2009_02_「シカゴの政治」育ちのプラグマテイスト  ──「オバマのアメリカ」始動──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

「シカゴの政治」育ちのプラグマテイスト

 —「オバマのアメリカ」始動 —

 

ジャーナリスト 松尾文夫

 

 

 アメリカはいよいよオバマ大統領の時代を迎える。一〇〇年に一度と形容される経済危機の最中、このアメリカ史上初の黒人大統領のもとで、「アメリカという国」がどこを向いてどのように走るのか— その一挙手一投足を世界中が見守る。

 もちろん日本にとって、その正確なウオッチは、至上命令になる。三年間で首相が三人も替わる日本の政治の混迷の中と、アメリカとの同盟関係そのものへのはね返りも覚悟しておかねばならないからである。そして、アメリカウオッチャーには、今さまざまな角度からの精度の高いウオッチの責任を果たすことが求められているのだと思う。

 私もその一人として、一〇〇万人を超すと言われるかつてない大観衆の前で行われる一月二〇日のオバマ大統領就任演説を聞く前の段階ながら、あえて今描き得る一つのオバマ論を報告しておきたい。

 

●イリノイ州知事逮捕でヒヤリ

それは、オバマ新大統領を「チェンジ、イエス・ウイ・キャン」と言った革新的なイメージを前面に出した選挙運動とは裏腹に、バランス感覚に富んだ現実政治家と捉えて見るアングルである。アメリカ政治の歴史の中でも汚職とボス取引で有名な「シカゴの政治」の中でもまれ、生き抜いてきたしたたかなプラグマテイストと見ることである。

 当選後一ヵ月半、その証拠には事欠かない。焦眉の急の経済危機対応人事での、サマーズ(国家経済会議委員長) —ガイトナー(財務長官)師弟コンビをはじめとするクリントン政権時代のベテラン起用とチームワーク重視の選択、指名争いで最後まで争ったライバル、ヒラリー女史の国務長官登用、ブッシュ政権からのゲーツ国防長官留任—と七〇%を超す世論調査の支持を得た重要人事でのすご腕は実証済みである。

 このほか、共和党側のフィリバスター(議事妨害)を封じる上院での六〇議席目の獲得がかかったジョージア州の再選挙で、オバマ陣営は、血気にはやるオバマ・インターネット軍団の動員など応援を控え、あえて共和党現職の再選を許した。この事実は日本ではあまり伝えられていない。共和党側にメンツを保たせ、経済危機対策で不可欠な議会での超党派的支持への基盤を固める老獪とも言える一手だった。共和党系ブロガーの一人は、この四七歳のオバマ新大統領の巧妙な政治的計算に舌を巻いていた。

 こうした「シカゴ政治」仕込みのプロフェッショナリズムは、シカゴ市選出の下院議員で、二〇〇六年の中間選挙での民主党の上下両院多数派奪回の立役者だったエマニュエル・ホワイトハウス首席補佐官以下、シカゴ・コネクションの人事が、オバマ・ホワイトハウスの中枢にどっしりと腰を据え、政権運営の軸になろうとしている。しかし、一二月に入るとオバマ後任の上院議員の指名権を持つプラゴエビッチ・イリノイ州知事が後任指名者からの収賄容疑などでFBIに逮捕される事件が発生した。今のところ「改革派」に属するオバマ新大統領には火の粉が飛んでいない。しかし、オバマ陣営内と知事との接触は否定をされておらず、改めて一九八四年のシカゴ地域振興事業体への就職以来、一九九六年の州上院議員当選を経て、二〇〇四年の上院議員当選までオバマ氏を育てた「シカゴの政治的風土」の危うさを浮き彫りにした。

 

●「ネット大統領」落し穴

 落し穴の心配は他にもある。一番の懸念は、アフガニスタン戦争で、選挙運動中にはアメリカ軍二個旅団を増派すると公言していたオバマ新大統領が本当に軍事的エスカレーションに踏み切るかである。アフガニスタンは人口も面積もイラクより多く、大きく、地形も山岳地帯でパキスタン領内のゲリラ基地とつながり、私が三〇年前に取材したジャングルの中でのベトナム戦争よりははるかに厳しい戦争となっている。軍事的手段だけでは、勝利はあり得ないと見る点で米欧・軍事専門家の分析は一致している。

 就任後のオバマ新大統領が、イスラム世界との大和解のイニシアティブなど、これまでと違った「テロとの戦い」を打ち出すのかどうか— 一番の注目点である。

 もう一つの落し穴はより構造的である。オバマ新大統領が、私が前回寄稿(二〇〇八年七月号)で分析した黒人差別というアメリカ建国以来の「負の遺産」を克服し、ホワイトハウス入りを果たした原動力そのものに「落し穴」がある、という視点である。

 今回のオバマ勝利を解説すると、一般的には、九月中旬以降顕在化した金融危機によって、八年間のブッシュ政治の不人気、マイナスイメージが一気にアメリカ国内に浸透、「チェンジ、イエス・ウイ・キャン」のスローガンが黒人候補というアキレスけんを覆い隠すことに成功した、ということになる。

 そしてその運動を支えたのがインターネットの本格的な活用であった。ユー・チューブなどのインターネット映像も多用した「オバマ・メッセージ」を精緻なネットワーク構築を通じて伝達することでマケイン陣営をしのぎ、特に初めて投票する若手有権者の囲い込みに成功した、黒人大統領登場と並んで歴史的に評価される選挙運動戦略であった。

 今オバマ新大統領とメールアドレスで直接つながるこの「オバマ・ネット軍団」は一三〇〇万人を超えると言われる。「ダイレクト・アーミー」とも呼ばれるこの熱狂的なオバマ支持者たちは、政権発足後、議会に対する有効なプレッシャー・グループとして機能するかもしれない。

 しかし、同時に彼らの中にはハト派が払拭された政権人事に対する反発も出始めており、オバマ政権にとっては厄介なエネルギーともなり得る大成功の足元にひそむ火種である。このまさに諸刃の刃をかかえて船出する「オバマのアメリカ」には刻々の、しかも複眼のウオッチが欠かせない。(二〇〇八年一二月一八日記)

© Fumio Matsuo 2012