東アジア歴史和解のために「相互献花外交」の提言
まず鳩山首相が真珠湾で鎮魂の花束を
松尾文夫/ジャーナリスト
歴史問題に決着をつける
二〇〇九年九月に民主党政権を出現させた日本国民の選択は、日本の外交に大きなチャンスを与えていると思う。八ヵ月前のアメリカでのオバマ大統領の登場とも連動して、かつてない選択の窓が開いている。友愛精神をかかげる鳩山首相が九月の国連気候変動サミットで、温室効果ガスの大胆な削減目標を国際公約として表明することで、日本の首相としてはかつてない積極的な外交デビューを果たしたことでもあり、歴史的と言ってもよいチャンスが開けている。
その一つに、あの第二次世界大戦の敗北から六十四年もたちながら、日本がドイツとは対照的に、いまだに達成できずにいるアメリカ、そして中国、韓国など近隣諸国との歴史和解をまとめて一気に実現し、長年放置されてきた歴史問題の幕を閉じるという大事業がある、と私は思う。
具体的には、その第一歩、礎石づくりとして、日本とアメリカが、まず鳩山首相によるハワイ真珠湾上にあるアリゾナ記念館訪問・献花、オバマ大統領による広島の原爆慰霊碑訪問・献花の実施で合意し、さらにこの相互献花という鎮魂の儀式の輪を中国、韓国、さらには北朝鮮、ロシアといった近隣諸国、そして最終的には、かつてあの悲惨な戦争で犠牲者を出したすべてのアジア、太平洋諸国との間にも広げてゆく外交イニシアティブを展開すべきだ、というのが私の提案である。
これは地球温暖化問題に続く第二の「鳩山イニシアティブ」となりうると思う。この場合の広島は、長崎とともに、原爆が実戦で使用された史上初めての都市であるのみならず、あの戦争の日本人犠牲者約三〇〇万人全体を弔い、日本とアメリカとの間に残る最後の刺を抜く鎮魂の場の代表として最適の場所と位置づけたい。
そして、できることならば、十一月十二日のオバマ大統領初訪日の際の日米首脳会談で、鳩山首相から、来年以降、しかるべきタイミングで自らが真珠湾を訪れ、アリゾナ記念館で献花を行う用意があることを表明し、これを受ける形で、同じく来年以降、しかるべき時期にオバマ大統領が広島平和記念公園の原爆慰霊碑に献花することで、オバマ大統領の合意を取り付け、発表するのがのぞましい。そしてその合意の発表の際には、はっきりとこの日本の献花外交は、アメリカだけにとどまらず、今後、近隣諸国首脳との間でも実行することを明らかにし、東アジア全体の歴史和解の実現を目指す鳩山外交の支柱として位置付けることが不可欠と考える。
民主党が、「日本外交の基盤として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす」と明記したマニフェストのもと、新しい日米関係を構築し始めた折、こうした日本と東アジア全体との歴史和解の達成とも連動したアメリカとの最終和解は、その「対等な日米同盟関係」に最も安定した枠組みを提供することを忘れてはならない。今、民主党政権がオバマ政権との間で直面しているインド洋給油継続問題、沖縄普天間基地移設問題などでの困難な折衝に折り合いをつける上でも、こうした「急がば回れ」式の、アメリカ、日本双方にとっての前向きな展望の提示が急務である。
この点で、十月九日のソウルでの日韓首脳会談後の共同記者会見で、鳩山首相が明確に「歴史問題」の解決にコミットした意義は大きい。鳩山首相が「私には常に、歴史に対して前向きに、常に正しく歴史を見つめる勇気を持たなければならないと申し上げてきたところであり、そのことを新しい政権の中でも大変重要な考え方として位置づけていきたい。すなわち言うまでもないが、かつてのいわゆる村山談話、その思いを一人一人の政府あるいは国民が大変重要な考え方だと理解することがまず非常に重要なことだと考える」とはっきり述べたことが生きてくる。
こうした明確な発言は、日米の相互献花を中国、韓国、北朝鮮、さらにはロシアまで含めた近隣諸国首脳との間にも拡大することを容易にするもので、特にいまだに事実上の敵対関係にある北朝鮮との間でも、平壌にある革命列士陵と広島での日朝首脳による相互献花の実施は、拉致問題の解決を含めた関係改善のための「信頼醸成」(二〇〇二年九月の日朝平壌宣言に明記)の努力の一つとして役立てることを可能にする。私が日本外交にとっての歴史的チャンスと言うのはこのことである。
