2003_02_ブッシュ政権と新帝国主義者の台頭 ──伝統的保守派との「綱引き(国際問題研究)

ブッシュ政権と新帝国主義者の台頭

──伝統的保守派との「綱引き」

 

松尾文夫

 

 

 「準備は整った。米国が行動しなければならない場合、君たちは征服するためではなく、人々を解放するために戦うのだ」──対イラク武力行使の準備を着々と進めるブッシュ米大統領は一月三日、地元テキサス州フォートワード基地での新春第一声で米兵たちを前にそう言い切った。

 あのグループはとうとうここまで引っ張ってきたのか。ブッシュ大統領自ら「解放」という言葉を口にするのを聞いた私の感慨である。あのグループとは、私が昨年、ジャーナリスト復帰後、ウオッチを続け、その一部の人たちとは直接接触を保っている「新保守主義者」(通称ネオコン)、または「新帝国主義者」と呼ばれる政策集団のことである。

 もちろん、ブッシュ大統領が実際に武力行使に踏み切るとはまだ決まっていない。国際連合の査察活動との関係も微妙である。フセイン=イラク大統領の亡命を含めたさまざまなかたちでの「自滅」の仕掛け、例えばアラブ諸国を含めた国際的な圧力で亡命の引導を渡されるといった可能性も考えておいたほうがいい、というのが私の分析である。

 しかし、大統領が国民世論、議会の多数の支持を得て、遠く離れた他国の「レジーム・チェンジ」(政権交替)と「解放」のための武力行使も辞さないとの態度を表明すること自体、やはり重い。アメリカ建国以来二二七年の歴史のなかでも例のない試練への挑戦であると思う。ここまでに至る軌跡を検証してみたい。

 このウオッチを始めたのは、二〇〇一年一二月九日の『ニューヨーク・タイムズ』紙日曜版折り込みの『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』誌に、二〇〇一年に生まれた「一〇〇の新アイデアと新傾向」の一つとして、「新帝国主義」を推進する組織「新しいアメリカの世紀のための計画委員会(PNAC)」の活動が紹介されているのを目にしたときからである。同誌の記事は、PNACについて、「米国が軍事力のみならず、市場経済の完成、女性、少数民族の権利拡張などの実績で、今や世界に誇る本物の帝国を築いた」と主張するグループだと定義したうえで、その考え方として次の四点を挙げていた。

 (1) 旧帝国主義と異なり、領土的な支配は一切求めない新しい型のリベラルな帝国主義であり、米国の新しい「明白な天命」としてポスト冷戦の新世界秩序作りで積極的な責任を果たす。

 (2) クリントン時代に削減された国防予算の大幅な引き上げが必要であり、将来は新マーシャル・プランの発動なども考えるべきである。

 (3) アフガニスタンの国連派遣多国籍軍や行政管理機構、すなわち、新しい国づくりそのものに米国、および米軍は全面的に参画すべきである。

 (4) 当然、イラクのフセイン政権打倒をこの目標に入れるべきである。

 PNAC委員長で、事実上、PNAC機関誌と言ってもいい『ウィークリー・スタンダード』誌の編集長でもあるウィ

リアム・クリストフ氏は同誌の取材に「いまや米国の力は本物だ。この力をどのような責務を果たすために使うのかが、これからの最大の課題だ」と語っていた。

 

 含蓄に富んだPNAC発足声明

 

 早速調べてみると、PNACはクリントン政権下の一九九七年六月三日、骨子次のような「基本方針についての声明」を発表して結成されていた。

 (1) 米国の外交、国防政策は漂流している。保守派はクリントン政権の政策に一貫性がないと批判する一方で、内部からの孤立主義への衝動に対しても抵抗しなければならない。つまり保守派は、世界での米国の役割についての戦略的目標を自信をもって推進してこなかった。米国の外交政策についての指導方針を示していない。そして米国の安全を維持し、新しい世紀における米国の権益を促進するための国防予算確保のために戦っていない。

 (2) 二〇世紀の終幕を前にして、東西冷戦に勝利し、世界で抜きんでた力をもつ国家となった米国は、機会と同時に試練にも直面している。米国は、過去数十年の業績のうえに次の世紀でなにを打ち立てるかについてのビジョンをもっているのか。

 (3) われわれは機会をむだにし、試練に打ち勝てない危険に直面している。外交、国防経費の削減、国内政策についての無関心、指導力の不連続性により世界に対する米国の影響力の維持が急速に難しくなってきている。その結果、当面の脅威と来たるべき大きな試練に対処する能力が危機に瀕している。われわれはレーガン政権の成功の本質、つまり強力な軍事力の維持、大胆かつ米国の価値に忠実な外交の展開、そして米国のグローバルな指導力の発揮──といった条件を忘れようとしている。

