2007_01_「IT時代にワープ」(日本エッセイスト・クラブ会報 第五十八号)

IT時代にワープ

松尾文夫

 受賞作『銃を持つ民主主義─アメリカという国のなりたち』四百十五ページを原稿用紙で書いた私が、ここにきてなぜか最先端のITメディアとのつきあいを深めている。

 きっかけは床屋だった。私が二十年近く世話になっている赤坂・日枝神社前のY理髪店、二・二六事件のころから働いているという老主人を助けて店を守っているお嫁さんのSさんが大の読書家で、拙著をTBSシステム部門勤務のK氏(二〇〇六年七月定年退社し、自ら映像制作の会社を始められた)に宣伝してくれたのが始まりだった。K氏は、私同様、昔のよき床屋の雰囲気とサービスを残し、料金も三千五百円と決して高くないYを愛して通っている一人だった。

 二〇〇五年秋、そのK氏から電話が入り、初めて会ってみると、いきなり「貴方の本をアイポッド(iPod)に入れませんか」と切り出された。「アイポッド」とは何者かを理解するまでに大分時間がかかった私に対し、K氏は、アメリカではアップル・コンピューターの一大ヒット商品、「アイポッド」のメニューとして本の朗読が音楽と同じように定着しており、そのビジネスが日本にも上陸したことを説明したうえで、当時彼が属していたTBSサービスで製作を担当するからぜひやりましょう、と踏み込んで来た。

 私にとっては、もちろん考えもしなかった展開だった。いろんな友人、特に若い人たちに聞いてみた。返ってくる意見は前向きなものばかりで、娘の一人には、「光栄なことね」と皮肉られた。私も電車の中で、若い男女が競うように耳につけている「アイポッド」のイヤホンに私の文章が流れることは、有難いことだと思うようになった。正直なところ、アナログ世代から一気に時代の最先端にワープする高揚感を味わった。

 OKすると、あっという間にTBSOBのベテランアナウンサー宮内鎭雄氏による十一時間以上にわたる朗読のデジタル録音作業が、TBS内の立派な録音ブースで始まった。

 音楽番組で活躍した宮内氏は、ノンフィクションの朗読は初めてといいながら、本のテーマに共感したということで一生懸命読み込んでくれた。私もその一部に立ち会った。私の文章が彼の抑揚に富んだ美しい声に乗っていくと、そのつたなさがさらされる部分も多く、何度も冷や汗をかいたり大昔、「よい作文を書くには声に出して読むこと」と教えられたことを思い出した。

 二〇〇六年三月、K氏の友人で、アメリカでの「アイポッド」への本の朗読提供を独占する「オーディブル・インク」の進藤公彦日本代表(二〇〇五年八月に日本進出)と、宮内氏、TBSサービス、版元の小学館との間で契約が完了、アップルのホスト・コンピューターに『銃を持つ民主主義』音声版が収められ、全世界で発売された。価格は本と同じく千五百円。

 進藤代表によると、二〇〇六年末現在日本語の本は約六百冊が収録され、『我輩は猫である』以下の漱石ものや、古くは『奥の細道』『方丈記』にいたる古典もの、新しいところでは『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』などが上位を占めているという。硬派のノンフィクションは私のが初めてで、選んだ理由を聞くと、「アメリカに旅行する若者たちが買うと思ったから」との予想外の答えが返ってきた。

 ちなみに『銃を持つ民主主義』は半年で約二百人が購入したという。果たして採算がとれているのかどうかはわからない。しかし、ローマやサンフランシスコの友人からも「聞いている」とのメールが来た。ささやかながら小学館からの振込みもあった。

 そして五月、そのK氏の協力を得て、私はとうとう「松尾文夫アメリカウオッチ」と銘打つブログを始めることになった。ブログの発信については、二〇〇四年秋、ブッシュが再選された大統領選挙戦の取材でアメリカ各地を回ったときから、いずれは日本語と英語の同時発信で挑戦してみよう、と心に決めていた。

 取材するアメリカのパワーエリートのほとんどが、新聞の記事よりもブロッガーが発信する情報の影響を強く受けていることを肌で感じたからである。かつては朝起きて一番に朝刊に目を通していた政治のプロが、いまではまず有力ブログの画面を開くのだという。衆目が一致するブロッガーのブログには広告がつき、共和、民主両党の全国大会でも独自の席が用意され、ホワイトハウスの記者証を手にするものもいて、メディアの中で市民権を得ていた。私のようなフリーランスの老ジャーナリストにとって、IT産業革命の恩恵に浴するチャンスなのかもしれない、と思って帰って来た。

 しかし、いざ実行となるとシステムの立ち上げで行き詰まっていた。そこを一押ししてくれたのが「アイポッド」入力で友情をつちかったK氏だった。「絶対に始めるべきだ」とすべてを立ち上げてくれた。

 私は二〇〇六年五月八日に「アメリカにあって日本にない関係──水面下の米朝間の動き(その一)」と題して第一回のブログを発信して以来、七回しか更新していない。しかも一回分が二千字以上と長文である。友人たちからは「雑誌の連載と同じで、ブログとはいえない」と批判される。しかし、K氏は「これでいいのです。いまITメディアで一番必要なことはいいコンテンツを持つことなのですから」と動じることなく励ましてくれる。ヒット数は一万二千を超えた。

 新春二月には、私自らがこのブログの内容を中心にしゃべるのがデジタル録音され、携帯放送局「K−STATION」のコンテンツの一つとして、「CMジャパン」社(安東一夫社長)から配信される。

「床屋の縁」は、あれよあれよという間に、IT時代の荒野をかけめぐり始めた。後回しにしてスタートしたブログの英語同時発信も近く実現、と私の夢も歳を忘れて広がっている。

© Fumio Matsuo 2012