2002_12_ルビコンを渡るブッシュのアメリカ(中央公論)

『中央公論 2002/12』

〈ルビコンを渡るブッシュのアメリカ〉

イラク攻撃準備に見る建国の呪縛

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

内外の危惧をよそに、ブッシュ政権のイラク攻撃への意志は、ますます堅固になっていく。イスラム原理主義者のテロは、アメリカ自身のファンダメンタリズムを呼び起こす結果になった。

 

 

 四ヵ月しか間があいていないのに、再訪した「ブッシュのアメリカ」はますます昂ぶっていた。

 ブッシュ大統領はイラクのフセイン政権打倒のための先制攻撃という大きな川を渡る準備に余念がなかった。国土の安全のためには、遠く離れた他国の「レジーム・チェンジ」(政権交替)のための武力行使も辞さないというわけである。

 いまのところ国民の大勢はこれを支持している。なによりも上下両院が事実上大統領に対イラク攻撃のフリーハンドを与える決議を、湾岸戦争時を上回る大差で採択してしまった。

 ブッシュ大統領は当面、両院決議に「条件」として盛り込まれている新たな国連安保理の決議をはじめ、「可能なかぎり広範囲な国際協調」に努力するものとみられている。しかし、それは同時に、フセイン政権に「完全な査察」と「武装解除」の受け入れを突き付け、その不履行または不満足を理由に、攻撃を正当化する外交的な儀式のスタートともいえる。

 最近の『ニューヨーク・タイムズ』紙日曜版雑誌が「いまブッシュ大統領に一番影響を与えている人物」として詳細な密着取材を掲載したばかりのウォルフォウィッツ国防副長官は、十月十八日の演説で「大統領は平和解決を最後まで求める」としながら、「国連の決議があってもなくても、米国とともに行動するという国が出始めている」と、この辺の「本音」を明らかにしている。

 本誌八月号の論文「〈たかぶるブッシュのアメリカ〉したたかな新帝国主義の登場」で紹介した「新帝国主義」の信奉者たちは、さらに高揚していた。

 五月に彼らに会ったときには、「9・11」は歴史的な独り勝ちを果たしたアメリカが「帝国」としての責任を果たさなかった結果であると力説し、その「反省」の第一歩としてフセイン排除に踏み切るかどうかだと、ブッシュ政権の出方を見守る感じだった。

 ところが再会した彼らは、イラクの「ネーション・ビルディング」(国家建設)、つまりポスト・フセインの新しい民主主義国家建設の計画を声高に論じた。彼らはいまや一〇〇%ブッシュ支持である。正確にはチェイニー副大統領、ラムズフェ

ルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官といったこの「ブッシュ・ドクトリン」の構築者、推進者のグループに連な

る。政権主流派としての自負は強烈で、その一人はいきなり「フセイン政権打倒のあと一定期間、隣国トルコの経済救済が重要になる。日本はいくら出してくれるだろうか」と聞いてきた。

 彼の予測では、イラク攻撃開始日は湾岸戦争のときと同じく一月十五日前後ではないかという。米兵が生物化学兵器の防護服を着るためにイラクの気温が下がるのを待たねばならないからだという。

 

 

 象徴的なゲッパートの支持

 

 もちろん、上下両院の承認決議で、三分の一弱の反対票が出た事実でも明らかなように、挙国一致してブッシュ路線が支持されているわけではない。民主党リベラル派のみならず、共和党内でも、かつての主流派で、いまは政権と距離のあるブッシュ・シニアに近い伝統的な国際協調派の友人は「ジュニアは血迷っている。外交問題を知らず、親イスラエル保守派グループのいうままになっている」と感情もあらわに非難していた。

 労組、市民運動グループからもようやく反発する動きが出始め、ワシントン市内では小規模ながら反戦デモも姿を現した。テレビはバクタッド入りした民主党リベラル派下院議員二人が現地から「ブッシュ大統領はイラクの脅威を誇張しすぎている」と発言する姿を伝えていた。