 (4) もちろん、米国はその力の行使で慎重でなければならない。しかし、われわれはグローバルな指導力の発揮やその行使のためのコストの支出を避けてはいけない。二〇世紀の歴史はわれわれが米国の指導力が果たす大義を維持し続けねばならないことを教えている。したがってわれわれの目標は、①世界的な責任を果たすための国防費の増強と軍の近代化、②敵対国家との対決のための同盟国との関係強化、③全世界での政治的、経済的自由の促進、④米国の安全、繁栄、原則にとって好ましい国際的秩序の維持と拡大のためのユニークな役割の遂行──の四つである。

 一昨年の九・一一同時多発テロ事件を経た二〇〇三年一月の時点で読み返してみると、いろいろと含蓄に富んだ内容である。現在の肩書きをつけると、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官、リビー副大統領補佐官といったブッシュ政権中枢の面々をはじめとする二五人の保守派が署名している。

 PNACは非営利財団組織で、その活動は、ホームページに『ウィークリー・スタンダード』誌など保守系雑誌や一般メディアでのメンバーの論陣をまとめて日々紹介するほか、一般世論、政府、議会へのロビー活動、さらには「新しい市民のためのプロジェクト」と題して、軍事力増強による米国の指導力の強化の必要性を一般市民に訴えるためのセミナーの開催などが中心である。委員長はウィリアム・クリストフ氏。このクリストフ氏の略歴と両親までさかのぼる「血脈」がPNACそのものの性格を端的に物語っているとみられている。

 まずクリストフ氏の父親、アービング・クリストフ氏は一九二〇年生まれの、高齢ながらいまも辛口の保守派評論家として『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙などで論陣を張る高名なユダヤ系知識人である。第二次世界大戦前はニューヨークでトロッキストとしてならした左翼の闘士、戦後は民主党リベラル派に属したが、七〇年代に共和党系保守派に転じた。アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI:American Enterprise Institute for Public Policy Reserch)を舞台にニューディール以来のリベラル派政策をヤリ玉に上げ、ニューヨーク大学で教鞭をとるかたわら多くの元リベラル派ユダヤ系インテリを「転向」させ、一世代前の「旧ネオコン」のゴッドファーザーと呼ばれ、現在の「新ネオコン」グループの基礎を築いた人物である。保守系企業や富豪からの資金調達にたけ、ワシントンの保守系シンクタンクには貴重な「ブローカー」的存在でもある。

 夫人のゲルトルード・フィンメルフアブ女史も有名なビクトリア王朝文学の研究者で、ニューヨーク市立大学で教鞭をとる。

 その息子であるウィリアム・クリストフ氏がこの父親の足跡とその情熱をそのまま継承する。ハーバード大学卒。母校のケネディ・スクールやペンシルバニア大学で教鞭をとっていたこともある。一九七六年、父親と同じく共和党にくら替えするまでは民主党員。最初はハンフリー支持のリベラル派だったが、七〇年代中ごろ民主党内で対ソ強硬派として特異な存在となっていた故ヘンリー・ジャクソン上院議員(ワシントン州選出)のグループに加わり、同議員側近として現在のPNAC主力メンバーを育てたリチャード・パール氏と出会う。一緒に共和党に移ったあとは、レーガン政権でベネット教育長官の首席補佐官として頭角を現わし、ブッシュ・シニア政権の副大統領クエール氏の首席補佐官を務め、「クエールの頭脳」と呼ばれてネオコン内に重きをなす。九五年に『ウィークリー・スタンダード』誌を創刊、PNAC結成の立役者である。同時に、テレビうつりがいい端正な容姿とも相まって、いまやネオコン全体のスポークスマンとして活躍し、昨年の夏休みにはブッシュ大統領に戦時のシビリアン・リーダーシップの重要性を強調したエリオット・A・コーヘン氏の新著『シュープリーム・コマンド(Supreme Command: Soldiers,Statemen and Leadership in Wartime)』を読ませる剛腕ぶりを発揮した。ジョンズ・ホプキンズ大学のSAIS(School of Advanced International Studeies)所属のコーヘン氏はもちろんネオコン・グループである。

 ここでリチャード・パール氏の役割について触れておかねばならない。ロサンゼルスで育ったユダヤ系市民で六一歳。高校時代にたまたま同級生の父親が後にシカゴ大学でウォルフォウィッツ国防副長官が師としてあおぐことになるタカ派戦略理論の大家、アルバート・ホルステーター教授であったことから、筋金入りのタカ派として育つ。同教授は核抑止力理論に基づく米ソ・デタント路線を正面から批判、ミサイル防衛網整備など「核戦争でも勝つ」国防体制を説くことで知られた。