中国との関係で言えば、盧溝橋の中国人民抗日戦争記念館と広島との間だけでなく、日本軍による中国民間人虐殺の場所として刺が残り続ける南京、さらには日本軍の無差別爆撃を受け続けた重慶と広島での日中首脳の相互献花も当然日程に上がってくると思う。
プラハ演説からの変化
もちろんこうした提案が簡単に実現するとは思わない。十一月のオバマ訪日時での合意も無理かもしれない。にもかかわらず、私が今、鳩山外交への期待を込めて、こうした声をあげ、相互献花外交のシナリオの実行を提案するのには、理由がある。
四月のプラハ演説の中でオバマ大統領が「アメリカには核兵器を使用した唯一の核保有国としての道義的な責任がある」と明言して以来、広島、長崎をはじめ日本国内で高まっているオバマ大統領の被爆地訪問への期待と「オバマのアメリカ」の現実とのズレが心配だからである。
オバマ大統領は八月以降、想定外の苦境に直面している。アメリカ再生の目玉として打ち出した医療保険制度改革法案が意外なまでの国内保守派の抵抗の盛り上がりに直面して、立ち往生状態となり、二〇十六年五輪シカゴ誘致にかかわってしまった失敗を含めて、支持率も下がった。少なくとも政権発足当時の救世主のイメージは姿を消している。つまり四月のプラハ演説のころとは様変わり厳しい政治的現実に直面しているわけである。
おまけにアフガニスタン情勢の悪化で米軍増派に踏み切るかどうかの瀬戸際に追い込まれている。そして、十月に入ってのオバマ大統領のノーベル平和賞受賞に対するアメリカ世論の冷めた対応がすべてを象徴するように「核兵器なき世界」のオバマ・テーゼに対するアメリカ国内での支持は決して広がりを見せていない。この日本との温度差も知っておかねばならない。
十一月のオバマ大統領訪日時の広島訪問・献花の見送りは、公式には一泊二日の短い滞在日程のためと説明されている。しかし、実際には「戦後、アメリカの大統領が誰一人訪れていない広島にオバマ大統領が行くこと自体、アメリカという国にとって限りなく政治的で、感情的で、象徴的な重い問題だ。一つの対処を間違うと日本との関係の将来に重大な影響を及ぼす」(日本事情にも通じた有力アナリスト)と分析される課題に、オバマ大統領とホワイトハウスそのものが実情だと思われる。
意外なことにアメリカ側は、戦後、何回か日米最終和解の一石として大統領の広島訪問を検討している。『朝日新聞』は九月十五日の一面トップで「ミシガン州のフォード大統領図書館に保管されていたホワイトハウス内部資料から、一九七四年十一月のフォード大統領初訪日の際、日米和解と軍縮の訴えのために広島訪問を真剣に検討したことが明らかになった。しかし、日本の古い敵意に再び火をつけ、左翼にもつけ込まれるとの理由で実現しなかった」と報じた。
これは貴重な資料である。そして私自身の取材でも、一九九五年の戦後五〇周年、二〇〇五年の同六〇周年の二回、東京のアメリカ大使館で当時のクリントン大統領の広島訪問案が討議された事実を確認している。アメリカにとっても大統領の広島訪問は重い問題であり続けているのだ。
私は昭和八年(一九三三年)生まれで、敗戦直前、福井市で、B29の「夜間無差別焼夷弾爆撃」を生き延びた。一九九五年二月、ワシントンのテレビで見たドレスデン爆撃五〇周年追悼の行事で、当時のヘルツォーク大統領のもとでのドイツが、米英の制服トップをイギリス女王名代のケント公とともに招き、ドレスデン市内の合葬墓で献花、敬礼してもらう巧みな和解と鎮魂の儀式を行ったのを知って以来、この「ドレスデンの和解」日本版の実現にこだわり続けている。
本誌や、『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙オピニオンページにも寄稿を続けたほか、二〇〇九年八月には小学館101新書から『オバマ大統領がヒロシマに献花する日——相互献花外交が歴史和解の道をひらく』を上梓した。その中で、ドレスデン、アウシュビッツ、コベントリー、ゲルニカ、ケルンなどを回って確認した、歴史問題に完全にけりをつけ、EUの中で心地よい和解を果たし得ているドイツと日本の落差について報告した。そして「ドレスデンの和解」日本版実現の思いをオバマ大統領の広島訪問の可能性に託したばかりである。冒頭に紹介した相互献花外交のすすめは、鳩山民主党政権下での、このこだわりの成就を願っての提案であった。