 私は、一九六〇年代後半に、このワシントンで、ジョンソン政権のベトナム介入エスカレーション政策が、高まる反戦運動と、米人記者を北爆の現場に招いてその意味のなさを報道させアメリカ世論を味方につけるハノイの巧妙な戦術の前に立ち往生する過程を目撃している。フセイン政権はこのベトナムの故事に学ぼうというわけである。

 しかしやはり状況は大きく違う。翌日の新聞でのこのバクダッド入り三人組の扱いは小さかった。しかもその三日後の十月二日、下院の民主党最高指導者でリベラル派のゲッパート院内総務がブッシュ大統領とともにTVカメラの前に現れ、「政治的な対立を持ち込むべき問題ではない。フセインの大量破壊兵器使用の芽は早くつまなければならない。アメリカの声は一つにするべきだ」と述べて、大方の予想を裏切ってあっさり大統領支持の決議に賛成してしまった。

『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の敏腕政治記者であるジョン・ハーウ

ッド氏は、このゲッパート議員の行動について、イラク問題でブッシュ支持に傾く国内世論の流れを読んだうえで、バクダッド入りした民主党議員の発言が共和党側から「非愛国者」と非難され、中間選挙戦本番を前に民主党全体のイメージを悪くすることを事前に防いだ巧妙な一石だった、と解説してくれた。

 もちろん、二年後の次期大統領選に出馬するリベラル派のゲッパート議員としては、保守派に貸しをつくっておこうとの個人的なソロバンもはじいたうえでのことだという。最後まで国連に先立つ武力行使容認に反対していた上院のダシュル院内総務も結局、ゲッパート議員をとり込んでしまったブッシュ大統領の軍門に下り、アメリカの声を一つにすることにイエスといった。

 イラク問題は中間選挙後に先送りし、企業スキャンダルや株価低迷に政権攻撃の的をしぼろうとの民主党側の思惑を逆手にとって、両院決議実現に持ち込んだブッシュ大統領の政治力は、湾岸戦争時のブッシュ・シニアよりはるかに上だ、とレーガン政権時のホワイトハウス高官は手放しで評価していた。

 この一幕は、外部からは独りよがりにみえるブッシュ路線に対する米国内の支持の強さを物語る。なぜ支持されるのだろうか。

 

 

 「銃社会」による恐怖からの報復

 

 私は、この問いを抱えながら、九月中旬から三週間、日米関係の資料調査のため、ロサンゼルス、ニクソン・ライブラリーなど南カリフォルニア各地から、ニューヨーク、ワシントン、ボストンを経てメイフラワー号接岸の地プリマス、そしてケンブリッジのハーバード大学と回ってきた。そして多くの人と会ってきた。

 そして、この巨大な空間に根をおろすさまざまな生活と顔に触れ、連日その新聞とTVに接していると、「アメリカは恐怖のなかで生きることはしない。国土の安全を守るためには先制攻撃も辞さない」とのブッシュ大統領の論理が妙に説得力を持って迫ってくるから不思議である。

 自らの安全は自らの責任で守らねばならない現実が身にしみるからである。交番はどこにもなく、パトカーはすぐ来ない。なにかあったら旅の初めにロサンゼルスで購入した携帯電話しか身を守るものはないのかと、思ったとたんの恐怖感は、いまも生々しい。そして、この国で銃規制がなかなか徹底しない現実がわかってくる。

 現に私は、ワシントン近郊一帯をパニック状態に追い込んだ連続狙撃事件の最初の現場近くに一日違いで立っていた。メリーランド大学の近くにある国立公文書館に行くため、地下鉄の駅を上がった駐車場で友人の迎えを待っていたのである。自分も狙われていたかもしれないと思うと、旅行者の私と違って常時自らの安全確保に緊張感を持つことを強いられているアメリカ人にとって「9・11」がいかに大きなショックであったかが実感できる。