 プリンストン大学で修士号をとり、AEIを経てジャクソン上院議員補佐官に。その後いまのネオコンたちを率いて共和党へ。レーガン政権の国防次官補。現在はラムズフェルド国防長官の諮問機関、「国防政策委員会」の議長のポストにあり、早くからイラク攻撃を主張、パウエル国務長官の湾岸戦争時のバグダッド進撃中止の判断をいまだに批判し、「パウエルの監視役」を公言するPNACの陰の実力者である。ラムズフェルド国防長官は言うに及ばず、チェイニー副大統領、ウォルフォウィッツ国防副長官との強硬派ビッグスリーの要として、ブッシュ大統領の強硬路線を演出する。ウィリアム・クリストフ氏がPNACの表の顔であるとすれば、パール氏はひたすら黒子に徹し、「暗闇のプリンス」ともあだ名される。

 いまこのパール氏およびPNACに連なる人脈としては、ビッグスリーのほか、副大統領補佐官のリビー、エデルマンの両氏、国家安全保障会議(NSC)メンバーのアブラムス、ジョセフ、ダウニング、カリランドなどの各氏、国防総省では、フェイズ政策担当次官、国務省内にもボルトン次官らがいる。

 ワシントンの政界消息筋の間では、このパール氏とブッシュ・シニア元大統領の国家安全保障問題担当補佐官を務め、共和党伝統の国際協調路線を代表するスコウクロフト氏との間で静かな「影響力の綱引き」ゲームが進行中で、その上にブッシュ大統領が乗っている、とみる向きが多い。スコウクロフト氏に連なるのは、ブッシュ・シニア元大統領、キッシンジャー、ベーカー両元国務長官といった大御所以下、パウエル国務長官、同省政策企画委員会のハース氏、アーミテージ副長官、キャリア外交官出身のグロスマン次官、クリントン政権から留任している中央情報局(CIA)のテネット長官、ネグロポンテ国連大使、中東専門家のジンニ、バーンズ各氏ら。

 しかし、ライス国家安全保障問題担当大統領補佐官は、もともとブッシュ・シニア政権時代の上司であったスコウクロフト氏の秘蔵っ子と言われ、現に同氏の推挙でホワイトハウス入りした背景にもかかわらず、いまではPNACグループに傾斜し、その補佐官ハードレイ氏も同様だという。レーガン時代の国務長官で、ライス女史のスタンフォード大学フーバー研究所時代の師であるシュルツ氏もいまではこのライス女史のスコウクロフト離れを支持しているという。したがって、イラク攻撃準備が進む現時点では、この「綱引き」でのパール・グループの優勢は明らかである。

 

 アメリカ至上主義の激しい主張

 

 このPNACグループがタカ派確信犯が集まった戦闘的な存在である事実を理解しておかねばならない。ホロコースト贖罪意識にさかのぼると言われるユダヤ系知識人特有の激しい「アメリカ民主主義至上主義」の使命感に加えて、民主党リベラル派からの「転向者」という負い目も加わってか、その強烈な戦闘性は、いまのワシントンで突出している。PNACのホームページに集められているメンバーたちの論陣は、国際連合のアナン事務総長の言動、クリントン政権の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政策、欧州各国の国連重視路線、アラファト=パレスチナ自治政府議長、国際犯罪法廷への米国参加問題、気候変動枠組条約京都議定書、さらにはカーター元大統領のノーベル平和賞受賞などを次々とヤリ玉に上げる攻撃一本のタカ派の主張で満ち満ちている。その激しさは、長年、ワシントンで最強、最大のロビイスト集団として鳴らしてきたAIPAC(米イスラエル広報委員会)もびっくりといったところである。一番新しいところでは、昨年度一四%上がった国防費の再増額を要求している。

 私は、二〇〇二年五月、ジャーナリスト復帰後最初の取材旅行で、このPNACメンバーと接触、その激しさに直接触れた。

 この旅の初日、ニューヨークでマックス・ブーツ氏と会った。このときブーツ氏は三三歳。『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙のオピニオンページ担当の現職エディター。カリフォルニア大学バークレイ校からシカゴ大学で学んだあと、エール大学の歴史学者でベストセラー『大国の興亡』の著者として知られるポール・ケネディ教授のもとで学んでいる。『平和のための残酷な戦争──小さな戦争とアメリカのパワーの隆盛(The Savage Wars of Peace: Small Wars and the Rise of American Power)』と題する労作を出版したばかりだった。同書は、アメリカ建国直後、北アフリカで土侯に捕われたアメリカのビジネスマンの救出作戦のため、ワシントン初代大統領がジェファーソンらの反対を押し切って米海軍の創立を決めるエピソードから始まり、義和団事件、シベリア出兵を経てキューバ、フィリピン進駐、ベトナム戦争から最近のボスニア、コソボに至る米軍の大戦以外の「小規模な」軍事行動の歴史を詳述、その成功例と同時に旧植民地帝国と同じような誤りをおかした歴史を一つ一つ検証した労作である。その最終章は「アメリカはこれからも『自由な帝国』として自由な武力行使をためらうべきではなく、そのためのコストは冷戦が解消したいま格段に少ないはずだ」との分析で結ばれていた。