しかし、六月末の脱稿後、オバマ大統領のイニシアティブで国連安保理での「核兵器なき世界」の決議採択など、プラハ演説路線の積極的な推進がはかられる一方で、先に述べたオバマ大統領の苦境が明らかになった。以下、鳩山政権下でオバマ大統領を広島に迎え、この日本オリジナルの相互献花外交によって東アジア近隣諸国との和解も果たす「ドレスデンの和解」日本版を実現するために、克服しなければならない課題を明らかにしておきたい。
謝罪はなく死者を悼む献花
第一に、アメリカも日本もこの相互献花外交では、謝罪を前提とはしないという認識を明らかにしておきたい。これは先に述べた拙著では明確に記述しなかった部分なので、あえて触れておきたい。広島や長崎では、オバマ大統領の献花の際には、大統領から悲惨な原爆投下についてのアメリカの責任に対する謝罪を求める声があることは承知している。特にオバマ大統領がプラハ演説で「アメリカには道義的な責任がある」と発言して以来、こうした期待が高まっていることは事実である。
しかし私は、謝罪という言葉は、日米双方ともにこれからの未来志向の関係を考える上で、この際、固執するべきではないと考える立場である。歴史和解としての相互献花外交を提案するにあたり、この謝罪というテーマを巧みに飲み込んだ「ドレスデンの和解」の知恵を紹介しておきたい。それから学ぶべきだと思う。
「ドイツの広島」と呼ばれたイギリス・アメリカ軍による残忍なドレスデン爆撃五〇周年という節目の年の一九九五年二月十三日夜の追悼演説で、当時の統一ドイツ二代目の大統領、ヘルツォークは「死者の相殺はできない」と断言して、アメリカ、イギリスに対し、非戦闘員爆撃の責任を認めるよう言外に迫った上で、「文明の起源にまで遡る」死者を悼む精神で一致し、かつての敵も味方も一緒になって「平和と信頼に基づく共生」の道を歩もうと呼びかけ、旧連合国との和解を宣言する格調高いメッセージを発信した。「謝罪」という言葉はどこにもなかった。謝罪問題を巧みに棚上げした剛直な演説だったと思う。米英側も無言の献花と敬礼でこれに応え、呼吸の合ったところを見せた。
もちろん、その前提には統一ドイツ初代のワイツゼッカー大統領以来のドイツ歴代指導部からの、ドイツの過去への徹底した謝罪の実績がある。今もミュンヘンの法廷では八十九歳の元強制収容所看守が裁かれている。驚いたのは、スペイン内戦中にドイツ空軍が義勇軍として爆撃したゲルニカにも、一九九七年、ヘルツォーク大統領名の書簡で謝罪を済ませ、補償金で立派なスポーツセンターが建っていたことだ。日本がなしえていない部分である。
しかし幸いなことに、この点で、先に引用した鳩山首相のソウルでの「歴史を見つめる勇気」を確認した談話がある。「ドレスデンの和解」と同じく「死者を悼む」の一点で献花し、謝罪を飲み込むことが可能な状況が生れていると思う。
第二は、「核兵器なき世界」にここまでコミットしたオバマ大統領と国内保守派との対立関係をよく理解し、オバマ大統領が核軍縮でイニシアティブを発揮しやすくするために日本外交も協力するというアングルを強調しておきたい。
今、オバマ大統領は、彼にとっても大きな驚きであったノーベル平和賞受賞の結果、日本での受け取り方とは逆に、保守派からは、その「口先だけの演説で政策の実行には力不足」というあざけりを含めた手痛い攻撃を受けると同時に、リベラル派からも、アフガニスタンでの戦争継続、米軍増派の検討といった行動がノーベル平和賞に果たして値するのかといった厳しい批判にさらされている。
オバマ大統領の苦悩はこれだけではない。彼が黒人初の大統領として就任以来アピールしている、超党派の支持による百年に一度の経済危機の克服をはじめとするアメリカの、第二の建国というテーゼが、その選挙戦での成功とは裏腹に一向に国内に浸透していないことである。医療保険制度改革法案が、今、激しい党派的対立にさらされているのが象徴的である。オバマ大統領の期待とは裏腹に、無保険社が約四八〇〇万人もいるアメリカの貧困大国状況にメスを入れようとする試みに、財政赤字への懸念のみならず「市民の権利に対する政府の権限侵害だ」と反対する保守派の論理は、共和党だけでなくオバマ与党の民主党内にも深く浸透している。
