第20回 「歴史和解」というケジメをもう一度考えよう ーサンフランシスコ平和条約六十周年の教訓ー (青淵2011年2月号 P008-009 『時評』)

 二〇一一年は、日本が一九五一年九月八日、サンフランシスコでアメリカを中心とする四八ヵ国との講和条約を調印、独立を果たすと同時に、アメリカ軍基地を受け入れる日米安全保障条約を結んでから六〇年目の節目の年である。

 普天間基地移転問題というトゲを一向に抜けないアメリカとの関係を筆頭に、対中国、対ロシア、さらに拉致問題を抱えながら「直接対話」がない北朝鮮との関係——と日本外交がどこを向いても閉塞感に取り囲まれている今、あの六〇年前の選択の意味をもう一度思い出しておくことが必要である。

 ◎「単独講和」の成功物語

 あの年、日本はサンフアンシスコで、一年三ヵ月前に始まっていた朝鮮戦争に象徴された東西冷戦の枠組みの中で、はっきりアメリカ側で生きることを選んだ。「全面講和か単独講和か」——今では覚えている人も少なくなった独立前の日本を二分した論議に従えば、吉田茂首相による「単独講和」の選択であった。サンフランシスコ講和会議での旧ソ連の反対を押し切り、新中国には声もかけなかったダレスの強烈な反共外交のおぜん立に乗ったものだった。

 この吉田路線は成功した。一九五三年に独立後初の国賓として日本を訪問した当時のニクソン副大統領が「平和憲法はミステークだった」とまでいって求めた再軍備要求も拒み、アメリカ軍に基地を提供、その核の傘に入るだけで、ひたすら経済立国に専念し、経済大国化に成功するからである。朝鮮戦争特需、それに続くベトナム戦争特需といった追い風を受け、早くも一九六八年にはGDPで当時の旧西ドイツを抜き、世界第二位の経済大国となる。もちろん日本人も頑張った。しかし、この成功物語は突きつめると軍事面で「アメリカにただ乗りした」東西冷戦下でのみ可能なものであった。そのことを多くの日本人は意識せず、やがて訪れたバブル景気の中で「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」ともてはやされた経済力と生活の向上に慢心する。その冷戦が一九八九年のベルリンの壁消滅で終結し、これにバブルの崩壊が続く中で、日本は中国の経済大国化を生みだしたポスト冷戦のグローバリゼーションの波の中で「失われた時間」をいまも過ごす。「もう一つの成功物語」をまだ描けずにいる。

 そして、現在、日本が北の北方四島と南の尖閣諸島という領土問題を抱える中、旧ソ連・ロシア、中国は、この「サンフランシスコ講和体制」では、外側におかれていたのだという事実を忘れてはならない。

 ◎真珠湾、そして南京献花を

 その中・ロ首脳は昨年九月二八日、北京であの戦艦ミズーリ号上での日本降伏調印式から六五周年を記念して、共同声明を発表した。共同声明は中・ロ人民がいかに日本相手に「肩を並べて」戦ったかを強調し、中国は「ソ連軍が中国東北解放戦役において果たした役割を評価する」と述べたあと、両国は第二次世界大戦の歴史の「改ざん」を許さないとうたっている。

 この「改ざん」を許さない歴史とは何か。一九四五年二月、米・英・ソ三国首脳がアメリカからの強い要望も受けてソ連が対日参戦に同意したヤルタでの秘密協定もその一つだと考えて良いだろう。昨年一一月のメドベージェフ・ロシア大統領の国後島訪問は、アメリカが事実上、このヤルタ秘密協定を反故にした六〇年前のサンフランシスコでの「単独講和」に対し、ロシアが中国と組んで、スターリンよろしく復讐を果たしたとも捉えられるだろう。

 一九五六年一〇月、日・ソ共同宣言で国交正常化だけは果たした段階で、歯舞、色丹二島返還受け入れに傾く当時の重光外相に対し、ダレスはもし国後、択捉をあきらめるなら、沖縄に対する日本の潜在主権は保証出来ないと警告している。この北方領土問題が象徴するように、日本はあの「単独講和」のツケをどう清算するかでいまだに右往左往しているといっていい。

 その意味でも、日本はヤルタ秘密協定というアメリカの意を受け、その同意の上で旧ソ連が日・ソ中立条約を破ってまで参戦したあの戦争に敗れたのだ——という歴史的原点を今一度かみしめておかねばならない。

 ではどうすれば良いのだろう。私はやはり足元を固め直すことだと思う。つまり、あのドイツがきちんと達成しているように、アメリカ、そして中国、韓国、北朝鮮といった近隣諸国との間で、あの戦争についてケジメをつける「歴史和解」を遅まきながら果たすことから始めねばならないと思う。

 具体的には、今春に予定されている菅首相のアメリカ公式訪問は、日本の首相がまだ誰も行っていない真珠湾のアリゾナ記念館の訪問、献花で始めるべきである。ルース駐日大使が昨年夏、ヒロシマ原爆式典に初参列したことでもあり、将来のオバマ広島訪問実現のためにも、また一一月にはAPEC首脳会議がハワイで開かれることもあり、中ソ首脳がアリゾナに共同献花といった「悪夢」に備えるためにも、それに先駆けるためにも、今度の訪米での首相の訪問、献花は至上命令である。

 それにやがて実現しなければならない日本首相の中国公式訪問の際には、中国人の心にいつまでも残る「反日」のトゲを抜くためにも南京献花が不可欠と思う。

 今年一二月には、日本軍機による真珠湾奇襲攻撃から七〇周年を迎える。心して過ごす年である。

© Fumio Matsuo 2012