1971_05_ニクソンのアメリカと中国 ──そのしたたかなアプローチ── (中央公論)

ニクソンのアメリカと中国

──そのしたたかなアプローチ──

米中関係は今や動き出した。日本が見落しているこの米国の思惑とその限界を綿密に追う

松尾文夫

 多彩な「微笑攻勢」

 アメリカと中国──この日本には決定的なかかわり合いを持つ二つの国の関係に一つの変化が定着しつつある。この動きはあるときは露骨に、あるときはひそかにさりげなく、その輪郭は必ずしも明白ではない。しかし、堰はすでに大分前に切られている。

 一言でいえば、「いかなるときであろうと、超大国にはならない。現在もならないし、将来も永遠にならない‥‥」(人民日報、紅旗、解放軍報、七一年元旦社説)、「‥‥私が佐藤政府に考えよというのは、極東の超大国になれという意味ではない。中国は米ソのような超大国になりたくない。超大国は世界の人々にとって脅威を与えている‥‥」(日中覚書貿易日本代表団のための夕食会での周恩来首相の演説、朝日3・3)という中国に対して、米国がはっきりと「超大国の関係」を求めはじめたということである。「列強の一つがそのワク外にあり、敵対を続けるかぎり、国際的秩序は維持できないというのは自明の理である。したがって、七〇年代において中華人民共和国を世界、とくにアジアの共同体との建設的な関係のなかに引き入れることほど重要な課題はない」(ニクソン大統領七一年外交報告)と中国をパワー・ポリティックスの論理のパートナーに求める認識は、いま政府、民間、ハト派、タカ派のいかんを問わず、米国内のコンセンサスとして完全に根をおろしつつある。

 この働きかけは、いまインドシナでのエスカレーション政策によって米国と中国が直接武力をまじえる危険性が高まっている状況のなかでも、衰えるどころかますます強まりつつあるようにみえる。ベトナム化計画の名のもとで、インドシナ戦争の「解決」を「アジア人の戦争」への肩代りに求めるかにみえるニクソン・ドクトリンのエゴイズムの、もう一つの素顔がそこにある。いまのところ、この「ニクソンのアメリカ」の思惑が実を結ぶきざしはない。中国のトビラが固いからである。それにラオス作戦失敗後の新たなエスカレーションの方向いかんによっては、その根底から崩れ去るおそれが大きい。しかし、明治以来、米中関係と宿命的なかかわり合いで結ばれ、いま対中国政策の抜本的な転換を迫られながら果していない日本にとって、見逃すことのできない動きであることだけは間違いない。

 とにかく、このところ米国の中国に対する「微笑攻勢」が多彩に繰り広げられるなかで、この「超大国」への誘いはかなりあけすけに表明されている。まず、今年に入ってからの政府、議会、民間の三者三様の中国向け「微笑」の主なものを拾っても次のようなものとなる。

 一月二十三日、アレクサンダー・エクスタイン・ミシガン大学教授を委員長とする米中関係改善のための民間団体、米中関係合同委員会がニューヨークで対中国関係改善のための討論集会を開き、米中関係は「記者交流その他で米中間の事実上の接触が今後二、三年内に開始され得る段階に入った」との声明を発表した。

 同二十四日、民主党の次期大統領候補指名戦に早々と立候補しているハト派のマクガバン上院議員が「米国は北京政権を中国の正統政府として承認し、外交関係を樹立すべきである。これが次期米大統領の課題である。ただし、台湾問題の解決まで、台湾の政府も国連の一員として残すべきだが、安保理からははずすべきだ」と演説した。

 同二十六日、ロジャーズ国務長官が下院科学・宇宙委員会で、すでに中国との間に天体観測についての科学情報の交換が行なわれた事実があることを明らかにした。

 同二十八日、民主党ハト派若手のグラベル上院議員が上院本会議に(1)中国本土と台湾の直接交渉による再統一支持、(2)次期国連総会で中国の加盟承認、(3)国府は常任理事国を辞任し、そのあとはアジア諸国の持回り、の三項目から成る決議案を提出した。

 二月二日、共和党ハト派の長老、ジャビッツ上院議員が上院本会議に「北京も台湾も国家として認め、両方とも国連に加盟させる」との決議案を提出した。これで同議員は一年前の「米中関係打開には時間をかけた方がいい」との主張を撤回したことになる。

  同四─五日、六八年にロサンゼルスなど各地の実業家の手で組織された「新しい国家優先順位のための基金」の主催による学者、専門家、ジャーナリストらの米中関係の将来を論じる討論会が議会内で開かれた。しかし、ハト派議員の「二つの中国」的アプローチと若手学者の一つの中国即時承認論とベトナムをはじめとする米国のアジア政策全体に対する批判が真正面から対立、物別れになり、なんの結論もだされなかった。

 同二十三日、民生党のチャーチ、共和党のマサイアス両上院議員は上院本会議に、五五年一月二十九日、上下両院合同決議として採択され、台湾、澎湖諸島防衛のために大統領が軍事力を使うことに事前の承認を与えた、いわゆる「台湾決議」の廃棄を求める決議案を提出した。