それにオバマ大統領のプラハ演説での道義的責任発言への保守派の反発もすさまじいものがある。ノーベル平和賞受賞は、昨年の大統領選挙戦でのオバマ陣営の草の根キャンペーンを髣髴とさせる保守派の反オバマ運動に油を注ぐ、皮肉な役割を果たしている。
プラハ演説から十一日後の四月十六日、すでにオバマ演説直後から批判的な論評を展開していた保守派メディアの代表格『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙上の投書欄には、「オバマ大統領が核兵器を使ったアメリカの道義的責任を口にするのはおかしい。ファシズムと戦うのがわれわれの道義的責任だ。今、テロと戦っているものそのためだ。八十四歳の父親をはじめ多くの人がトルーマンの原爆投下は正しかったと思っている。欧州人相手に心地よいことを言っても、ならず者たちの脅威に立ち向かうことにはならない」との投書が紹介されていた。また同紙は、六月五日付けで、同日、ドレスデンを訪問したオバマ大統領夫妻を批判し、「爆撃とホロコーストを道徳的に同列においてしまうことだ。そもそもドレスデン爆撃はホロコーストを行った虐殺政権を打倒するためのものだったはずだ。アメリカ大統領の訪問で歴史の修正主義者に力を貸すことになる」と決め付けた。
謝罪はもとより、オバマ大統領が史上初めて広島訪問・献花に踏み切ること自体が、国内政治的には高いハードルをかかえている状況を理解しなければならない。それにこの投書が象徴するように、原爆投下問題について、アメリカの世論は依然としてトルーマンの決断を支持する声が多数である。二〇〇九年八月五日の『読売新聞』夕刊は、あの戦争と冷戦を知らない世代ほどトルーマンの決断を支持する割合が減っているという興味ある調査を掲載している、しかし、それでも、全米の有権者の六十一%が「広島、長崎への原爆投下は正しい行為だった」と回答し、「間違いだった」は二十二%で、米国人の圧倒的多数が原爆投下を支持していることがわかった。
加害者が被害者に
第三に、したがって、こうしたアメリカ国内でのオバマ大統領の立場を考慮した上で、はっきりさせておきたいのは、冒頭にも述べたとおり、やはり鳩山首相の真珠湾上でのアリゾナ記念館献花をオバマ大統領の広島訪問に先駆けて行うことを日本は今決断すべきだということである。
この、広島が先か真珠湾が先かという問題について、日本ではまだこの相互献花のテーマ自体が浸透していないこともあって、ほとんど議論されていない。私自身も「ドレスデンの和解」日本版の主張を明らかにして以来、拙著『オバマ大統領がヒロシマに献花する日』に示した分析に至るまで、漠然と「ドレスデンの和解」の式典にアメリカ、イギリス両軍首脳が参加したことの延長で、まずアメリカ大統領の広島訪問を考え、それへの返礼としての日本首相のアリゾナ記念館訪問という順番を暗黙のうちに認める論理を展開してきた。
しかし、こうしたオバマ大統領の苦難を前に、鳩山政権は核軍縮の促進、そしてアメリカおよび東アジア全体との大和解の達成という大義を実現するためにも、まず最初に首相のアリゾナ記念館献花を行い、オバマ大統領の広島訪問を容易にする気配りを見せるべきだというのが私の現在の主張である。
このオバマ大統領への気配りは、ファーストネームで呼び合うというレベルでの友好関係を超えて、鳩山政権が安定した日米関係を構築する上で計り知れないプラス効果を生むと考える。鳩山外交のまずは順調なすべり出しは、この決断を可能にしていると思う。
日本では靖国問題をめぐる国論の分裂と、近隣諸国からのA級戦犯合祀への反発から、現職首相の靖国参拝に安倍首相以来三代にわたり事実上のモラトリアムがかかっている。この現状への反発から、まず日本の首相が真珠湾で献花するという行動に対して、国内保守派が「なぜ日本の戦死者を弔えない首相が、アメリカ兵一一七七人の遺体が生々しく眠るアリゾナ記念館に行かねばならないのか」といった声が出るかもしれない。
しかし、ここでも鳩山首相がすでに靖国参拝は行わないとの明確な意思表示をしていることは、保守派の圧力に左右されない意味でプラスである。私は、今、核の傘を含めたアメリカとの強固な同盟関係の維持という、日本にとっての第一級の国益を守るためには、それを乗り越えて「まず、アリゾナ記念館献花」という選択が出てこなければならないと思う。その意味で、二〇〇八年末のペロシ・河野両議長の広島・アリゾナ記念館相互献花は歴史的な一石であった。この努力を完結させねばならない。ちなみに日本の首相は誰一人、アリゾナ記念館を訪問していない。
