昭和八年生まれの私は、あの太平洋戦争敗戦の一ヵ月前、墳墓の地の福井市でB29の夜間無差別焼夷弾爆撃を生き延び、大津波に襲われた今度の三陸の町々と同じく、全てを失った焼け野原に立ちつくした経験を持つ。空中で焼夷弾をばらまくはずだったアメリカの集束爆弾が欠陥製品で開かず、そのまま目の前の田んぼに落ち、その巨大な泥しぶきをかぶっただけで生を得た私は、今回の津波と同じく一瞬の差が生死を分ける恐怖を今も忘れない。一二歳、小学六年生だった。二万人を越す犠牲者のご冥福を祈りながら、すべてをゼロから歩み出さねばならなかったあの六六年前の試練の日々を、今度の被災者の方々のそれとダブらせて過ごす日々である。
この自らの軌跡の上で、今思うのは、大地震、大津波に原発事故による放射能汚染まで加わった今度のどえらい試練は、「日本という国」に大きなチャンスを提供してくれているのではないかということである。災い転じて福となす発想の勧めである。「国難だ」と嘆き、おびえてばかりいてはいけないと思う。以下二点に絞ってそのチャンスについて報告しておきたい。
●原子力平和利用のモデル提示を
第一は、人間の知恵がまず戦争の兵器として使うことから始めてしまった原子力エネルギーという「魔物」をどうコントロールするかについての「ジャパン・モデル」を全世界に提示するチャンスを得た、と捉えることから始めるべきだと思う。原子力発電の「安全神話」を吹き飛ばした東京電力福島第一発電所のメルトダウンは目に見えない放射能汚染の恐怖をまき散らし、その終息の出口さえ見えていない。この人類史上初めてといってよい状況を日本がどう克服していくのか、今全世界がじっと見つめている。他人ごとではないからである。これは日本にとってのチャンスではないかと考える。
使用済み核燃料棒の再処理まで含め、まだ安全なシステムが確立していない原子力の平和利用の現実を白日の下にさらした今度の事態から何を学び、何を補えば、原子力に太陽熱、風力と同じようなエネルギーとしての「市民権」を与えることができるのかできないのか。この問いにきちんと答える「ジャパン・モデル」を作り上げ、世界に向けて発信することである。
つまり唯一の原爆被爆国である日本が「3・11」経験のおかげで、地球そのものの命運をにぎる温暖化防止対策としての原子力平和利用で、その安定した道すじをみつけることで、世界に貢献できるかもしれないという皮肉なめぐりあわせである。
もちろん、こうした前向きの役割りを引き受けるためには、大震災「前」の日本の生き方に対する反省が伴わなければならない。東京電力のみならず、原子力安全委員会以下の政府機関のあり方を含めて自民党政権までさかのぼる「政治」の責任は明白である。一〇年前の福島第一原発の補強工事でも、最大三〇メートルの津波を経験した一九九三年の北海道奥尻島の被害の教訓はまったく生かされていなかった。今度の事故が「想定外」では済まされない「人災」であることは間違いない。
しかしこの「人災」にはわれわれ国民一人一人の責任を含めておかねばならない。一定の増税もいたしかたないのかと思う。先般、節電のため薄暗くなった新宿駅構内を歩いて、わが青春真っ盛りの昭和二〇年代の新宿駅はもっと暗かったと思いだし、電力を惜しみなく使う「明るすぎた生活」に慣れてしまっていた自分への反省をかみしめた。
●アリゾナ献花に最後のチャンス
第二は、外交面でめぐってきたチャンスである。普天間基地問題を抱えたままの菅親米路線の矛盾、尖閣列島漁船逮捕事件で冷却しきった対中国、大統領自らが国後島に乗り込んでヤルタ協定の昔に逆戻りした対ロシアとどちらを向いても閉塞感に満ち満ちていた日本外交は「3・11」以後、天の恵みといってもおかしくない反転のチャンスを手にしたと思う。
アメリカの「トモダチ」作戦を筆頭に、中国、韓国両首脳の被災地訪問と、関係改善が目覚ましい。海外の論調は「これだけの災害でも略奪が一切起こらない日本社会の規律、強靭性」を礼賛する日本再発見論で覆われた。こうした「第二の経済大国」の絶頂期にも得られなかった日本に対する各国世論の好意、敬意、賞賛をテコにして、今こそ戦後六六年放置してきた近隣諸国、そしてアメリカとの「歴史和解」達成のチャンスとして生かすべきというのが私の主張である。
ここまで書いたところで、政治の不幸な混迷が始まった。菅首相が九月初めに予定していたアメリカ公式訪問は、まだ日本の首相が誰も訪れていない真珠湾のアリゾナ記念館献花で始めるべきだとの私の提案は宙に浮いている。一一月にホノルルで開かれるエイペック首脳会談での中ソといった対日戦勝国首脳らと一緒の献花ではなく、あくまでも日本独自のアメリカとの差しの「歴史和解」のシンボルとして、そして今回の「トモダチ」作戦への謝意を兼ねて、日米同盟を新たな成熟に押し上げるアリゾナ献花でなければならない。今はこの多くの方々の賛同を得ていた提案が新首相に引継がれることを祈るばかりである。
今年の一二月八日は日本軍機の真珠湾攻撃から七〇周年、アメリカとの関係にケジメをつけるこれ以上のタイミングはない。来年以降のオバマ米大統領の広島献花に道を開くことにもなる。