 ブーツ氏と会いたいと思ったのは、PNACのホームページに転載された『ウィークリー・スタンダード』誌二〇〇一年一〇月一五日号に「アメリカ帝国の場合──テロに対する最も現実的な対応はアメリカが帝国としての役割を喜んで引き受けること」と題する論文を発表していたからである。そして私にとっては、PNACの戦闘性を象徴するような論理が展開されていたからである(*1)。私の目に当時、新鮮にうつった主張は以下の諸点である。

 (1) 今日のアメリカが引き受ける帝国的使命は昔のそれとは非常に異なったものになろう。ヨーロッパの帝国主義は、「原住民」を服従させるために戦った。他方、アメリカ人は彼らに民主主義と法の支配をもたらすために戦う。

 (2) アメリカは、これまでクレイ将軍のドイツ、マッカーサー将軍の日本での成功のように歴史的に数多くの統治機構を単独で打ち立てることに成功してきている。今後は、国連や一部のイスラム諸国、重要な同盟国の支援を得て、アメリカが占領軍をリードするような啓蒙された国際的帝国主義が実現すれば、対テロリスト対策は大幅に改善されるだろう。

 (3) アメリカの進攻と占領なしにフセイン政権を葬ることはおそらく不可能であろう。そしてより重要なことは、フセイン転覆後のイラクで何が起こるかということである。フセイン排除後のイラクを放っておくことは、ヒットラー後のドイツと「東条」後の日本を放っておくことに等しい愚行である。われわれはドイツや日本の場合と同じような義務をイラクに対しても負っている。

 (4) 長年にわたって、アメリカはアラブで専制的な独裁者を支援してきたが、いまイラクにおいてアラブにおける最初の民主主義を確立し、アメリカがアラブ人民の自由にも関心を抱いていることを示すよい機会である。

 私とのインタビューでも、まだ童顔が残るブーツ氏は、フセイン政権排除のために武力を行使することがアメリカの義務だと言い切った。「イラク軍の戦力も落ちているし、湾岸戦争時にバグダッド進撃をためらい、その後のフセインによるクルド人などの虐殺と反乱弾圧を見て見ぬふりをしたブッシュ・シニア政権やその後のクリントン政権とは違って、アメリカが本気だということを示せば、イラク国民も立ち上がるだろう。米軍の動員も湾岸戦争時の五〇万より少なくてすむだろう」と明快だった。「『帝国』または『帝国主義』という言葉は、世論の関心を引くうえで一番わかりやすいアナロジーなのであえて使った。要は唯一の超大国となった民主主義の国としての責任をとり、しかも実際の行動に移せということだ」とのことだった。

 私がブーツ氏との話で一番注目したのは、彼が何度も次のように繰り返した部分である。

「フセイン政権を打倒すれば、アラブ初めての民主主義国家を樹立することが可能となり、サウジアラビア、ヨルダン、さらにはムバラク政権のもとでのエジプトまで、独裁政権の圧政のもとにあるアラブ世界に希望の灯をともすという歴史的な価値をもつことになる。アメリカの決意さえ変わらなければ、中東のオポチュニストたちは協力に転じるだろう」。

 つまり、フセイン打倒は民主主義樹立のための戦いだという論理の展開である。

 とにかくブーツ氏の口からは「パールハーバー」、「東条」、「ジャパン」、「マッカーサー」といった言葉がポンポン出てくる。日本人である私を相手に、第二次世界大戦後の日本の民主化を例にとり、いま同じことを中東にすることがアメリカの義務であり、責任であるということをわかってほしいと力説してくれるわけである。

 要するに、中東全体、さらにはイスラム世界全体の民主化のためには、あえてサウジアラビア、ヨルダンなどの王制転覆の可能性まで覚悟したうえで、ポスト冷戦の世界新秩序づくりのために、「自由の帝国」、「領土的な野心のないリベラルで人道的な帝国」としての義務、責任を果たすという一大シナリオの提示だった。

 ブーツ氏のあと、ワシントンで、いまではPNAC副委員長の地位についたトーマス・ドネリー氏とも会った。アメリカン大学卒、バークレイ、プリンストンでも学んだ同氏は『アーミー・タイムズ』、『ディフェンス・ニュース』、さらには『ウィークリー・スタンダード』と並ぶ保守系誌『ナショナル・インタレスト』といった雑誌の編集者の道を歩んだ。いまPNACのメンバーが、日本やドイツに並ぶ米軍事力による民主化達成の成功例の一つとして挙げる、パナマの独裁者で麻薬王と言われたノリエガ将軍逮捕の一幕(一九八九年)についての著書もある人物である。

