めつめたハッカビー候補が、アイオワ州を制したのは、その恩恵に浴したものといえる。

 この点で、ブッシュ大統領の心境について、ワシントンの長年の政治記者が面白いことを言っていました。

 『大統領は毎朝、牧師の説教の一節を朗読するなど、大変信仰心に厚く、政権末期を迎えた今も自らの業績についての評価は、最後は神にその判断を任せるといった、達観した心境に達しているのではないか。その意味で大変珍しい大統領であると思う』

 朝5時半に起き、夜9時半には寝るという、早寝早起き大統領としての日常を毎日平然とこなし、かってのジョンソン大統領にあったような疲れや苛立ちは一切感じられないということでした。支持率の低下もまったく気にせず、ワシントンではもはや大統領の支持率はニュースにもならないと言われているようです。


 ○ 消えたイラク即時撤退論

 そこで、今、長期的にはともかく短期的には、ブッシュ大統領が昨年年頭踏み切ったアメリカ軍増強路線が成功し、民主党にとって最大の攻め口であったイラク戦争の泥沼が小康状態を迎えている事実にも注目しておく必要があると思います。

 事実、昨秋から少なくともイラク現地での米兵戦死者はゼロの日が続くようになり、ニューヨークタイムズ紙始め、これまでイラク戦争に批判的だったマスコミもバグダット市内での結婚式風景の写真を一面トップで掲載するなど、治安回復を認めるようになりました。

 民間の「イラク多国籍軍犠牲者集計」によると昨年10月から3ヶ月間のアメリカ兵の死者総数は98人、三ヶ月単位で見て戦争開始後最低を記録しています。2006年の最悪記録331人(4月—6月)と比べれば、改善のほどは明らかです。つまり、ここにきてイラク戦争は、選挙戦の争点として一段下に下がる様相を呈しているということです

 もちろんここでも、こうした治安回復が、イラク国内の持続的な民族和解、中央政府の指導力強化につながるのかどうか、については疑問符をつけておかねばなりません。昨春に増強したアメリカ軍の力で、旧スンニ派をアルカイダグループから分断して、取り込み、合わせてイランのシーア派のてこ入れを抑止することにも成功し、シリアからの過激派流入も減って、治安を回復させたと、とのブッシュ政権の説明するイラク現地の情勢が果たしてその通りなのかどうか。イラク現地の情勢の不透明性は、依然として続いています。

 しかし、ここにも直視しなければならない現実があります。民主党側の変化です。昨年春以来の議会を抑えた民主党側が再三の支出カットをかませて、ブッシュホワイトハウスに対してアメリカ軍撤退スケジュールの具体的な設定を迫る作戦も。すべて大統領の拒否権で葬り去られて、行き詰っていることです。民主党側にも共和党反戦派の協力を得て3分の2の多数で拒否権を覆す力がないからです、最近では、議会での撤退論は影を潜めているのが現状です。

 それのみならず、逆に民主党側では、イラク現地での治安改善を受けて、リード上院院内総務、レビン上院軍事委員長ら中道穏健派を中心に、共和党のマコンネル上院院内総務、ワーナー上院議員らとの間で、ブッシュ政権側の意向とも折り合うことを求めて、超党派的なイラク「出口」戦略の構築に向けての動きが始まっています。

 ウオール・ストリート・ジャーナル紙が2007年9月7日付の紙面で報じたていたところによると、この戦略は共和党側では「成功の明かし」、民主党側では「戦争終結の第一歩」とそれぞれの実績としてうたえることが可能な内容となるものだということで、以下のような段取りが紹介されています。

 (1)現在、約16万人を数える駐イラクアメリカ軍のうち、 今年四月から、昨年はじめに増強された3万人を一ヶ月一旅団のペースで撤退を開始する。

 (2)これと平行して、兵力削減も続け、今年秋までには 115,000人のレベルまで下げる。

 (3)2009年1月20日、新大統領が就任するときには、アメリカ軍兵力は100,000人を割り込む。こうした削減にあわせてアメリカ軍の役割も海兵隊を中心とする戦闘参加から、イラク軍の訓練、軍事顧問役に移行していく。

 その先については、クリントン政権時代の高官も加わっている「新しいアメリカの安全保障センター ( Center for New American Security ) 」などは、2009年末までにアメリカ軍は6万人程度まで減らし、以後2011年までは20,000人を駐留させることを提案している、と同紙は伝えていました。 要するに、民主党内でも、即時撤退を求めるケネデイ上院議員ら反戦急進派の勢力は少数派で、イラクでのアメリカの権益維持のためには、アメリカ軍の長期的な駐留が欠かせないとの考え方が主流を占めているということです。

