2003_04_「アメリカという国」を考える(その六) ──「明白な天命」を信じる国──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢青淵記念財団竜門社

機関誌「青淵」(二〇〇三年四月号)

 

「アメリカという国」を考える(その六)

─「明白な天命」を信じる国─

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

 アメリカ本土から日本に帰る空の旅、つまりワシントンやニューヨーク、ロサンゼルスを昼間に出発して成田に向かう飛行機は、常に燦々と輝く太陽の下を飛び続ける。あたかも「沈まぬ太陽」の保護のもとにあるかのようである。一月末、前号で報告した取材旅行を終えて帰国するときもそうであった。そして私はいつも「明白な天命(マニフェスト・デスティニィ)」という言葉を思い出す。アメリカが、イラクのフセイン政権排除のための武力行使を強行する可能性が高まるなか、思い出しておいた方がいい「アメリカという国」の遺伝子の一つである。それに、今年が百五十周年の記念の年となるペリー提督の黒船来航とも無関係ではない。

「アメリカという国」は、十八世紀末に国家としての体裁を整えた、一七七六年にイギリスからの独立を宣言し、十二年かかって一七八八年に憲法を制定し、一七八九年にワシントンがニューヨークで初代大統領に就任、一七九一年に首都ワシントンのコロンビア特別区の建設開始、同九三年ワシントン大統領が欧州の戦乱に対して中立を宣言、一七九四年にはウイスキーに課税することに反対して決起したペンシルバニア州の「ウイスキーの乱」を、創立された連邦政府が初めて武力を行使して鎮圧、一七九一年に初めての国立銀行「合衆国銀行」を設立、同じころ連邦政府の役割についての積極派と消極派がハミルトン財務長官を軸とするフェデラリストとジェファーソン国務長官を中心とするリパブリカンに分かれてアメリカ史上初の政党が登場──といった具合である。、

 こうして大西洋岸での「国造り」の基礎を固めたアメリカは、十九世記の到来とともに西へ西へと拡張を始める。その合言葉が「明白な天命」というスローガンである。

 

 

 西への拡張のスローガン

 

「明白な天命」という言葉は、弁護士や雑誌・新聞の発行人など多彩な活動をした知識人、ジョン・オサリバンが一八四五年、イギリスからのオレゴン割譲を求める論説のなかで「年毎に増加する何百万人というアメリカ人の自由な発展のために、神によって割り当てられた新大陸で拡大するというわれわれの明白な天命を実現しなければならない」といった具合に使ったのが初めてといわれている。

 しかし、この「新大陸での民主主義の拡大は神によって与えられた運命である」という考え方は、既にこの連載の「その二」で触れておいたアメリカ民主主義のオリジナリティーへのこだわりと表裏一体の関係にある。つまり、北のニューイングランドでも、南のバージニアでも、アメリカへの移住者たちは、本国の宗教的、政治的迫害からの脱出、あるいは当今のベンチャー・ビジネスと同じ経済的な成功の探求──とその理由はさまざまであっても、「神によって選ばれた使命」として移住を正当化する点ではまったく一致していた。

 これにはワシントン以下の建国の父たちも異存はなく、「アメリカは自由の帝国だ」と説いたジェファーソン第三代大統領のもとで、まずフランスからの「ルイジアナ購入」(一八〇三年)によってミシシッピー上流の広大な地域まで手に入れ、合衆国領土を一気に倍増したのをきっかけに、「明白な天命」のスローガンのもと、西進が始まる。

「フロリダ獲得」(一八一九)、「テキサス併合」(一八四五)と続いたあと、第十一代ポーク大統領のもとで、「オレゴン割譲」(一八四六)とメキシコとの戦争を経てカリフォルニア、ニューメキシコの獲得(一八四八)で、ついに太平洋に達し、アメリカは二つの大洋と接する大国にのし上がる。日本ではほとんど知られていないポーク大統領はこの歴史的功績により、アメリカの歴史学者による大統領レーティングでは、必ず十位以内に入る。

 

 

 ペリー来航もその一部

 

 そして、一八六九年に大陸横断鉄道の完成。アラスカ購入(一八六七)、ハワイ併合(一八九七)と続いたあと、キューバをめぐる米西戦争の結果、フィリピン、グアム、プエルトリコの領有(一九〇一)を果たす。この「明白な天命」テーゼの延長で、四十二年後に日米戦争の原因となるジョン・ヘイ国務長官の中国に対する「門戸開放宣言」が発表されるのは一八九九年八月である。

 一八五三年五月の浦賀へのペリー来航も、この構図のなかでとらえねばならない。三年後、下田に初代アメリカ総領事として着任したハリスは、上陸二日前の

日記に「私は日本における諸事物の新しい秩序の発端者となるであろう」と書く。アメリカにとっては日本との関係がこの「明白な天命」意識の使命感のなかで始まり、組み立てられていることを忘れてはならない。そして今、ブッシュ大統領に対イラク武力行使はイラクに民主主義を築くための「解放のための戦戦いだ」と、言わせるところまでの影響力を発揮するネオコンまたは新帝国主義者と呼ばれるタカ派勢力は、「アメリカはその明白な天命として、これまでポスト冷戦時代の世界で欠けていた新しい秩序づくりで、積極的な責任を果たさねばならない」と言い切る。

 アメリカ建国期の旧大陸への外交政策として知られるモンロー主義、つまり不干渉政策の陰で見逃されがちなこの西進、言葉を替えれば欧州大陸への不干渉・現実主義外交の裏側にあるこの強烈な、神がかりともいえる「明白な天命」路線の存在を知っておかねばならない。対イラク武力行使は間違いなくこの使命感の延長線上で組み立てられようとしている。

「沈まぬ太陽」の下をいつまでも飛ぶ成田への帰国便は、いつもこの「アメリカという国」の素顔について考え込ませてくれる。

© Fumio Matsuo 2012