 その彼もほとんどブーツ氏と同じことを繰り返したが、「アラブ諸国の現在の支配者たちがいま本当に心配しているのはアラファト議長の運命ではなく、国内の民主化運動で自らが葬り去られる可能性ではないのか」と皮肉り、さらに「こうした国づくりは新しい"明白な天命"だ。アメリカという国はそう運命づけられた国なのだ」と言い切った。したがって、ドネリー氏の論理では、イスラエルは中東地域で唯一の民主主義国家として位置づけられる。当時、ブッシュ政権がシャロン政権の強硬路線に同調、パレスチナ国家建設承認の条件としてパレスチナ自治政府の「改革」という名目でのアラファト外しの政策をあらわにしていた時期で、こうした路線もこの「民主主義革命」を求める「自由の帝国」の論理の延長線上でとらえると理解できると思った。

 このドネリー氏はもう一つ気になることを言った。アジアでの彼らのシナリオの一つとして、アジアでも民主主義連合をキーワードに、かつての北大西洋条約機構(NATO)型の新しい国家連合をつくる構想があるというのである。「台湾は民主主義だが、中国は難しいところだ」と述べた。親台湾の立場からの発言であることは明らかだった。その後のブッシュ政権の中国政策はこうした親台湾路線とははっきり一線を画するようになるが、PNACの本音部分は親台湾であることを確認しておいたほうがいい。

 そうしたやりとりはすべて二〇〇二年五月の時点のことである。しかし、このグループの一員であるピューリッツァー賞受賞のコラムニスト、チャールズ・クラウトハマー氏は今年一月三日付の『ワシントン・ポスト』紙上で「中国が北朝鮮の核放棄で米国に協力しないなら、日本の核武装を承認し、日本に核ミサイルを提供することも辞さないと中国に通告すべきだ」との主張を展開していることを報告しておく。

 

(*1) このブーツ氏の論文はその後彼自らが加筆し、二〇〇二年

十一月に発行された『「新しい戦争」時代の安全保障』(田中明

彦監修、『外交フォーラム』編集部編集、都市出版)に「米国

の帝国主義」として収録されている。

 

 

 新版「ベスト・アンド・ブライテスト」

 

 ここで私の頭のなかをよぎったのは、アメリカがかつて、このPNACと同じような純粋なまでの使命感の高ぶりのなかにあった時期があったとの思いである。私はその高ぶりとそのなかでの行動と、そして挫折の目撃者であったからである。

 私は一九六四年十二月、共同通信のニューヨーク特派員として初めてアメリカの土を踏んだ。前年に暗殺されたケネディから政権を引き継いだジョンソンが、いまでも歴史的業績と評価される公民権法など自ら「偉大な社会」計画と名付けた諸法案を成立させ、共和党のゴールドウォーター相手に大差で再選を果たし、アメリカの「ユートピア化」の夢を語っていたころである。そのジョンソンが二ヵ月後、すでにケネディ時代末期からゴ・ジン・ジエム暗殺加担などで混乱状態にあったベトナム政策で、北爆開始、地上軍派遣という直接介入拡大の橋を渡る。「中国が民族解放戦争の一つと位置づけた南ベトナムの共産化を阻止することで、アメリカは世界の医者、あるいは警察官としての役割を果たさねばならない」というのが理由であった。

 私は一九六六年からワシントンに移り、ジョンソンがこの絶頂期の「一手」で自滅への道を歩み、反戦デモ、黒人暴動、ロバート・ケネディ、キング牧師の暗殺と続いた六八年の大統領選挙で、共和党のニクソンが「法と秩序」のスローガンを繰り返すだけでホワイトハウス入りを果たすドラマを取材する幸運に恵まれた。

 このニクソンが中ソ対立を逆手にとった米中和解をはじめとする「ニクソン・ショック」を連発、戦争の「ベトナム化」という名前の敗北を受け入れ、ボロボロになった「世界の警察官」から「国益」第一の「一競争者」への変身を宣言する。世界を変え、冷戦終結の種を蒔く一石であった。

 そして、一九七三年から七五年まで、今度はバンコクを基地とするインドシナ特派員として、五万八〇一一人の米兵の血と二四〇〇億ドルを泥沼に捨てる「世界の警察官」の悲劇、の終幕をベトナム、カンボジア、ラオスの現地でみた。七三年三月二九日、旧サイゴン近郊のタンソニット空港で行なわれた在南ベトナム米軍撤退式でのたびたび途切れるテープから流れたアメリカ国歌と、さびしいさびしい星条旗もみている。