 民主党系の長年の友人は11月の時点で、民主党内では、こうした超党派的なイラク解決案を模索する動きが高まっていると述べ、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記事について、肯定的でした。 そして、彼はイラン、シリアも加えた国際的な枠組みで最終的なイラク和平を達成するとの、ちょうど一年前にベーカー・ハミルトン共同委員長のイラク研究グループ(ISG) がまとめた超党派の報告書に盛られた諸提案は、べーカ—氏のブッシュファミリー全体の指南役としての立場からいっても、今も生きていると見たほうがよい、と解説してくれました。

 ISG報告書を無視する形で実施されたイラクへのアメリカ軍“増強”も、イラク現地対策のみならず、政治的にも政権内タカ派を抑えこむ一つのステップとして、ベーカー氏らも了解していたと、見ることができるというわけです。この背後にはやはり「9・11」のショックが後を引いていること、すなわち、ブッシュ大統領がイラク戦争開始の大前提とした「テロとの戦い」については、各種世論調査でも国民の大勢が支持していることが明らかになっている現実があります。NBC-WSJの最新の調査でも、イラクで民主主義が根ずくまでアメリカ軍がとどまるべきだが24%、即時撤退が26%、と二分されるのに対して、37%が一定の規模のアメリカ軍の駐留やむなしと答えている数字が出ています。

 ちなみに今年1月2日のウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、オバマ候補も、「我々の外交官を守り、アルカイダ拠点に対する攻撃を遂行するために」との理由で、一定のアメリカ軍のイラク駐留を承認する立場だという。 共和党側でも、一貫してブッシュ戦争を支持してきたマケイン上院議員がここに来て勢いを盛り返し、ニューハンプシャー州予備選挙で勝利の可能性がでてきたとみられている事ともあわせて、今後の注目点である。


 ○「保守票」取り合いのアイロニー

 事実、旅の途中、指名を争う民主党各候補の発言を聞いていても、イラク問題での攻めの姿勢は見えませんでした。 逆にヒラリー候補に典型的に現れているように、指名獲得後の本番選挙戦での保守票の確保を意識した発言が目立っていました。民主党は知らず知らずのうちに、八年間のブッシュ政権を支えてきた「保守票」の土俵に入り込んでいるという印象でした。

 たとえば、一時は独走態勢に入ったとまでいわれたヒラリー・クリントン候補が11月に入って失速し、初戦のアイオワ州でオバマ候補に敗れてしまった理由も、この保守票の「土俵」を意識したあまりのつまずきだった、といえます。私は11月の旅で、この彼女の苦難を目撃しています。

 2006年の中間選挙のころから、南西部の共和党保守派は、今では1200万人にまで膨れ上がっている、いわゆる非合法移民の問題に対して、強制的国外退去やメキシコ国境に流入防止の壁を作るなどの強硬策を主張して、政治的な争点とすることに成功してきました。今年の選挙戦でも、内政面での争点のひとつとし?トクローズアップされ、各候補とも「非合法移民に運転免許証を与えるべきか否か」といった具体的な政策についての賛否を問われるようなりました。

 クリントン議員は、伝統的に移民問題ではリベラルな態度、つまり一定の基準で選別した後は、段階を経て非合法移民にもアメリカ市民権獲得のチャンスを与えるべきだとの民主党の主張との整合性とヒスパニック票対策を意識してか、この免許証問題では、最初あいまいな態度に終始しました。

 そこを「変化」をスローガンとする49歳の黒人候補オバマ上院議員に突かれ、「あいまいな発言を繰り返している。イラク戦争への立場をはじめ、すべて正直に語っていない。結局ワシントンのエスタブリッシュメントそのものだ」と、激しく非難され、11月に入っての民主党候補全員による討論会で、とうとう「運転免許証を与えることに反対する」と明言しました。保守票を意識しての転換でした。しかし、時すでに遅く、オバマ候補に勢いを与えることになりました。

 確かにヒラリー候補は、一貫してイラク戦争を支持し、現地の米軍慰問も頻繁に行うなど、「タカ派ヒラリー」として、保守票すりよりの実績を積み重ねてきただけに、イラク戦争支持の議会決議に加わっておらず、一貫して戦争反対の立場をとってきたオバマ氏に痛いところを突かれたわけです。

 こうした保守票のめぐる駆け引きの落とし穴は、共和党側でもみられます。有力視されていたジュリアーニ前ニューヨーク市長や ロムニー・マサチューセッツ前知事といった東部の中道派、あるいはリベラル色の強い実績を持つ候補者たちは、クリントン候補と同じく、堕胎や同性愛者の権利反対、 銃規制反対といった保守派の主張に歩み寄るのに苦労してきて、ジュリアーニ候補などは11月、宗教右派の超大物、パット・ロバートソンの支持を得るなどの努力を積み重ねてきました。