 同二十五日、ニクソン大統領は議会に送られた七二年外交報告で、米大統領として初めて中国を「中華人民共和国」と正式な名称で呼び、「七億五千万人の才能に富んだ、精力的な人々」という修辞句つきで「二十二年来未解決となっている」米中関係の改善を訴え、アジアの将来は日本、ソ連、中国、米国の四つの大国の政策にかかるとの考え方を明らかにした。そして「中国が諸国家(国連)の家族のなかで建設的役割を果すことに賛成であることをはっきりさせておきたい」と述べたが、同時に、「台湾追放には反対し続ける」との方針を再確認した。

 三月五日、米民主党のタカ派で軍部・ニクソン政権に近いジャクソン上院議員がサンフランシスコの演説で「今年秋、あるいは来年秋には、なんらかの方式で中国の国連参加が実現するだろう」と述べ、米中関係改善を対ソ牽制に利用すべきだとの考え方を示した。

 三月九日、レアード国防長官は下院軍事委員会に「国防報告」を送り、「中国はICBMの短い距離の実験を七〇年後半に終えた可能性がある。配備の時期は早くて七三年、実戦化はその一年ないし二年後」と評価、昨年の同報告で強調された対ソ核戦略と対中核戦略の相違点については一言も触れなかった。

 同十日、国務省スポークスマンは、米国が侵略を拡大するなら中国人民はすべての必要な措置をとり、最大の民族的犠牲を惜しまないとの中国と北ベトナムの共同声明について論評、「ラオス作戦は中国を脅かすものではない。米国は中国に脅威を与えるようないかなる行動も考えていない」と強調、ワルシャワ大使級会談の再会を望んでいると言明しした。

 同十一日、『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙はゼネラル・モータース(GM)、モンサント、ハーキュリーズ、アメリカン・オプティカル、スペリー・ランド、カミンズ・エンジンなど自動車、化学、レンズ、電子機器、原動機の一流会社が昨年冬の海外子会社の中国貿易解禁いらい、子会社、または第三国経由で積極的な対中国貿易に乗り出し、すでに年間数百万ドルに達したのではないかとみられていると報じた。

 同十四日、共和党のフィンドレー下院議員(イリノイ州選出)は、ニクソン大統領に書簡を送り、米国と中国の間の緊張感を緩和するため、中国への特使の派遣など七項目を実施するよう提案した。

 同十五日、国務省は一九五二年以来二十年ぶりに米国民の中国に対する旅行制限を全廃すると正式に発表、またさまざまな非公式ルートを通じてワルシャワ大使級会談の再開を中国側に申し入れていることを明らかにした。また同省当局者は「台湾の将来は両当事者が話し合うのが適当だと思う」と言明した。

 同二十一日、ブッシュ国連代表表は、ニクソン政権が中国の国連参加問題を含めて中国政策を最高レベルで再検討中であると述べた。

 同二十四日、マクガバン上院議員はこれまでの発言から一歩進み、「米国は中国を唯一の合法政府として承認するとともに、台湾の将来については台湾と中国人民の平和的な解決にまかせるべきだ」と初めて「一つの中国」に踏み切った画期的な決議案を上院本会議に提出した。

 同二十六日、ロジャーズ国務長官が中国政策の再検討はここ数ヵ月以内に結論が出ると言明した。

 同二十七日、ロジャーズ国務長官が発表した「六九─七〇年外交自書」の国別の部分で初めて「国府」と並んで「中華人民共和国」の項が設けられた。

 「新中国派」の登場

 やはり、並べてみると、相当な「微笑」ぶりである。

 すでに『ニューヨーク・タイムズ』紙はじめ各有力紙、テレビ網は、昨年来、夫君と一緒に中国入りしていたエドガー・スノー夫人が香港で「中国はほどなく米国人旅行者とジャーナリストに門戸を開くだろう」と語ったことに注目し、それぞれ「北京一番乗り」を期待してベテラン記者を待機させているという。

 国務省中国部(正式にはまたアジア共産圏問題部と呼ばれるが、チャイナ・デスクで通っている)もすでに省内一の人材を集める存在となっている。すくなくとも日本部よりも質量ともにすぐれていることは間違いない。いまではスタッフのほとんどが、第二次大戦後の「中国喪失(ロス・オブ・チャイナ)」のショックもマッカーシズムが荒れ狂ったころの中国専門家受難時代もまったく知らない、いわば国務省「新中国」派によってしめられ、中国を憎悪し、悪魔視することだけしかしらない「赤狩り」生残り組が幅をきかせていた五〇年代、六〇年代前半とくらべ革命的な変化となっでいる。その「新中国」派のリーダーであり、出世頭で、昨年五月の会談予定が流れ中断されるまでワルシャワ会談の代表の一人でもあったポール・クライスバーグ前部長が、いまタンザニアのダルエスサラームに公使とし乗り込んでいる。ダルエスサラームはアフリカにおける中国外交の拠点、ワルシャワでの接触が切れたあとは、世界各地での中国外交官との多角的な接触を試みているという国務省の方針の先兵となって送り込まれたとみられている。コロンビア大学卒、まだ四十二歳の若さである。