 そして、いま「自由の帝国」の責任として対イラク武力行使、その後の「ネーション・ビルディング」、さらにイスラム世界全体の民主主義化といった途方もない青写真をかかげるPNACのメンバーと接していて、よみがえってくるのは「ベスト・アンド・ブライテスト」という言葉である。「ベスト・アンド・ブライテスト」とは、ベトナム介入失敗後、当時、米軍の直接投入に二の足を踏んでいたペンタゴン制服組やCIAの慎重論を押し切り、ジョンソン大統領にベトナム介入拡大を決心させたバンディ兄弟(マクジョージ・バンディ、ウィリアム・バンディ)やユージン・ロストウ教授ら東部エリート校出身で戦略理論にはたけても実際の政治判断で多くの過ちをおかした大統領側近のパワー・エリートを揶揄した呼び名である。PNACは間違いなく現在の新版「ベスト・アンド・ブライテスト」の集団と言っていい。

 やはり、ここでこの新版「ベスト・アンド・ブライテスト」のスターであるウォルフォウィッツ国防副長官に触れておかねばならない。コーネル大学、シカゴ大学で学んだ保守派の超エリート。シカゴ大で先に述べたホルステーター教授と『アメリカン・マインドの終焉(The Closing of the American Mind)』で知られるアラン・ブルーム教授の影響を受けた。レーガン政権で国務省政策企画委員長、東アジア・太平洋問題担当国務次官補、ブッシュ・シニア政権時代にはチェイニー国防長官の首席補佐官、駐インドネシア大使、クリントン時代にはSAIS所長などを歴任した。

 レーガンの「悪の帝国」発言の信奉者で、実際に「ソ連への核攻撃」も提言して、物議をかもしたことがある。軍事力の増強によって「帝国」としてのアメリカの責任を果たし、世界新秩序を築こうとひたすら説き続ける。昨年の年頭教書でブッシュ大統領が「悪の枢軸」を口にしたとき、ワシントンの誰もが彼の影響を感じ取ったという。

 まさに絵に描いたような新版「ベスト・アンド・ブライテスト」である。ちなみにベトナム戦争については、あまりにもコストがかかりすぎたと批判しながらも、もしアメリカがあそこまでやらなかったら、東南アジアが現在のようになっていたかどうかわからない、との立場だという。したがって、対イラク武力行使についても、「武力行使することのコストと、しないことのコスト、現在行動を起こすことのコストと、あとで行動を起こすことのコストを慎重に秤にかけて考えるべき問題」として「コスト」を基準に決断を下すべきだ、との考え方だという(*1)。

 それでは、ブッシュ大統領はこの新版「ベスト・アンド・ブライテスト」のアドバイスのもと、ベトナム泥沼化の悲劇の再現へと走ろうとしているのか。確かにその可能性はゼロではない。

 しかし、ベトナム戦争との安易なアナロジーを避けなければならない、というのが私の立場である。突きつめて言えば、一九六〇年前半と約四〇年間経った現在とでは、世界全体の枠組み、アメリカの国内の枠組みが大きく違うという事実である。この辺をきちんと掌握しておくことが大切だと思う。

 第一に、かつてジョンソン大統領がベトナム直接介入で苦しんだ足枷、つまり核戦争を避けねばならないという大前提、東西冷戦下、米ソ共存体制を維持しながらベトナムのジャングルでゲリラ戦争を戦わねばならないという条件は、いまの「ブッシュのアメリカ」のどこにもない。東西冷戦構造がアメリカの勝利のもとで完全に消滅し、米軍事力の圧倒的優位が確立し、それを軸にハードからソフトまで硬軟取り混ぜた分野での「一人勝ち」と言われるアメリカのパワーの突出が現実のものとなっている状況である(*2)。

 第二に、米国内にいまベトナム戦争当時のような強力な反戦デモの高まりはまだみられない。私が九月にワシントンを訪れていたときには、チェイニー副大統領公邸へのデモがあった。一九六〇年代に催涙弾と火炎ビンが飛びかう激しい反戦デモを取材した私にとっては、ちょうどワシントンで開かれていた国際通貨基金(IMF)・世界銀行総会へのエコロジストらを中心とする恒例の反グローバライゼーション・デモの一部といった感じで、迫力と盛り上がりに欠けていた。

 同じころバグダッド入りした民主党リベラル派議員三人がテレビに出て「ブッシュ大統領はイラクの脅威を誇張しすぎている」と発言していた。しかし、かつて米人記者を北爆の現場に招いてその意味のなさを報道させ、アメリカ国内に反戦運動という名の「第二戦線」をつくることに成功した旧北ベトナム指導部の故事に学んだと思われるフセイン大統領の思惑は空振りに終わっている。それに一九六〇年代には反戦運動とシンクロしていた黒人の公民権運動や暴動はいま姿を消している。