 一八一二年の米英戦争で英国の海兵隊が首都ワシントンに上陸、ホワイトハウスを焼き払って以来といわれる本土攻撃、しかもニューヨーク、ワシントンの経済、政治の中枢部が同時に襲われたショックの大きさは、現地でいろいろな人から直接聞くと、やはりなるほどと思う。

 特にハイジャックされた四機目がまだ飛んでいるとのニュースに接したとき、本当に死も覚悟した、という人が多かった。ワシントンやボストンでは「核攻撃をうけるかもしれない」と思った、という人たちがいた。そしてほとんどの人が肉親や友人に電話を掛け合った、という。

 逆にいえば、日頃慣れ親しんだ自らを自らで守る銃社会の秩序やルールを超えて突如としてやってきたのが「9・11」の恐怖ということになる。未解決の炭そ菌事件をはじめ、今度の連続狙撃事件まで、すべてをまず「テロではないのか」と、身構える恐怖のサイクルが静かに深く尾を引いているのだという。

 いまフセイン政権打倒で大量破壊兵器使用の危険を早く除去したいとのブッシュ大統領の強硬路線を、インテリではなく普通の市民、したがって国民の多数が支持する背景には、この「9・11」の原体験がある、という。この自らが経験した恐怖に対する「報復」、そして再発防止を求めるアメリカ人の深層心理は、きちんと理解しておいてほしい、とその友人はいう。

 その意味で「9・11」はアメリカの銃社会への挑戦、挑発でもあった。

 明るく気さくで、自らを「非インテリ」と位置付け、短いセンテンスで区切る演説でわかりやすくたたみ込んでくる「体育会系」大統領は、少なくともこう

した国民の「本音」、あるいは「恐怖」の部分を掌握しているのだ、と思う。

 九月十九日の『USAトゥデイ』紙は、同紙とCNN、ギャラップとの合同調査で女性の五八%がフセイン打倒のための米地上軍投入を支持しているとの結果が出た、と報じていた。男性の支持は五六%で、男性の六七%にくらべて女性の支持は四五%だった九一年の湾岸戦争の時と逆転しているという。

 この「驚くべき結果」の理由として、「9・11」が立証した国土の安全に対する不安の大きさ、子供たちを生物・化学兵器によるテロの被害から守りたいとの願望、アフガニスタン攻撃の経験から米軍死傷者の数が少なくすむと考えたこと、などが考えられるとしたうえで、同紙は「アメリカの子供たちを守るために」と説くブッシュ大統領が女性の信頼を得ることに成功、「発言が一貫していて誠実だと、好感を持たれている」と解説していた。この政治的意義はいうまでもない。民主党が軍門に下る理由である。

 

 

 武力行使の歴史

 

 一方、ワシントンではちょうど、IMF世界銀行の年次総会とぶつかり、重装備で固めた警官隊がむきだしの力でグローバル化反対のデモを押さえ込み、あっという間に六〇〇人以上を逮捕してしまう現場を目撃した。総会参加者の小人数の移動でも、前後を二台のパトカーがけたたましいサイレンを鳴らしながら護衛していた。しかし、私には、このものものしい警備ぶりを一般市民が当然のことのように平然と受け入れていることの方が印象的だった。

 市民一人一人の安全は個人の責任にまかせる一方で、その委託を受けた権力側には秩序の維持という名目で容赦のない力の行使を認めるところに、アメリカの銃社会のもう一つの顔があると思った。「対テロ戦争の一環」というだけで明らかに憲法の人権条項に違反する予防拘束などがいまも大きな反対もなく続いているのもこうした顔の一部である。対イラク武力行使支持は間違いなく、この延長線上にある。この側面は重要である。きちんととらえておいた方がいい。