 国務省も変れば、世論も変った。フィンドレー下院議員によれば、「反共でこちこちの中西部の有権者に中国承認論をぶつけても文句をいわれなくなった」という。朝鮮戦争当

時、世論の三分の二をしめていた国府の大陸反攻支持は五七年ごろから少数派になっていたが、強固なチャイナ・ロビーのカベを決定的に崩したのは、六六年春、ベトナム戦争批判のいわば出発点となったベトナム公聴会にすぐ続いて、フル

ブライト上院外交委員長が「米中和解による東南アジアの中立化がなければ、ベトナム戦争の本当の解決はない」との信念に燃えて開いた中国公聴会であった。通算七日間、計十四人の中国問題の学者、専門家の証言が、それまでの十五年間、「アジアの諸悪の根元、ヒットラーのアジア版」として国民の間に植えつけられ、ベトナム介入正当化の理由にも上げられていた中国の「悪魔」イメージを完全にぶち破った。対中国政策を前向きに考え、論じるタブーも取り払われた。このころニューヨークからワシントンに移った筆者は、かつて同じ上院旧議員会館の部屋で開かれたマッカーシー赤狩り公聴会で戦い抜いたオールド・チャイナ・ハンド(戦前派中国専門家)の数少ない生残りの一人、ハーバード大学のフェアバンクス教授が「米国は中国への過剰反応をつつしまねばならない」とじゅんじゅんと説くのをまのあたりにみて、深い感動をおぼえたのをいまでも昨日のように記憶している。

 この一度火がついた理性的な中国観は、その後、ジョンソン政権を自滅に追い込んだベトナム反戦運動の高まりにささえられて、米国内に深く広くしみ込んでいった。六九年春、帰国のため、ハワイに向け米本土を飛び立つ前日訪れたカリフォルニア大学のバークレー中国研究所の掲示板に面白い印刷物がはってあった。いわく「なぜわれわれは新しいアジア研究学部の設立を求めるのか」。その内容は興味深かった。

「われわれが受けて来たアジアについての教育は偏向と曲解に満ち満ちたものだった。過去十年、全米の高等学校で教えて来た中国についての授業はただ"敵"を知るためだけのものだった。歴史でも学問でもなか�チた。‥‥中国を"脅威"として学ぶのでは理解することはできない。だからわれわれはアジア研究学部の設立を求めるのだ」この学生たちとのつ

ながりのなかで「憂慮するアジア学者の会(CCAS)」も生れた。このベトナム戦争への「反省」に根ざすまじめな中国へのアプローチはいまも続き、広がっている。

 もちろん、この「微笑攻勢」には、現象面でとらえるかぎり、厳然とした限界がある。

 ニクソン政権がかんじんの台湾問題について、台湾、澎湖島防衛という米華相互防衛条約の義務を守ることを繰り返し明らかにし、「国連創設以来の加盟国である台湾を国連から追放することには反対である」(外交報告)との態度を変えていないからである。つまり、中国が「罪悪的陰謀」(三月五日の新華社論評)とする「二つの中国」ないしは、最大限進んでも、昨年十一月の国連総会中国代表権問題討議でフィリップス代表が示唆した「台湾も議席を確保できるならもはや中国の国連参加には反対しない」という「一つの中国、一つの台湾」というワクを抜けでていないからである。今年の秋の国連代表権問題に臨む態度をはじめ、対中国政策全体が米国政府内の最高レベルで再検討されているとしてもっぱら「白紙状態」を強調したブッシュ国連大使も、「台湾政府も現実である」として台湾追放反対の線はつらぬくことを明らかにしている。「一つの中国」示唆かとの観測を生んだ「台湾の将来は、両当事者が話し合うのが適当だと思う」という国務省当局者の言明も、結局は「北京と台北の間の相違点がどのようにして解決できるか予想できないが、これらの相違点は平和的方法で解決されるべきだとわれわれは考える」との外交報告の立場を越えていないとみられている。

 三月上旬、このニクソン政権の対中国「微笑」外交の説明に台北を訪問したブラウン国務副次官補も、この「台湾追放」には反対という、中国と同じく国府指導者にとっても「罪悪的」な路線だけは確約して来た。障壁は明らかである。

 一方、この台湾問題のカベは、ニクソン政権内に限らず、議会、民間の姿勢のなかにも根強く残っている。現在、上院に三つそろっている中国問題決議案にしても、「一つの中国」に踏み切ったマクガバン決議案以外はいずれも「一つの中国」または「一つの中国、一つの台湾」の土俵を出ていない。一貫して対中国政策の変更を迫る主張の先頭に立ち、昨年秋の国連代表権討議のさいにも中国加盟支持を政府に訴えた『ニューヨーク・タイムズ』紙は、三月十日、インドシナでの米中衝突の危険を警告して、対中国政策全般にわたる三部作の社説を発表したが、台湾議席問題については「一つの中国、一つの台湾」方式を支持、「北京は拒否するだろうが、"二つの中国"よりいいだろう」と述べている。六八年大統領選挙戦の立役者であったユージン・マッカーシー前上院議員の「後継者」格として、民主党リベラル急進派からニュー・レフトまでのハト派を結集し、中国問題では「ニュー・チャイナ・ロビー」とまでいわれるマクガバン議員の明快な「一つの中国」論にはすぐついていけないリベラル主流派の限界がここにある。