 この背後には、九・一一の深いショックに根ざすアメリカ世論の強いブッシュ路線支持、つまりフセイン政権による大量破壊兵器使用の可能性という「恐怖の芽」を早くつみとるためには、あえて「先制攻撃」も辞さないとの明快なブッシュ・ドクトリンへの支持があることは言うまでもない(*3)。上下両院も九月の段階でブッシュ大統領に最終的には国連の決議に関係なく武力行使に踏み切れる権限を与えている。決議には、当時の下院院内総務で組合寄りのリベラル派の指導者ゲッパート氏のみならず、本人の否定にもかかわらず二〇〇四年の大統領選挙での民主党候補説が消えないヒラリー・クリントン上院議員らまで賛成票を投じている事実も忘れてはいけない。

 

(*1) 二〇〇二年九月二二日付『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』は、ビル・ケラー『ニューヨーク・タイムズ』紙前編集局長がウォルフォウィッツ副長官に密着取材して執筆した詳細な記事「ザ・サンシャイン・ウォリアー」を掲載、「いまブッシュ大統領に一番影響を与えている人物」と紹介した。

(*2) このアメリカ「一人勝ち」のパワーについては、松尾文夫「したたかな新帝国主義の登場──たかぶる〈ブッシュのアメリカ〉」(『中央公論』二〇〇二年八月号)のなかで報告した。

(*3) このブッシュ支持の背景については、松尾文夫「イラク攻撃準備に見る建国の呪縛──ルビコンを渡るブッシュのアメリカ」(『中央公論』二〇〇二年一二月号)のなかで、建国期までさかのぼる米国内の武力行使カルチャーや、女性の高支持率などについて報告した。

 

 

二つのアイロニー

 

 しかしこれまでの反戦デモの低調ぶりには、アメリカ社会が一九六〇年代のベトナム戦争時とどれだけ違う構造になっているかを示すさらに屈折した理由がある。一月一八日には、ワシントンで厳しい寒さのなか数万人が集まった反戦集会が開かれ、サンフランシスコなどでも同じような集会があった。今後、この動きは加速するものとみられている。

 しかし、この構造的変化の存在は大きいと判断しておいたほうがいい。そのことは、ネオコン、または新帝国主義者がワシントンで幅をきかせている現実と表裏一体の現象である。

 二〇〇二年一二月八日付『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に掲載された「イラクをめぐるリベラル派の悩み」と題するリベラル派の作家、ジョージ・パッカー氏による論文がこの点を明快に説明してくれている。つまり、ベトナム戦争時に反戦運動の指導部を構成した民主党リベラル派やさらにその外側の左翼グループそのものの内部に、「リベラル・ホーク」と名付けられる対イラク武力行使容認派が存在している状況が詳しく報告されているからである。

 ここで言う「リベラル・ホーク」派とは、いぜんとしてアメリカの武力行使のすべてに反対するノーム・チョムスキー氏らとは一線を画し、人道的な立場から人権保護とジェノサイド防止のための米軍事力行使を認めようという考え方のグループである。

 一九九二年、ボスニアでのセルビア人によるムスリム弾圧をNATO軍の武力行使で救済したいわゆるボスニア介入を手始めに、ハイチ、東チモール、コソボ、そしてアフガニスタンと続く少数民族保護、女性差別撤廃──といった人権尊重の側面を多くもった軍事力の行使を評価する立場である。言葉を替えると、これは対イラク軍事介入が、傀儡政権を助けるベトナム型ではなく、ナチスや日本の軍国主義を打倒した第二次世界大戦型と受け止める姿勢でもある。国連でも活発に活動する本来リベラル派の非営利組織(NPO)で人権擁護団体の「ヒューマン・ライト・ウオッチ」の幹部も「人権を本当に守るためにはボスニア、コソボで成功したようにアメリカの軍事力が必要だ」と昨年五月語っていた。

 最近、またクリントン時代の北朝鮮との核問題での合意を鋭く批判する論陣も張り始めた先述のブーツ氏が、唯一クリントン政権の成果として評価するのが、国連安全保障理事会の承認なしで空軍力を中心とする米軍兵力が行使され、いまも約五五〇〇人の米兵がNATO軍の中核として駐留する一九九八年のコソボ危機の解決である。この事実が「リベラル・ホーク」と「新帝国主義者」あるいはネオコンとのアイロニーに満ち満ちた接点を如実に物語っていると思う。

 昨年一〇月再会したこのブーツ氏は、外交問題評議会のオリン上級研究員のポストに移っていた。二〇〇四年、ブッシュ再選となればPNACの若手チャンピオンとしてホワイトハウス入りの可能性もなくはないパワー・エリートの階段をのぼったとみられている。