「規律ある民兵」という呼び方で人民に武装の権利を保障した合衆国憲法修正第二条が、全米ライフル協会を中心とするガン・ロビーにとってその銃砲規制化反対運動の錦の御旗となっていることは、周知の事実である。連邦最高裁は歴史的に、民兵という独立戦争のヒーローたちの定義についつい及び腰で、「修正第二条は現在の州兵制度を認めたもので、個人の武装を認めたものではない」との下級審の判例に異を唱えないといった形でしか立場を明らかにしていない。

 したがって二年前の世論調査では、アメリカ国民の八五%までが銃保持は憲法上許された権利だと信じているという。

 しかし、この錦の御旗は建国当時、強力な州権第一主義者に対して、連邦中央政府の存在を「必要悪」として憲法に盛り込むことを認めさせた代償として、この「必要悪」を見張るためにも人民の武装を認めるとの論理ででき上がった歴史をもつ。成立したばかりの憲法に、権利章典の一部として追加された。

 つまり、アメリカ建国の父たちのいわゆる「妥協の束」の一つであったわけである。一七九一年のことである。

 その後、この「必要悪」は巨大な政府機構となり、世界一の常備軍を生み、この二十一世紀、その力はアメリカ独り勝ちの覇権を全世界に確立する。そして見張り役としての市民も「民兵」の後継者として自らの武装を正常化する。

 ブッシュ大統領の対イラク武力行使は、この建国期までさかのぼる二重の銃社会のうえに組み立てられ、支持されている。

 こんなアングルが必要なのではないかと考えながら、一六二〇年のピルグリム・ファーザーズ上陸の地、プリマスを訪れた。上陸前、メイフラワー号船内で、五一人のピューリタンと五一人のよそ者と呼ばれた、いまでいうベンチャー一旗組たちがともに生き延びるためにと、「契約と合意による政治権力の創出」を約束し、アメリカ民主主義の原点となったといわれる「メイフラワー誓約」発祥の地を一度見たかったからである。

 復元され、当時のままの生活が再現されているメイフラワー号とプリマス・プランテーション、そして上陸第一歩が記されたというプリマスロックが多くの観光客でにぎわっていた。プランテーションでは、先住していたインディアン、ワンパノアグの集落も再現され、オリエンテーションでは「ピルグリム・ファーザーズ」という「新しい種類の人たち」が来る以前の、白人による略奪についての記述もあって、最近のマルチ人種パワーの定着への配慮がうかがわれた。

 しかし、プランテーションの集会所の二階には大きな大砲が六門すえられ、全周に砲口を向けていた。そもそも一〇二人が乗ったメイフラワー号は、資金が許すかぎりの武器を積み込んで大西洋を渡った。「新しい種類の人たち」は同時に当時としては強力な武装集団でもあった。

 復元されたメイフラワーⅡ号の船上に「アメリカ合衆国憲法の先駆けとなった」と誇らしげに表示されている「メイフラワー誓約」は、この武力によるインディアンの制圧のうえに花開くことができた。

 アメリカという国は、その第一歩から自由、平等の精神の保持とともに、武力行使の歴史であった事実を忘れてはならない。いま「ルビコン川」を渡ろうとしているブッシュ大統領の歩みも間違いなく、このアメリカ建国期の呪縛とアイロニーの軌跡のうえにある。

 自らの犠牲も覚悟のうえで、いまあえて世界中でテロとの戦いを繰り広げるタフな遺伝子はこの辺から生まれているのだ、とつくづく思う。「9・11」というイスラム・ファンダメンタリズムの挑発によって、自らのファンダメンタリズムに火がついたともいえる。

 ブッシュ大統領とその政権は、いま悪びれずこの「原点」で突っ走っている。「アメリカは他の国と違って、すべての人は平等で自由だという全人類へのメッセージを手に世界に登場したのだ。アメリカ国民は一つであり、一人へのテロ攻撃も全体への攻撃だ。反撃する」(ブッシュ大統領、七月四日、西バージニア州リプレイでの独立記念日の演説)。