 そしていうまでもなく、中国自身が自らへの「重大な脅威」(二月二十二日中国政府声明)と受けとめるエスカレーションがまかり通るインドシナの状況は確かに「微笑」とは無縁である。

 ニクソン・ドクトリンの「原点」

 しかし、中国との「超大国の関係」を求めるパワー・ポリティックスの論理は、もうすこししたたかで、しぶといもののようである。これはさまざまの「微笑攻勢」の現象としての限界を飲み込んだまま定着しているといっていい。

 第一に、ニクソン・ドクトリンのもとで、米国はいま問題の台湾をめぐる中国との関係で相対的、潜在的なフリー・ハンドを確保しつつあるということである。つまり、具体的にいえば、その過去の冷戦政策の「遺産」からディスエンゲージメントを果しつつあるということである。これはとくに日本との対比においてひときわはっきりしている。もちろん米国と中国は「関係改善」からすぐ始めることが可能だが、日本と中国はまず「戦争終結」の処理の問題から手をつけなければならないといった一般論は越えた次元においてである。

 問題はニクソン・ドクトリンとはそもそもなにかというところまでさかのぼる。ニクソン・ドクトリンは、ニクソン大統領が六九年七月のアジア諸国訪問のさい、新アジア政策として打ちだされたもので、(1)核のカサの提供以外は米軍の直接の軍事介入を避け、その軍事的役割の縮小をはかる、(2)アジア人によるアジア防衛、すなわち肩代りを促進する、(3)過去に結んだ条約上の義務は守る、の三つの柱を持つものであった。いまではニクソン外交全体の基本戦略に格上げされているが、ベトナム戦争のような実りすくない過剰介入はもう二度と繰り返さないという「決意」と肩代りへの「要求」と、そしてこれまでの約束は守らざるを得ないという過去の遺産への「義理」という三本柱には変りがない。

 この「決意」と「要求」と「義理」という三本柱は、ニクソン大統領が「戦後の時代から七〇年代への過渡期」(七〇年外交報告)と呼ぶ状況のなかで、ときとところに応じてきわめて機会主義的に、ご都合主義的に使いわけられているが、それを一貫してつらぬく共通項がある。「ニクソンのアメリカ」のエゴイズムである。

 これはニクソン政権の存立基盤でもある。ニクソン大統領のホワイトハウス入りは、ケネディ、ジョンソンの民主党時代を通じて慢性化した黒人暴動、いつ果てるとも知らないインフレ、そしてドロ沼のベトナム戦争の最大の被害者として疲れ果て、利己的、保守的、孤立主義的になりながら、一方で、自らを支えて来た「正しく、豊かで、住みよい」"アメリカの夢"の再来を求める「真面目で、愛国的な」白人中産階級が、ひたすら「法と秩序」による良きアメリカ復活のスローガンにしぼったニクソン戦略にこたえたからであった。したがって、ワシントン入りしたニクソン大統領がベトナム軍事介入の立往生の前に事実上、すべてが停止していた外交活動を引き継いだとき、その前に並べられていたオプションには、一つのタガがはめられていた。いまでは「声なき多数」と呼ばれる「クロからず、アカからず、貧しからず」の支持層のエゴイズム、すなわち「米国および米国人の生命と利益第一」の外交政策を求めるタガであった。そしてニクソン側の素地もすでに十分であった。ジョンソンのベトナム政策との調整に四苦八苦するハンフリー民主党候補を尻目に、ただただ「法と秩序」のスローガンだけを叫び、ベトナム政策にはなに一つコミットした発言を行なわなかったニクソン大統領がただ一つだけ繰り返した外交演説がある。それは「米兵がアジア人のために血を流すのはごめんだ。まずアジア人を自

ら戦わせ、それでもなお力足りないときわれわれが助けるべきだ」という六七年の『フォーリン・アフェアーズ』誌論文以来の"肩代り"論の主張であった。「内を向いた」超大国のエゴイズムであった。

 こうしてでて来たニクソン・ドクトリンであり、アジア政策であり、「ベトナム化計画」である。

 したがって、ニクソン大統領が今年の外交報告で「ニクソン・ドクトリンを米国の孤立主義へのとじこもり」と解釈する内外の「誤解」を解くためにとくに一章をさき、「ニクソン・ドクトリンはわれわれの友人を見捨てたり、性急な肩代りを求めたりするものではない。‥‥われわれは海外における存在を縮小し、直接的な軍事介入を少なくするが、われわれの新政策は新しい形の指導性の探究であり、指導性そのものの放棄ではない」と「過剰介入」と「過少介入」のバランスを力説しても、それはインドシナでの「力の立場」を正当化する弁解ではあり得ても、このエゴイズムというニクソン・ドクトリンの「原点」の放棄は意味しない。

