渋沢栄一記念財団 機関誌「青淵」(二〇〇五年十一月号)
「アメリカという国」を考える(その三十)
──ハリケーン災害と「遭遇」の旅──
松尾文夫(ジャーナリスト)
「アメリカという国」をいやというほど考える旅をした。
次の著作のためのリサーチ継続のため、八月三十日から九月十二日まで、またアメリカ各地を東海岸から西海岸へと回った旅の中で、「カタリーナ災害」というこの国の非常事態と出会ったからである。といってもニューオーリンズの現場に行ったわけではない。もっぱらピーク時には二十四時間生中継のテレビにかじりつき、連日大見出しがおどる新聞各紙にこまかく目を通しただけのことである。
しかし、例年のハリケーン禍としては、アメリカ史上例のない被害を出した「国難」に対する国を挙げての対応を、二週間観察する機会を得たことは幸いだった。「アメリカという国」がさらけだした素顔に接することが出来たからである。
奴隷売買の光景
こんどの「カタリーナ災害」が、ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ──とかつてディープ・サウスと呼ばれたアメリカ五十州のなかの「最貧州」を襲ったこともあって、超大国アメリカの恥部が全世界にさらされた。非党派のシンクタンク、ニュー・アメリカ財団によると、州内の一家族あたりの純資産では、ミシシッピ州が全米最下位の五十位、ルイジアナ州が四十九位、アラバマ州が四十四位だという。
ディープ・サウスとは、いうまでもなくかつての奴隷州である。つまり、「カタリーナ災害」は、アメリカが過去半世紀、さまざまな対立や障害を克服しながら前進させて来た人種統合の歩みが積み残して来た、黒人差別と貧困の存在を、満天下に告知することになった。かつて最大の黒人奴隷市場としても栄えたニューオーリンズ市の約八〇%が浸水し、市内の人口約四十五万人のうち、車を持たない約十万人の黒人やヒスパニック層がスーパードームやコンベンション・センター内にひしめき合った。行先もわからない救出バスに一家ばらばらで乗せられる惨状を伝えるテレビの黒人レポーターは、「アメリカにまだこんなところが残っていたのか。奴隷売買の光景と同じではないのか」と絶叫していた。
一九六八年のキング牧師暗殺前後の白人と黒人の激しい対立の時代を取材している私は、この時、ニューオーリンズで黒人暴動が起こるのではないか、と真面目に思った。当時、「ホット・アンド・ロング・サマー」と呼ばれた夏になると、かならず大都市の黒人ゲットーで暴動と略奪が繰り返されていたからである。
黒人暴動は起こらなかった
しかし、暴動は起こらなかった。ここが肝心なところだと思う。黒人の救出の遅れがピークに達していた八月三十一日夜、テレビに登場した十人におよぶ黒人の下院議員団とNACCPなど最近ではすっかり目立たなくなっていたかつての黒人差別撤廃運動団体の幹部は、口々に黒人が取り残された状況を非難しながらも、全員の発言が「人種差別としてではなく、アメリカ全体の悲劇として受けとめよう」、「黒人を救うのではなく、貧しいアメリカ人として救おう」という論理で一致していた。六十年代の「アメリカという国」そのものへの憎悪は姿を消していた。いま黒人ながら国務長官の要職にあるライス女史がアラバマ州の故郷を激励に訪れ、「ともにアメリカ人として頑張ろう」と呼びかけるところに象徴される黒人「とり込み」の実績を肌で感じた。暴動が起こらない理由だと思った。
ブッシュ大統領も九月十五日のニューオーリンズからの全国向け演説で、被災地域に「人種差別で始まった深刻で根深い貧困が存在する」事実を卆直に認め、ニューオーリンズなどの復興を「アメリカという国に住む人間としての機会を何世代にわたって奪って来た差別をルーツとする貧困を一掃する大胆な行動」の一部として位置付けていた。
黒人差別が一朝一夕にはなくならないものの、「カタリーナ災害」の試練を経たあとの、アメリカの多元的な人種パワーの強さ、すなわち黒人自らが「アメリカ人」と意識するところまで来た「前進」を見すえておかねばならない。とかく日本人が見失いがちな現在のアメリカの素顔である。
「オーナーシップ社会」建設のチャンス
もう一つは、ブッシュ大統領の立場にっいてである。州兵部隊などの本格的な救援活動が四日間も遅れた。災害対策専門の連邦政府機関で、過去にはハリケーン対策でも実績があるFEMAが二年前にテロ対策重視の国家安全保障省に統合され、幹部を含めて弱体化、初動につまずいた。昨年からの同省の二百二十二回の演習中、ハリケーンを対象としたのは二回だけだった。いまブッシュ大統領は、こうした連邦政府の不都合への責任を一身にかぶり、支持率もニクソン以来の最低水準に落ちた。
しかし、ここでも、素顔をとらえておく必要がある、と思う。
九月末現在、七回も現地入りし、体を張って復旧活動を指揮しているブッシュ大統領は、次に来た「リタ」ハリケーンの被害を早目の大量避難でしのいだこともあって、国民の支持を取り戻しつつある。そして、この「カタリーナ災害」の復興活動で、かねてからのブッシュ路線を一〇〇%全面に押し出そうとしている。この辺を見逃してはいけない。つまり、ブッシュ大統領が、これを機会に、これまであまり実績を上げていない「オーナーシップ社会」政策を、災害復興の名分のもとで、一気に実行に移すかまえをみせているということである。
復興工事での環境対策などの規制の緩和、各種減税、母校を失った学生のための学費バウチャーの支給、さらには、折りからの精油供給不足対策もかねて、ルイジアナ州をはじめ、ハリケーン禍のメキシコ湾に集中し、厳しい環境、大気汚染規制のため、一九七六年以来新規工場の建設がストップしている石油精製業に対する「特別措置」の検討も具体化している。
そして「オーナーシップ社会」政策そのものである土地付持ち家制度を、ニューオーリンズ地区だけでも家を失った約二十五万世帯を対象に、一八六二年の西部開拓時代の自営農地法の故事を、いぜんアメリカ国土の三分の二を所有している連邦政府の土地の一部を開放することで、再現する提案までとび出している。昨年の再選とともに上下両院も制したブッシュ政権のしたたかな二枚腰は注意しておかねばならない。
従って、やはりいまブッシュ大統領をウオッチする時、一番のカギは受身の災害ではなく、自ら始めたイラク戦争の行方だと思われる。総額二千億ドルという被害を復旧する財政資金とイラク戦費の「二重苦」は、このブッシュ政権の二枚腰だけで乗り切れるものでないことははっきりしているからである。
その意味で、イラクでの民主主義建設の一里塚となり、アメリカ軍撤収への名目を与えることになる十月十五日の憲法信任投票の結果は、決定的に重要である。「カタリーナ災害」が、あと三年間のブッシュ政権を待ったなしの勝負に追い込んだことを肌で感じて帰って来た。
(十月一日記)