2004_01_「アメリカという国」を考える(その十四) ──大統領選挙戦の展望──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢青淵記念財団竜門社

機関誌「青淵」(二〇〇四年一月号)

 

「アメリカという国」を考える(その十四)

─大統領選挙戦の展望─

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

 二〇〇四年は、アメリカ大統領選挙の年である。本号がお手元に届くころは、まだアイオワ州での党員集会(一月十九日)、ニューハンプシャー州での予備選挙(一月二十七日)を前に、民主党側の候補者指名争いが最高潮に達していると思われる。内外のメディアから流れる種々の選挙情報を手に、いろいろと判断していただく「アングル」(角度)を提供できれば、と思う。

 とくに、今回の大統領選挙の行方は、日本にとって決定的な重要性を持つ。外交官二人の犠牲が出たなかで、イラクへ自衛隊を派遣するというアメリカの「同盟国」としての関係が持つ重さを、いやという程かみしめなければならない立場におかれているからである。

 小泉首相と「前例かない」といわれるほど親密な関係を持つブッシュ大統領が再選されるのか、されないのか──この基本的な問いに答えることが、いつにもまして重要な課題となって来ているからである。

 昨年十一月末、二〇〇四年新春に小学館から「銃を持つ民主主義」と題して出版予定の著作の総仕上げのため、またワシントン、ニューヨークと回って来たので、今回はその総論といったものを報告しておく。

 

 

 「中央突破」作戦

 

 要約すると、ブッシュ共和党は、「中央突破」で再選をねらう作戦であり、二〇〇三年十一月上旬現在、この達成が必ずしも不可能ではない、という言い方でまとめることが出来る状況ではないかと、思う。

 私が初めて大統領選挙戦の報道にかかわったのは、ケネディとニクソンが史上初めてのテレビ討論で対決した一九六〇年の選挙である。私は大阪の社会部での四年間の修業を終えて配属になった共同通信本社外信部の新米記者で、当時唯一のリアルタイム情報源であったVOA放送を聴いてロサンゼルスの民主党大会でのケネディ、ジョンソンへの指名投票結果を計算したのが初仕事だった。以後、大統領選のウォッチは今回で十二回目である。

 しかし、いまも取材現場の一コマ一コマが記憶のなかに鮮明で、今回のアメリカについての著書でも軸とすることが出来たのは、一九六八年の大統領選挙戦である。その全過程を現地で取材する幸運に恵まれたからである。再選をねらったジョンソンが、自ら拡大したベトナム戦争の「泥沼化」に足をとられて失脚、この民主党側の自滅のなかから、「毛沢東との握手」で世界を変えるニクソンがホワイトハウス入りを果たす、ドラマに満ち満ちた選挙であった。

 そして、いまブッシュ大統領の「中央突破」による再選作戦で、問われているのは、この三十六年前のジョンソンの悲劇の再来となるのか、ならないのか─の一点である。

「中央突破」作戦とは、ブッシュ大統領が二〇〇三年十一月、ワシントンの「民主主義のための国家基金」二十周年記念演説で、イラクの「ネーション・ビルディング」が旧サダム・フセイン勢力やテロリストによる攻撃にさらされている試練を、第二次世界大戦直後、旧ソ連による封鎖に打ち勝った「ベルリン空輸」に例え、「われわれはこのテストに勝つ」と宣言、死傷者と戦費の増加に対する国民の理解と忍耐を求める「勝負」に出たことである。

 

 

 守勢の民主党

 

 この強気の戦略が成功するか否か。すべてはイラク現地での治安の回復が、二〇〇四年七月のイラク統治評議会への権力移行という、アメリカが前倒しで設定した「出口」までに間に合うかたちで実現するかどうかにかかっている。昨年十一月号でも報告したように、「ニクソンのベトナム化計画」によるベトナム撤退の故事に学び、「イラク人化」による「出口」を模索するブッシュ政権の戦略は、ネオコン強硬派の反対にもかかわらず、その後変わっていない。大筋で国連の場にもう一度戻って、「多国籍占領」を実質的に受け入れる可能性さえ出ている。投票日をにらんでの、ブッシュ政権の時間との戦いが続くわけである。

 アメリカ世論の多数は、既にブッシュ政権が開戦の理由とした大量破壊兵器がイラクで見つからないことに対して、「すくなくともフセインがバクダッドからいなくなったことは良いことだ」とのブッシュ大統領の主張を受け入れている、とワシントンで会った民主党側の有力なストラトジストは語った。そうした調査結果がでているのだという。

 従って、選挙戦でのイラク戦争についてのブッシュ攻撃はもっぱら「ネーション・ビルディング」での不手際にマトをしぼることにしたとのことで、「民主党にとってイラク問題は簡単ではない。"九・一一"のショックはまだまだ尾を引いており、アメリカ兵の戦死者増もいまのように毎週十人以内の規模なら、アメリカ世論はあと一年ぐらいの間はまだまだ許容するだろう」とのことだった。

 民主党側の切り札候補説が消えないヒラリー上院議員の、まるでブッシュ政権に対抗するような、アフガニスタン、バクダッドへのアメリカ兵慰問旅行も、こうしたムードに対応したものとみられている。景気の上向きと合わせて、既に一億ドルを超す選挙資金を集めたブッシュ大統領を「第二のジョンソン」に追い込めるのか。まだ攻めあぐねている状況である。

 いまのところ、指名争いでは、議員でなかったため二〇〇二年の上下両院のイラク戦争支持決議に賛成しなかった唯一の候補、ディーン・バーモント州前知事がイラク戦争反対とインターネットによる草の根選挙資金の獲得という新戦術で、一歩リードの形勢である。

 ディーン候補では、七二年のマクガバン、八八年のデュカキスのように、党内保守派もまとめられず、「大敗」を予想する専門家がいる一方で、かつてのカーターやクリントンのように、無名の知事経験者がホワイトハウス入りした例を上げて、案外に「大ばけする」と意気込む人もいた。特にネット時代の若者党員の指示を得ているところが注目されている。

 しかし、現在、自らを民主党と位置付ける有権者は三四%で、共和党の三一%に三%差まで追い上げられている。一九七三年には四八%対二六%だった。上下両院、各州知事も共和党が多数である。民主党を支えて来た労組もその組織率が一九九〇年の一六・一%から二〇〇〇年には一三・五%に落ちている。

 民主党がどう攻勢に転じるかが当面の焦点である。

(十二月八日)

© Fumio Matsuo 2012