 日中より近い米中

 こうした状況のなかでニクソン政権の台湾政策をみると、すでに事実の積重りがすべてを物語るようになっている。すなわち、どのように「条約上の義務は守る」と強調されても、すでに台湾は、事実上ニクソン・ドクトリンのドライなエゴイズムからみれば、まさに冷戦時代のイデオロギー外交、十字軍外交の「遺産」として残された厄介な「お荷物」でしかなくなっているということである。かつての「反共の闘士」ニクソン大統領は、ここでも「第一級の機会主義者」(デービット・リースマン教授の言葉)にふさわしい割り切った変身をみせている。

 軍事的にみると、米国の台湾に対する「米華相互防衛条約上の義務」は「有事駐留」という最小限のところまで縮小されており、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』によると、駐台米軍総兵力は昨年の数字で八千八百人。この大部分は空軍で、台湾中部の清泉崗空軍基地に六千人いてベトナムへの空輸支援に従事しており、もしベトナム戦争が終れば完全撤退することが発表ずみだという。残りは軍事顧問団と工兵、通信隊など。そして同誌によると、一見意外に聞えるが、米軍の戦闘部隊、あるいは攻撃用兵器はかつて台湾に配置されたこともなかったし、現在も配備されていないという。第七艦隊の台湾海峡パトロールもすでに六九年十二月から「常時」が「随時」に切り替えられている。それに国府からの強い圧力にもかかわらず、米国は新しい「攻撃用兵器」の供給を頑として拒否し続けており、七〇年一月、一部のタカ派議員がF4Dファントム戦闘機一個中隊供与の圧力をかけたが、ニクソン政権は拒否、旧式のF104スターファイター一個中隊の供給にすり替えた。予定されていた潜水艦供与も実現していない。かんじんの米軍事援助はこれまでの一億ドルの平均が六九年から大幅に削減され、四千万ドル台にまで落ちている。五四年ごろの最盛期には軍事・経済の援助合せて、四十億ドルが注ぎ込まれていた。

 経済的にも、米国の経済援助が六五年、台湾経済の"離陸完了"を理由に打ち切られたあとは、米国の影響力は後退の一歩をたどり、六四年に台湾の輸出入に占める日本と米国の

割合が逆転し、以後、米企業に対する日本企業の肩代りが進んでいる事実は周知のとおりである。

 つまり、中国側が、ニクソン大統領が当選した直後の六八年十一月、ワルシャワ会談再開の目的として提案し、米側も受諾した、(1)台湾と台湾海峡からの米軍撤退、(2)平和五原則に基づく協定の締結の二項目のうち、少なくとも米軍撤退については、事実上それに近い状態が生れつつあるということである。

 これを裏付けるように、米台間の緊張は隠微に高まっている。国府の厳家金副総統兼首相は昨年十一月、「米国はその対華政策は不変だと称しているが、実際に国際情勢の変化に影響されることはまぬがれない」と述べていたが、ニクソン大統領が外交報告で初めて中国を「中華人民共和国」と呼ぶと、三月四日、駐米国府大使の国務省への抗議とともに、過去五年間も台湾工科大学で教鞭を取っていた宣教師ミロ・ソーンベリー師夫妻を国外追放にした。同夫妻が台湾独立運動関係者と親交があったのが原因とみられているが、国府のささやかな「報復」であった。米側もブラウン国務副次官補ではなくアグニュー副大統領の訪問をという国府の要請をけとばした。また七〇年十一月ニクソン大統領は、台湾独立運動の指導者で、同年一月、台湾からスウェーデンに脱出した元台湾国立大学政治学科長彭明敏教授の米国入国を国府の抗議にもかかわらず許可している。すでに昨年秋の段階から蒋介石総統は「国民党が大陸を離れたのは、当時、マーシャル米特使の説得に応じたからだ」(朝日70・11・14)と公言して、米側の説得にも激しい感情的反撥をあらわにしているといわれるが、ニクソン外交報告の内容は「必ず蒋介石一味を憤慨させずにはおかないだろう」(朝日3・16)と指摘した周恩来首相の分析はまさにこの「お荷物」扱いされる台湾の気持をだれよりも正確にとらえてある。少なくとも、もし「国共合作」「国連脱退」といった国府の「自爆」行動が起ったとしても、米国がこれを少しも騒がず平然と受け入れることができる状況であることだけは明らかである。