もちろん、アメリカ大統領は誰も広島、長崎を訪れていない。とにかく今、鳩山首相が「真珠湾の花束」に踏み切る価値は限りなく大きいと思う。
第四に、四月のプラハ演説以来、オバマ大統領の広島訪問・献花の可能性が日本国内で声高に論じ始められる中で、忘れてはならないことがある。中国や韓国から注がれる冷たい目である。
中国や韓国を旅行したあと、東京を経由して帰国するアメリカの友人から、最近、しきりに「北京や上海、ソウルなどで中国や朝鮮の友人たちがこんなことを言っていた、心配している」と言う形で聞くメッセージがある。中国や韓国の友人たちからも直接の会話の中で、ほぼ同じ内容を聞く。
それは「もしオバマ大統領が広島や長崎に行けば、広島や長崎に行けば、広島や長崎の人たち、そして最後には日本人全体が、これまでの加害者心理を忘れ被害者の気持ちになってしまうのではないか。それが一番心配だ。だからオバマは広島に行くべきではない」といった中国や韓国での本音を伝えるメッセージである。アメリカ大統領が広島で花を手向けることで、中国を侵略し朝鮮を植民地化した日本の過去が忘れられてしまうのではないか、という危惧だ。
確かに広島十四万人、長崎七万人を一瞬のうちに殺害した原爆は残忍な罪だ。しかし、中国、南北朝鮮、そしてフィリピンをはじめとする戦場となったアジアの国々では、はるかに多くの人々がそれぞれに悲惨な死に方をしている。このことを忘れて原爆の悲劇だけをオバマに訴えても意味はない。日本はこれまでこうした過去を本当に見つめてきたのか。ドイツとはそこが決定的に違う。それが今オバマ大統領の核軍縮政策に便乗して、広島、長崎が世界唯一の被爆体験を宣伝し、オリンピック開催まで言い出すのは許せない——こうした表には出ない本音の話はどこまでもかぎりなく続く。
私自身も、拙著のエピローグで紹介したように、この「冷たい目」を経験した。尊敬する友人であるスタンフォード大学のアジア太平洋研究所所長で、韓国系アメリカ人のシン・ギウク博士から、私の二〇〇五年八月十六日付『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙への寄稿、すなわちアメリカ大統領の広島献花を提案した論文を、二〇〇九年春、博士自らの「北東アジアにおける歴史的紛争と和解、アメリカはその役割を果たせるのか」と題した論文の中で「アメリカが真剣に考慮すべき具体案」として紹介したあと、一言「これは日本の右翼思想を正当化してしまう危険をはらんでいるが」とのコメントをつけられたのである。
まさに今、考えれば、この東京経由で帰国する友人たちが警告してくれる「加害者が被害者になってしまう心理」をシン博士は鋭く私の論文の中に見つけてくれたわけである。心してまず「加害者」であることを忘れないと肝に銘じねばならない。
こうして日米献花外交は冒頭に提案したように中国、韓国をはじめとする近隣アジア東諸国との献花外交、つまり和解の努力と連動することによってのみ成立することがはっきりしてくる。
鳩山首相が胡錦濤主席に対し「友愛の海にしたい」と述べた東シナ海上のしたたかな往来は激しさを増す。ガイトナー米財務長官が中国には行っても東京には一度も姿を現さない露骨な相関関係が目立つ米中関係。日本や韓国のお墨付を得た上で、やがて金総書記との間で始まる米朝取引。
とにかく今、日本外交にとっての数少ない仕掛けとなってきた真珠湾・アリゾナ記念館での鳩山首相献花の日程を早く決めるべきである。アメリカが露骨な警戒心を示す東アジア共同体の構築よりも優先順位は先である。
次のオバマ大統領広島訪問のチャンス、二〇一〇年十一月十三日と十四日に横浜で開催されるAPEC首脳会議まであと一年、日米双方の国内で「広島の花束」「真珠湾の花束」の意義についてじっくり議論を煮詰め、できる限りのコンセンサスを作りだすことが求められていると思う。そして最後には、十月二十六日の所信表明演説で「今こそ日本の歴史を変える」と言い切った鳩山首相が、その責任を果たすのかどうかが問われている。