「アメリカはイラクだけでなく、中東全体の解放者だ。アメリカは特別な位置にいる。歴史上かつてない軍事的優位と自由と民主主義という価値観が完全に結ばれているからだ。旧ソ連が東西冷戦で勝っていたら、いまモスリム社会で始まろうとしている民主化と自由の行進はなかった」(ライス大統領補佐官、九月二十三日、『フィナンシャル・タイムズ』紙とのインタビュー)──といった具合である。

 建国の父たちもびっくりの「特別な国」としての使命感である。

 

 

 「さあ、かかろうぜ」のアメリカ

 

 そしてブッシュ大統領は「アメリカにはいまや、『さあ、かかろうぜ(Let'sroll)』という新しい責任と犠牲の倫理と信条が生まれた。この地上で最強の国は、悪の攻撃から信じがたい善を得た」(八月十五日、南ダコタ州ラシュモアでの演説)と繰り返し説く。

「さあ、かかろうぜ」とは昨年九月十一日、ハイジャックされた四機目の乗客の一人がテロ犯人取り押さえに向かう直前、携帯電話に残した言葉。飛行機は墜落。犯人は目的を果たせなかった。この勇敢な乗客ビーマー氏の未亡人リサさんは「さあ、かかろうぜ」と題して夫婦の記録を出版、たちまちベストセラー入りしている。「ブッシュのアメリカ」は「さあ、かかろうぜ」のアメリカと思っていた方がいい。

 こうした、昂ぶりに対し「歴史の終わり』で高名なフランシス・フクヤマ教授は『ワシントン・ポスト』紙への寄稿で「アメリカの過剰な反応は、アメリカとその政策そのものを世界の頭痛のタネにしてしまう」と警告していた。

 しかし、久しぶりに食事をしたキーTV局のホワイトハウス特派員は「大統領はこれまでの発言で、政治的に引き返せないところまで来ている。本人も十分これをわかっていて、いまでは歴史的な使命感として自らを正当化しつつあるのではないか」と語っていた。

 そして、彼は最近の電話で、「金正日が態度をがらりと変えてきたことと、イランも似たような状態になってきたことは、『悪の枢軸』外交の成果だとホワイトハウス内部の士気は高い。ここにきて、軍事包囲網を強めれば、亡命、クーデター、暗殺、あるいは自殺といったかたちでのフセイン大統領の排除が実現するのではないかといった楽観論がまたでてきている」と話していた。

 イラク政策の是非はともかく、ブッシュ政権のスキのない運営ぶりに対し、ワシントンに長年居座る政治プロから、党派を超えて高い評価が与えられている事実も報告しておかなければならない。

 依然として勝手なリークがほとんどない政権全体の規律のよさは歴史的にも例がないという。ベトナム戦争時、サイゴンとワシントンとの新聞発表の食い違いに立ち往生した当時のマクナマラ国防長官の教訓から学んだラムズフェルド国防長官は、自らをメディアに露出し、ほとんどの新聞発表を自分でこなす。いまやテレビの人気者扱いである。

 マーケットでは評判のよくないオニール財務長官もその反ウォール街発言が、大企業寄りのブッシュ政権にとって政治的な免罪符の役割を果たしているという。

 ジョギング人間の専門誌『ランナーズワールド』(発行部数五二万部)、ワイン愛好家の専門誌『ワインスペクテーター』(発行部数三二万五〇〇〇部)といった隠れた有力媒体に、早朝ジョギングが習慣のブッシュ大統領以下、ホワイトハウス高官を登場させるメディア対策へのきめの細かさも評判である。高名な女性雑誌『ヴォーグ』(発行部数一二〇万部)には、なまめかしい黒いイブニングドレスで正装した大統領補佐官のライス女史

が登場していた。

 事実上の「首相」として黒子に徹するチェイニー副大統領。ハト派と言われながらも、ブッシュ大統領と信頼関係で結ばれ国連相手の粘り強い外交交渉などで活躍するパウエル国務長官。依然として早寝早起きを続ける大統領の安定感のもと、政権のチームワークの良さは、三つの派閥が抗争を繰り返していたレーガン政権とは比べものにならないと、元高官氏は感嘆していた。地味で堅実なファーストレディ、ローラ夫人の内助の功も大