 あと国府に残された米国の保証は、事実上「米華相互防衛条約を守る」という繰り返しての「誓約」だけだが、こうした「対外公約」の扱い方について、昨年のニクソン外交報告が次のようなドライな解釈を示しているのは注目に価する。いわく、「基本的な問題を公約というような言葉で大ざっぱに提起することは誤解をひき起す。われわれの目的は、健全な外交政策であり、長期的なわれわれの利益(傍点も原文のまま)を支持することである。その政策がわれわれと他の国の利益の現実的評価により多く基づけば基づくほど、世界におけるわれわれの役割はそれだけ効果的になりうるのである。‥‥われわれの利益がわれわれの公約を形づくるのであって、その反対ではない」。長期的にみて国府にとって非情な予告とはいえないだろうか。「超大国」のエゴイズムの公然たる宣言である。

 そして冷戦時代の「遺産」という点では、台湾と一対になっている韓国に対しても、このニクソン・ドクトリンのエゴイズムの波は確実に押し寄せている。「仁川上陸作戦の先陣をつとめて以来十七年間、韓国に駐留していた米第七歩兵師団の師団旗帰国式が三月二十七日行なわれ、これで在韓米軍二万人の撤収は予定より三ヵ月も早く完了、残留する部隊も休戦ライン沿い前線から後方基地へ移動を終えた」(ソウル共同3・27)との一番新しい事実がすべてを明らかにしてる。これに、昨年九月十三日公表された米上院外交委サイミントン分科会の公聴会記録で、「米国は韓国に対し北朝鮮との対話の可能性を探求すべきだとの見解を伝えた」とのポーター駐韓米大使の証言が明らかにされたことをつけ加えれば十分であろう。

 要するに、こうしたニクソン政権と国府、韓国の関係をみると、いま米国と中国の台湾をめぐる潜在的な状況は、朝鮮戦争直前のそれと似かよりつつあるのではないかということである。米国の対中国政策の朝鮮戦争直前の状況とは、すなわち、国府テコ入れ援助失敗総ざんげの「中国白書」発表(四九年七月)、中華人民共和国成立(同九月)という情勢に続いて、トルーマン大統領、アチソン国務長官らから、(1)北京政府を中国本土の正統政府と認めざるを得ない、(2)台湾は米国にとって決定的な価値を持たないとの方針が示され、まさに中国承認寸前までいったときのことである。いまでは考えも及ばないような、コミットメントがなに一つない身軽な米国の姿がここにあった。安易なアナロジーは危険だが、米国の「国益」第一というエゴイズムとリアリズムという点で、二十年のへだたりを経てもなお共通する多くの要素を含んだ状況ではある。

 少なくとも、吉田書簡や六九年佐藤・ニクソン会談での「台湾・韓国との運命共同体」確認、さらには日華・日韓協力委員会──といった条件にしばられる日本にくらべれば、数倍のフリー・ハンドがいまニクソン政権の手中にあることだけは忘れてはならない。佐藤首相は三月二十七日の参院予算委員会での社会党の羽生三七氏との論戦で、「日米共同声明で台湾海峡の紛争にふれたのは一言多かった気もする」と思わず述懐したといわれるが、台湾問題をめぐる米中間の距離は日中間よりも短いという現実をまのあたりにみて、かけ値なしの実感であろう。

 不毛な宿命

 第二に、ニクソン政権の対中国政策では、事実上、ベトナム戦争はその障害として意識されていないということである。直接接触という最大の利点を持つワルシャワ大使級会談が、七〇年四月のカンボジア侵攻以来ストップし、中国側が会談中止の理由として「米国がカンボジアに出兵し、インドシナ情勢が重大化しつつある状況のもとで、会談を開くことは適当でない」と明言しているにもかかわらず、米側のアプローチはこれを「乗り越える」態度で一貫している。ここにも中国に対して「超大国の関係」を呼びかけるニクソン・ドクトリンのエゴイズムがある。台湾問題をめぐるフリー・ハンド確保の動きが過去の「遺産」に対する冷淡なエゴイズムであるとしたら、このベトナム政策と中国政策の「分離」を図るアプローチは、インドシナ住民同士を戦わせる「代理戦争」にゲタをあずけることで、それを果そうとする残酷なエゴイズムであることが重要である。

 ニクソン大統領のベトナム政策は、ジョンソンから引き継いだ軍事介入失敗の現実を、ニクソン・ドクトリンと同じ土�U、すなわち十年のベトナム戦争に傷つき、疲れ果てながら、いぜん愛国心は失わず、「良きアメリカ」の法と秩序を求める白人中産階級のメンツとエゴイズムのワクのなかでどうとりつくろうかであった。ここからでて来たのがベトナム化計画、つまり「侵略ははね返した。約束は十分守った。米兵の血はもう十分に流れた。あとは自らを守れるようになった南政府軍にバトンを渡せばいい。決して負けて帰るのではない」という論理のうえで組み立てられた「名誉ある撤収」の計画であった。「米兵の血はこれ以上流さない」「負けたのではない」と「声なき多数」のエゴイズムとメンツに的をしぼり、米兵は戦うのを止めるが、戦争そのものはいぜんとして続くという「代理戦争」への肩代りの政策であった。