 昨年12月に入って、説教牧師出身でいわゆる宗教右派の本流としての実績を持つハッツカビー前アーカンソー知事が台頭し、あっという間にアイオワ州を制したのは、ジュリアーニら保守派すりより候補に飽き足らない宗教右派の巻き返しと位置づけられます。


 ○ 民主党、チャンス生かせるか

 もちろん、民主党にとって政権奪回のチャンスであることは事実です。8年間続いたブッシュ共和党政権がイラク戦争の泥沼に引きずり込まれてしまい、大統領の支持率も20%台から30%台前半という歴史的にも最低の水準で推移しています。2006年の中間選挙では、民主党が上下両院の多数を占めたことから、アメリカ国民はホワイトハウスの主を変えて、局面の転換を選択するのではないかと、予測することは可能です。ブッシュ政権を支えてきたアメリカ経済の堅調も、昨年春からのサブプライム・ローンという市場資本主義の万能神話そのものを脅かす落とし穴にはまり込み、バレル100ドル台に跳ね上がった原油高もあって、本格的な景気下降が懸念されています。 

 「変化」をスローガンにしたオバマ上院議員が、昨年秋からクリントン候補を追い上げ、アイオワ州では抜き去ってしまった事実は、こうした追い風を物語るものです。今年の上下両院選挙では、上院での共和党再選議席数が民主党より多く、また引退議員も続出していることから、民主党の上下両院支配は続くとの予測がもっぱらです。各種世論調査でも、民主党政権の誕生を望む声が多数を占めています。

 しかし、本来ならニューデイールの伝統をくむ民主党には、リベラル政策で勝負する気配はどこにも見られません。 サブプライム・ローン問題に対して、大恐慌時の1933年につくられた「住宅所有者ローン公社」に似た「家族差し押さえ救済公社」を設立すべきだとの構想などは、むしろAEI など共和党よりのシンクタンクから出ているのが実態です。つまりニューデイール型の「大きな政府」の政策構想は、民主党側にとって“禁句”というわけです。

 ある友人は「民主党リベラル派はどこかにいってしまった。」とはき捨てるようにいっていました。要するに、「9・11」以後のアメリカの保守化、内向きの世論はまだ続いているというのが、私の受け止め方です。保守派にすり寄るクリントン候補をアイオワで破ったオバマ候補が、この“禁句”にどう挑戦するかが、これからの見所です。

 保守化、内向きのアメリカの極めつけは 、11月20日アメリカ最高裁が「修正第二条はアメリカ市民に銃を持つ権利を認めているのかどうかについて、その権利を規制するのは憲法違反だとの首都ワシントンでの下級審の判決について審議し、7月までに立場を明らかにする」との発表を行ったことでした。

 アメリカ合衆国憲法修正第二条は、「必要悪」としてのみ連邦中央政府の存在を認め、その専制化を防ぐために、人民に武装する権利を認めるとのアメリカ建国システムのひとつです。1791年の制定以来今も続いており、20世紀にはいってからは、その解釈をめぐって意見が分かれ、最高裁判所も1939年の「玉虫色」のミラー判決以来、裁定を保留してきたものです。保守派はアメリカ民主主義の原点とあがめており、その影響のもとにあるブッシュ政権下では、銃規制は現在事実上の野放し状態で、後を絶たない銃乱射事件の元凶ともなっています

 ブッシュ政権になって、ロバーツ最高裁判所長官以下、二人の保守派判事が加わったアメリカ最高裁が、いよいよ69年ぶりに、保守派、具体的には修正第二条をアメリカ民主主義の神聖な権利だと主張するNRA(全米ライフル協会)らの主張にそった判決を下す可能性が出てきたわけです。

 7月といえば、民主、共和党両党の全国党大会を前に、選挙戦が本格化している最中で、ここでも保守派の主張に対して、民主党の候補者は「踏み絵」を強いられることを意味します。 ジュリアーニ候補は、この最高裁の発表後、すぐNRA支持の立場を明らかにしています。ヒラリー候補の非合法移民の運転免許証に対するあいまいな態度のつけと同じような代償を候補者に強いる可能性が出てきたということです。

 その意味で、今年の選挙戦は、最後には、修正第二条の解釈をめぐる議論と、移民の国アメリカが非合法移民をどのように扱うか、という「アメリカという国」の根源を問われることになりそうな雲行きです。「銃を持つ民主主義」英訳本を携えての旅で、私が肌で接したのは、この「先祖がえり」の課題に苦悩するアメリカの素顔でした。

 松尾文夫 (2008年1月4日記)

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