きいという。「戦争をやる政権としてはこれ以上の顔ぶれはない」と、一九六八年の大統領選挙以来の付き合いである民主党員は憮然としていた。

 そして、いまベトナム戦争のころに生まれた「新帝国主義者」グループは、あっけらかんとその「レジーム・チェンジ」と「ネーション・ビルディング」のシナリオを語る。

 フセイン政権打倒作戦は湾岸戦争時よりも難しくなく、早く済むのだという。長くて三〇日間。最初の二四時間で完全な制空権を握ったあと、最新の精密誘導技術を駆使した有人、無人の空爆と、特殊部隊から装甲部隊まで各種の最新地上戦力で構成する小規模の高速進攻部隊のコンビで、七二時間以内にフセイン大統領の司令部、宮殿、親衛隊、軍事施設を攻略できるという。同大統領に油田地帯や近隣諸国を攻撃したり、生物化学兵器を使用したりする時間を与えないという。

 バクダッドのほか南部でバスラ、北部でモスイの二都市とフセイン大統領の出身地であるティクリートを占領すれば十分で、湾岸戦争時に比べて三〇%も戦力が低下しているフセイン政権相手の戦いで、米軍の戦死者は湾岸戦争時の三八二人より少なくてすむかもしれない。──と具体的である。

 フセイン政権打倒後の「ネーションビルディング」についても、アフガニスタンやバルカンと異なり、イラクは石油資源に恵まれた経済力、教育水準の高さ、行政機構の整備など国家としてのインフラが整っており、二二年間のフセイン独裁が取り除かれれば、民主主義国家の建設は容易だ、とかぎりなく楽観的である。「一九八九年、麻薬王ともいわれていたパナマの独裁者、ノリエガ将軍を米軍の介入で逮捕、米国内に連行した結果、パ

ナマに民主主義が根付いた例を思い出してほしい。こんどのフセイン打倒はパナマの場合を大規模にしたものにすぎない」とまでいう。

 フセイン後は、ロンドンに本部があるイラク国民会議議長のチャラビ氏を軸に、九つもある反体制グループの協調体制がとりあえず軌道にのりだした、という。

統一政府が望ましいが、クルド族、シーア派らの一定の自治を前提にした連合政府も一つの選択肢だったという。

 昨年十月、いまや「新帝国主義」の機関誌として有名になり、ホームページも有料化した『ウィークリー・スタンダード』誌に「テロに対する最も現実的な対応はアメリカが帝国としての役割を喜んで引きうけること」と題する論文を発表して以来、このグループを代表する論客となった『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の論壇担当エディター、マックス・ブーツ氏は十月から外交問題評議会の上級研究員となり、パワー・エリートの階段をのぼる。

 同氏は「ネーション・ビルディングがこれからの最大の課題だ。アフガニスタンでうまくいっていないことは承知している。米軍がもっと関与すべきであるが、ブッシュ政権が国連の枠にこだわっている。これが政権に対する唯一の不満だ。それより現在の米軍部内にかつての日本占領のマッカーサー元帥のような行政官が育っていないことが一番問題だ。ウエストポイントとアナポリスの教育の質の問題かもしれない」という。

 突っ走るアメリカ独り勝ちの重荷を、この三十三歳のブーツ氏が一身に背負っているように思えた。

 

 

 そして「どうでもいい」日本

 

 ブッシュ政権およびアメリカ全体がこれだけ昂ぶるなかで、日本との関係は二次的なプライオリティにとどまっているとの見方が日米双方の関係者の間でコンセンサスとなっていた。