 ニクソン政権の手でいま対中国の「微笑」政策とベトナム化政策、言葉を替えれば、台湾、韓国からのディスエンゲージメントとインドシナ半島でのエスカレーションが同時に進行するプロセスはここから生れる。すなわち、インドシナでの戦争が「代理戦争化」されるかぎりにおいて、米国と中国という「超大国」の関係にはかかわらないし、かかわるべきでないという考え方である。南政府軍が米軍の武器と「支援」で戦い、北ベトナム、解放戦線が中国からの「援助」で戦っても、それが米中の「関係」に影響を与えることにはならないし、なってはならないというわけである。この点で最近来日した米ブルッキングス研究所主任研究員ラルフ・N・クラフ氏(元国務省政策企画委員)が、『毎日新聞』紙上の座談会(3・28)で「ベトナム政策は、対中国関係改善への障害の一つにすぎない。中国側からみて、もっと重要な障害は台湾の問題だろう。だから米軍の南ベトナム撤兵を早めても、早めなくても、対中国関係の正常化はなお困難だ」と述べているのは、この対中国政策とベトナム政策が切り離されているニクソン・ドクトリンの実像を説明するものとして興味深い。このニクソン・ドクトリンの二重性は意外に見落されている点である。そして、この結果、インドシナでのエスカレーションが激しくなればなるほど、中国への「微笑」がひんぱん、ないしは大きくなるという皮肉な現象が生れる。現在の米中関係はその典型的なプロセスである。

 この「分離」のアプローチは、今年のレアード国防長官の国防報告のなかで明らかにされた米国と「自由諸国」の戦力を総合的に活用する四段階の「全戦力構想」のなかに組み込まれ、理論化されている。すなわち、(1)戦略核戦争阻止は今後も米国の戦略抑止に依存する、(2)局地核戦争阻止は米国が主要な責任を持ちながら同盟国の核能力にも頼る、(3)局地通常戦争阻止には、米国と同盟国が責任を分ける、と続いたあと、(4)の段階として、「地域戦争阻止のために現地国が主要な責任を負いつつ、米国の利害、義務にかかわり合うところでは、軍事、経済援助を行ない、必要なら兵たん、海空軍による戦闘支援を米国が与える、特別の場合には、地上戦闘部隊の支援も含まれる」と規定されているのがベトナム化計画であり、代理戦争である。この「全戦力構想」を中心にしたニクソン戦略そのものは、「現実的抑止戦略」と呼ばれるが、つきつめれば「超大国の戦争」と「小国の戦争」とを段階的に「差別」した戦略といっていい。

 米中関係におけるこのエスカレーションと「微笑」との相関関係は、現象としてはジョンソン時代にもみられたことである。六七年、ジョンソンの北爆エスカレーションたけなわのとき、マクナマラ国防長官のモントリオール演説、ジョンソン大統領のウエストバージニア演説と米中のかけ橋の必要性を強調する動きが目立った。こんどはそれがニクソン・ドクトリンのワクのなかで体系づけられたわけである。そして、この六七年に二回開かれただけの米中ワルシャワ会談で、(1)北爆は中国隣接地帯には拡大しない、(2)紅河の堤防には爆撃しない、(3)地上軍の北進はしない、という米側の保証を条件に、中国の直接介入は見合せるという暗黙の「了解」が両者の間にできたというのがソ連、東欧の見解である。もちろん確認はどちらからもない。

 しかし、いまこのニクソン・ドクトリンの対中国政策とベトナム政策を切り離し、並列させようという思惑には重大な落し穴がある。つまりベトナム化計画と呼ばれるベトナム政策か一つは「米兵の安全な撤退」を保証するために、また「負けたのではない」という名誉のイメージを確保するために、論理的にはほぼ無限に北ベトナムからの「補給ルート」の破壊、すなわちカンボジア侵攻やラオス侵攻のようなエスカレーションを繰り返さねばならないという落し穴を背負っているからである。これは今後、最低限カンボジア侵攻、ラオス侵攻型の作戦の繰り返し(すでにカンボジア侵攻はなんども行なわれている)、さらにその結果いかんでは、北ベトナム侵攻、さらには最悪の場合、戦術核兵器の使用、とエスカレーションを続けていかなければツジツマの合わない不毛な宿命を背負った戦略だということになる。論理的な可能性からいえば、この「補給ルートをたたく」という悪循環の行きつく先は結局、中国との直接対決ということにならざるを得ない。もう一つは「代理戦争」を押しつける結果、現在のチュー・キ政権への依存度が増え、その発言権を強めることになり、北ベトナム、解放戦線との「政治解決」の最大の糸口を自らふさぐ自己矛盾におちいっているということである。要するに、ベトナム化計画という路線自体がどこからみても平和解決への限界を背負っている以上、どのように米中の「超大国の関係」と切り離し、別あつかいにしようとしても、最後は米中関係とからまざるを得ない、つまり米中を衝突のレールに乗せてしまう必然性を背負ってしまっているのだということである。ニクソン政権の思惑のいかんを問わず、ここに現在のインドシナ情勢の最大の危機があり、問題点がある。

