2007_08_揺れる「移民の国」アメリカ ──メキシコ国境で見た試練──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

揺れる「移民の国」アメリカ

 ──メキシコ国境で見た試練

 

ジャーナリスト 松尾文夫

 

 

 五月末、アメリカ西海岸のカリフォルニア大学サンタバーバラ校で開かれた「東アジアでのナショナリズムの復活と和解への道」をテーマにする日米中韓の専門家によるシンポジウムに招かれた帰り道、思い立ってサンディエゴに回り、メキシコとの国境地帯をみて来た。メキシコから勝手に国境を越えてくる不法入国者に他の国々からのビザ期限切れ滞在者を含めると、千三百万人にもふくれ上がった、いわゆる「非合法移民」をどうさばけばいいのか──。いまドロ沼化のイラク戦争とともに、「移民の国」アメリカを悩ませている難問の原点をこの目で確かめておきたいと思ったからである。

 

 

 極立つ貧富の差

 

 メキシコ国境は、アメリカ海軍の一大根拠地、そしてIT産業のメッカとして繁栄を極めるサンディエゴ市内から、車でわずか二十分の至近距離にあった。

 レンタカーはメキシコ用の保険がないと国境を越えられず、主に観光客用の国境通過専用バス、「メキシコーチ」でメキシコ側の国境の町、ティファナに向かう。国境の入国審査は、バスの入口に係官が一瞬姿をみせただけで、パスポートの検査もなく、事実上のフリーパス。人口百四十万人のティファナ市には、巨大なメキシコ国旗が空高くかかげられ、アメリカに向かって大きなだ円形のアーチが立てられている。隣りの巨人国に精一杯の威勢を張る気持ちが伝わってくる。

 しかし、原色の極彩色を巧みに生かしたメキシコならではの看板や店のたたずまいが、アメリカとはきわだった個性を示す目抜きのルボルシオ大通り。土産物店の一人に、あのアーチはなにを意味するのだろう、と水を向けると、「私は知らない。多分マクドナルドハンバーガーのシンボルマークではないか」と皮肉たっぷりの答えが返って来た、別の店でも、まるで打ち合わせでもしているかのように同じ答えだった。

 この自虐的なジョークが物語るように、わずか数時間滞在しただけでも、メキシコとアメリカとの生活の格差、つまり貧富の差をいやというほどかみしめることになる。土産物を買い、食事をするだけで、一ドル紙幣が持つ価値の大きさに、がく然とする。五倍から十倍というアメリカでの高賃金にひかれて、死と隣り合わせの砂漠越えまでしてアメリカ入りをトライする「出国者」が後を絶たない理由を納得した。

 

 

 フロンティアの消滅

 

 アメリカの人口は過去四十年間で一億人も増え、昨年十月には三億人の大台に乗り、中国、インドに次ぐ第三位につけた。これは第三世界をはじめとする世界各地からの移民に「寛大な扉」を開いたジョンソン時代の「一九六五年移民帰化法」のおかげで、一億人増の五三%が同法の恩恵を受けた「新移民」だといわれる。

 そのアメリカが、いまメキシコ系を中心とする「非合法移民」の扱いでは、議会、世論が二つに割れている。「アメリカ市民の職も奪う彼らには国外追放も考えるべきだ」との建前論と「彼らの低賃金労働力は農業、サービス業の生き残りに不可欠」という本音論の対立が、共和・民主両党、保守派、リベラル派といった枠を越えて複雑にからみ合い、政権最後の内政上の実績として包括的解決案をまとめ上げたいブッシュ大統領も立ち往生している。いま暫定対策の一つとして、「非合法移民」の子どもに、軍役につくことを条件に高等教育を補助し、市民権獲得に道を開く案が検討されている。イラク戦争で応募者が減っている志願兵制度維持のための苦肉の策でもあることは間違いない。そして、とりあえず砂漠地帯からの入国を防ぐため、千百二十�にわたるフェンスを建設することが決まった。

 ティファナ市内から、「USAへ」との標識を頼りに歩いて国境へ。高い金網がはられ、アメリカ側の入国検査所には長い車と人の列。パスポートのチェックは厳重をきわめ、警察犬がうろうろしていた。

 この緊張感に、移民で始まった「アメリカという国」がその建国以来、誇りをもって依存し続けて来た無限のフロンティアが、物理的にも、精神的にも、消滅しつつある現実を肌で感じた。

© Fumio Matsuo 2012