 ロサンゼルス在住の日本で教えたこともある専門家は、「ジャパン・バッシングから、パッシングの時代も去っていまやフー・ケア(どうでもいい)状況になった。日米関係は一握りの関係者が、うまくいっているようにうわべをとりつくろっているだけで、内容は空虚なものだ」と厳しいコメントだった。

 旅の途中に平壌宣言が飛び込んだ。ブッシュ大統領を「血迷っている」と嘆いたさきの共和党旧主流派の友人からは、「硬直したブッシュ外交に一矢をむくいた日本外交のヒット」とのコメントが返ってきた。しかし、こうした反応は少数派で、政権の立場に近い人ほどクールな対応が目立った。今年春の新帝国主義グループ内の討議では、北朝鮮にはイランともども「悪の枢軸」の脅しが効果を上げており、金正日総書記は一〇〇%手を上げる方向と分析されていたという。最終的には東西ドイツの時のように韓国にまかせ、米国はそれを支援すればいいというのが結論だったという。

 その一人は「日本は米中関係が相対的安定期に入ったいま、統一朝鮮との安全保障を在日米軍の役割とからめ、どう考えるかという段階に来ているのではないか。在日米軍がいなくなってもよいのかという問題だ」と指摘した。

 したがって、放っておけば手を上げるのに助け舟をだした、といった不快感がホワイトハウスの一部にあったことは間違いないといわれている。平壌訪問公式発表前の小泉首相からのブッシュ大統領あての電話が、なかなかつながらなかったという情報を教えてくれる人もいた。

 しかし、「日本の拉致問題交渉のおかげで、拉致や旅客機爆破といった小さなテロは、もうやらないだろう。これは大きな成果だ。しかし、核をはじめとする大量破壊兵器がからむ大きなテロの防止はこれからで、日本の協力も必要だが最後は米国が出ていかねばならない」と同グループの一員でペンタゴン系シンクタンクの研究員は解説してくれた。北朝鮮の核開発については何も明らかになっていなかった段階での、含蓄のある発言であったと思う。

 一方で、これまで米韓および米朝関係の橋渡し役として長い実績をもつ元高官は、平壌の「金策工業綜合大学」からITを学ぶ学生六〇人を、ニューヨーク州のシラキュース大学に受け入れる計画が民間レベルで進行中で、十二月にも実現の方向であると語っていた。すでに六月に両大学の間で小規模の交換留学が実現していたという。同高官は、金正日総書記が「9・11」を契機に親米路線に切り替わったパキスタンのムシャラフ大統領のようになればいいのだ。ニクソンと握手した毛沢東のようにもなれる。そのために対話を絶対やめてはいけない、との意見だった。

 ニューヨーク滞在中の九月二十三日、日本協会が主催して手回し良く、「北朝鮮での小泉=日米の外交政策についての影響=」と題するパネルが開かれていた。最前列には、北朝鮮の国連次席大使と韓国の国連大使が一緒に並んで座っていた。ワシントンと平壌の間には、東京─平壌よりは太い多面的なパイプの実績があると思った方がいい。

 日米関係で、みんなの意見が一致するのが、日本の経済力の展望への懸念だった。ちょうど日銀と金融庁との対立が伝えられたときでもあって、日本経済の再浮上のための政策展開を可能とする政治指導力の不在が嘆かれていた。そして、いまアメリカのファンドがビジネス・チャンスとして関心を抱く不良債権問題が早急に解決できないと、本当に「フー・ケア・ジャパン」になってしまう、という点でみんな一致していた。

 日本に駐在したマーケット関係者は「結局、アメリカがミスター・竹中を支えねばならないのだろうが、そのことは日米関係にかなり悲劇的な事態をもたらす」と深刻な表情だった。

 いつものようにワシントンから成田行きANA直行便に乗ると太陽はまたいつまでも沈まない。この西への旅で太陽の祝福を受ける「アメリカという国」のファンダメンタリズムと、日本はどうつき合って行けばいいのか。毎度のことながら、重い帰国の時間であった。

© Fumio Matsuo 2012