 「お荷物」背負った日本

 したがって、ニクソン政権の中国政策はいまその積極的な「微笑」にもかかわらず、まだ米中平和共存体制への明確な地歩を固めていない。この中国政策とベトナム政策を切り離そうという姿勢自体、平和共存体制への模索であろう。しかし、問題は、現在の米ソ平和共存体制が六二年のキューバ危機で対峙し、両者が核戦争、世界戦争の恐怖で「まばたき合った」瞬間定着したように、いまインドシナ戦争での米中対峙の状況がそのまま米中平和共存への突破口となるかどうかである。北京が周恩来首相をハノイに送り込み、三月十日の共同声明で「中国は侵略の広がり次第では、最大の民族的犠牲もいとわない」と開き直ったのに対し、ワシントンが間髪を入れず「中国に脅威を与える意図はないし、計画もない」と釈明する声明をだし、続いてチュポン撤退開始と動いた事態を、米中間における小キューバ型の「了解」の成立のプロセスとみるのは、不可能ではない。しかしベトナム化計画そのものが不毛な破壊性を内包しているかぎり、またニクソン政権が「ラオス作戦は成功だった」といいくるめているかぎり、そして米世論の大勢も「とにかく米兵が予定通り帰って来るのかどうかを見きわめるまで作戦の結果について早急な判断は禁物」と、いぜん「米兵の血さえ流れなければ、どんなに南政府軍が傷ついても目をつぶる」というニクソン・ドクトリンとそのベトナム化計画の「原点」に浸り切っている以上、米中衝突の必然性のウエイトは高まっても、平和共存の展望は固まらないからである。米中平和共存にはまだ「キューバのまばたき」のチャンスは熟していないのである。それに「超大国の関係」の基礎となるかんじんの核戦略で、いまニクソン政権の中国に対する姿勢がもう一つ明確でない。つまりまだ対中国の核戦略に「迷い」がみられる状態なのである。

 レアード国防長官は昨年二月、ニクソン政権として初めて議会に送った「国防報告」のなかで、対中国の核抑止戦略が対ソ連の相互抑止戦略と「基本的に異なる」点として次のように強調した。

 (1)、中国の産業能力は、米ソの場合と異なり、比較的少数の都市にしか集中しておらず、圧倒的に農村社会のウエイトが重く、多数の人口が都市に対して限られた範囲でしか依存しておらず、現に地方分散が推進されている。

 (2)、米国では、十大都市に全人口の二五%が集中しているが、中国では、千の都市にしてやっと同じ率になる。

 (3)、したがって、小規模ですむ中国の対米核攻撃に比べ、米国はいちじるしく分の悪い大規模な攻撃をしいられ、なおかつ米国は対ソ抑止力を忘れるわけにはいかない。

 (4)、現在、われわれはこれらの問題を検討中である。

 米国の抑止戦略が中国に対しては「検討中」であり、宙に浮いている「迷い」の状況が率直に告白されていたわけだが、今年の国防報告ではこの部分がまったく落されており、なんにも説明されていないのである。一応、「ソ連および中国の核脅威‥‥」といった表現で通されているが、これが対中国核戦略もソ連並みに「格上げ」した証拠だということを裏付けるものはない。要するに、米中の「超大国の関係」と「平和共存」の決定的な基盤がまだまだあいまいなのである。

 昨年の外交報告では中ソ二正面の平和共存路線を強調したニクソン大統領も、今年の外交報告ではこれに触れず、代って、アジアの将来が米ソ中日の「四本柱」のパワー・ポリティックスにゆだねられるとの分析を明らかにしている。これはさしあたり、対ソ、対中、そして対日となりふりかまわず「米国の利益第一」のエゴイズムで押し通すニクソン・ドクトリンにとってしのぎやすい局面であろう。つまり、中国政策はまだこの一コマでしかないのである。だから、いま米国に台湾放棄の気配がみえるわけではない。すでにみたように、米世論もそこまで行っていない。進行中の中国政策「再検討」もこの意味で大きな変化は予想されない。

 しかし、それにもかかわらず、ニクソン外交がそのエゴイズムゆえに模索しているしたたかな「対中積極アプローチ」(国務長官外交白書)の行方を過小評価してはいけない。とくに台湾問題に象徴されるようなニクソン・ドクトリンのアジアにおける潜在的なフリー・ハンドへの布石は、この米中をへだてる現在の深いミゾのなかでも決して忘れてはならない。とりわけ、ニクソン・ドクトリンの「お荷物」を肩代り、または押しつけられたかにみえる日本が、現在北京との間に持つ政治的距離の「限界」との対比において、このワシントンの北京との政治的距離の短かさが持つ意義は決して軽視できないし、またすべきでもないということである。長期的展望に立てば、やがてはやってくる「米中平和五原則協定」締結への捨て石ではあっても、障害ではないからである。

 歴史的にみれば、米中関係の「落し子」あるいは「対抗関係」としてとらえることもできる日米関係のなかで、日本が「ニクソンのアメリカ」のエゴイズムを正確にとらえねばならないときが、ここにも来ているようである。

© Fumio Matsuo 2012