 そのブーツ氏は「レジーム・チェンジのあとのネーション・ビルディングがこれからの最大の課題だ。アフガニスタンは米軍の関与が足りず、うまくいっていない。ブッシュ政権はなぜか国連の枠にこだわっている。それに現在の米軍内で日本占領のマッカーサー、ドイツ占領のクレイ両将軍のような有能な行政官が育っていないことが問題だ。ウェスト・ポイント〔陸軍士官学校〕とアナポリス〔海軍士官学校〕の教育の質の問題かもしれない」と語っていた。

 しかし、ブッシュ大統領の対イラク政策そのものについては評価を変えていた。昨年五月に会った段階では、九・一一はアメリカが「帝国」としての責任を果たさなかった結果であると力説して、ブッシュ政権がその「反省」のうえに立って、フセイン排除に踏み切るかどうか見守る感じだった。それが一〇月には百パーセント支持。「ブッシュ大統領は六月のウェスト・ポイントの卒業式の演説あたりからわれわれの路線に合うようになってきた」という。

 いま、このブーツ氏はじめPNACの面々が敵対し、感情もあらわに論戦を挑んでいるのがパトリック・J・ブキャナン氏に代表される孤立主義グループであるという事実に注目しておいたほうがいい。

 特に彼らはブキャナン氏が「九・一一はアメリカが建国の父たちの対外不干渉主義の遺訓にそむいて海外の紛争や戦争に惜しみなく金を使って愚かな介入を繰り返す『浪費国家』の産物であり、こうした対外介入路線を続けるかぎり、テロ行為がいつまでも米本土を襲い、いつの日か大量破壊兵器が米国内で爆発するような事態が生まれる。アメリカはいまこそ帝国としてではなく、共和国としての原点に帰って生きるべきだ」を説くことに真正面から反発している。しかし、ブッシュ大統領が二〇〇〇年の大統領選挙運動中には、アメリカの対外活動について「謙虚な」姿勢をとるべきだと主張、「ネーション・ビルディング」への関与には反対していたことで知られている。

 PNACが、いまや対イラク武力行使に対しても「人権」、「民主主義」擁護の旗のもとにその容認に傾く勢力を抱えるリベラル派や左翼ではなくて、同じ保守派としてかつては反共産主義路線で協力し合い、自由、平等、民主主義というアメリカ建国の「価値」も共有するブキャナン氏らと激突するところに九・一一以後のアメリカのもう一つのアイロニーと素顔がある。

 いまブッシュ大統領自らイラク「解放」を口にするところまできた「ブッシュのアメリカ」はこの二つのアイロニーの上にあることを忘れてはいけない。私が感慨を抱くゆえんである。

 ブーツ氏は二〇〇二年一二月三〇日の『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙への寄稿で、ブキャナン氏一派を「古代保守主義」と切り捨てるとともに、返す刀でフセイン排除と武装解除までは同意しても、その後の占領とネーション・ビルディング、中東民主化には「傲慢な夢だ」として躊躇するキッシンジャー、ベーカー、そのグループの指導者としてのスコウクロフト氏をアメリカの力と責任をないがしろにする「現実主義者」と決めつけ、その主張をエスカレートしている。そしてイラク占領と中東全体の民主化まで踏み切らねば九・一一の恐怖は消えないとして、かつて第一次世界大戦後の戦後処理で、国際連盟創設や民族自決という理想主義に基づきアメリカの関与政策を打ち出したウィルソン主義への復帰を、理念だけが先走る「ソフト・ウィルソン主義」ではなく、「ハード」の裏付けをもった「ハード・ウィルソン主義」によって実践するべきだ、と提唱している。

 新年を迎え、米軍増強と同時に国連のイラク査察活動が進行し、ブレア=イギリス首相まで労働党内から武力行使への慎重論で突き上げを受け始めた情勢のなかで、このブーツ氏が属するパール=PNAC=ネオコン=新帝国主義者グループとスコウクロフト=現実主義者=伝統的共和党保守派グループとの「綱引き」は激しくなりつつある。

 当然、スコウクロフト・グループの巻き返しが目立っている。海外でのフランス、ドイツ、国内での民主党からの武力行使慎重論が世論調査でのブッシュ支持にも影を落とし始めた。軍幹部OBの間からも「軍事的勝利は可能でも、そのあとの展望があまりにも不透明だ」と新版「ベスト・アンド・ブライテスト」への批判の声が上がり始めた。ブッシュ大統領のぎりぎりの決断が注目されるゆえんである。事実上の首相として黒子に徹するチェイニー副大統領。ハト派と言われ、スコウクロフト・グループに属するとみられながらも大統領の「兵卒」として粘り強い外交交渉で活躍するパウエル国務長官。ベトナム戦争時のマクナマラの教訓から学んで、新聞発表を自分でこなすラムズフェルド国防長官──と、有能な閣僚を巧みにコントロール、そのリークのなさと規律のよさでは歴史的にも例がない政権だと評価されている「早寝早起き」大統領の真価が問われる時が近づいている。

 

© Fumio Matsuo 2012