2003_09_「アメリカという国」を考える(その十) ──四年に一度の大統領選挙という知恵──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢青淵記念財団竜門社

機関誌「青淵」(二〇〇三年九月号)

 

「アメリカという国」を考える(その十)

─四年に一度の大統領選挙という知恵─

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

「アメリカという国は「トライアル・アンド・エラー」(試行錯誤)を平気で、しかも堂々と繰り返す。その意味でまだまだ若い、荒々しい国なのだ─と改めて思う。この連載も一回休んで、七月中旬、半年ぶりにまたニューヨーク、ワシントンと回って来たあとの感想である。

 約一年がかりで取り組んでいる著作のための最後の資料集めのほか、昨年五月以来接触を続けている、いわゆるネオ・コンの友人たちを含め、多くの「ニュースソース」と会って来た。そして、四年に一度、閏年とオリンピックとともにやって来る大統領選挙というアメリカ政治独特の衣替えのシステムが、この「トライアル・アンド・エラー」の精神を支えている、とつくづく感じて帰って来た。一年後に迫った二〇〇四年選挙戦が既にたけなわであった。

 

 

 ネオ・コンの変化

 

 前回の訪問はことし一月。その時とくらべて、特に自他ともにネオ・コンと認める人たちの発言が微妙に変化し、慎重になっていた。ずばりいえば、元気がなかった。

 半年前、とにかく彼らは強気だった。東西冷戦に一人勝ちした「自由の帝国」としてテロの元凶であるイラクのサダム・フセイン政権排除のために、武力を行使するのはアメリカの責任である、と一様に主張した。国連の支持が得られなくてもいい。その方がかえって「レジーム・チェンジ」後のイラク民主化で国連の「干渉」を受けなくて済む、との態度だった。そしてイラン、北朝鮮という残りの「悪の枢軸」国に対しても武力行使のオプションは残しておかねばならない、とのことだった。

 こんどは、同じ複数の人物が、「レジーム・チェンジ」(政権交替)はハイテク兵器を最大限に活用した「ラムズフェルドの戦争」で簡単に実現したものの、その後の「ネーション・ビルディング」(国家建設)で手こずっている、と同じように率直に語った。

 四月九日のバクダッド陥落とフセイン銅像の引き倒し、五月一日の空母艦上でのブッシュ大統領勝利宣言までは順調だったイラク戦争は、いま次の諸点で「誤算」に直面しているのだという。

 ①アメリカ側の初期占領行政失敗もあって、イラク側受け皿の立ち上げ遅延。②電力、水道など「ラムズフェルドの戦争」で予想以上に破壊された生活インフラ復旧の長期化。③旧軍人、公務員をはじめとする大規模失業者の存在。④旧イラク軍武器の完全破壊または押収に失敗。⑤約五千人とみられるフセイン「残党」によるアメリカ兵に対するゲリラ攻撃の残存。

 こうした条件のなかで治安がいつまでも回復せず、「解放者」として迎えられるはずだったアメリカ軍が反米デモの対象となり、その結果現在十四万人を数えるアメリカ軍の駐留が長期化する。アメリカ兵の士気を維持する交替要貝の確保のためには、州兵部隊九個旅団(約四万四千人)の即時召集が不可欠となる─といった、当初の予想を超えた悪循環にはまり込んでしまっているのだという。一人は、「日本占領がいかに特殊なものであったかがよくわかった」と語った。

 従って、当面、北朝鮮への武力行使は理論的にはともかく現実には兵力の準備からいっても不可能であり、唯一可能なのは公海上での北朝鮮のミサイル、麻薬輸出の臨検ぐらいだ、とその発言は様変わりしていた。

 しかし、ここで私が紹介しておきたいのは、この友人の次の発言である。

「アメリカがすべてを背負わなければならない現在のイラクの状態は、われわれにとって初めての体験である。しかし、いまフセイン追放の価値は世界中の誰もが認めるところであり、第二のベトナムにはならない。当時の中ソのような支援はフセイン"残党"にはなく、彼らの抵抗は逃亡中のフセインの命運と同じく時間の問題だ。あとはアメリカ世論がどこまで忍耐強いかだけの問題だ。その結論は来年の大統領選挙ではっきりする。来年の選挙はイラク戦争に対する信任投票である。そこでブッシュ大統領が再選されなければ、アメリカはその時点で新しい船長が収拾策を考え出すだろう。それはわれわれの仕事ではない。しかし、われわれは決してクーデターなどは考えない。次の機会に備えるだけだ。アメリカはこうしたトライアル・アンド・エラーのゲームの土俵を守ってここまで来た。いまブッシュ大統領には不満が一杯あるが、とりあえずその再選支持に全力をつくす」。

 

 

 「トライアル」の信任投票

 

 一七八七年、フィラデルフィアで開かれたアメリカ憲法制定会議では、最初、大統領の任期は七年と提案されていた。

 これが四年となった理由について建国の父の一人、A・ハミルトンは憲法批准キャンペーンの文書「ザ・フェデラリスト」の中で、この四年という任期について行政府の安定化に役立つと同時に、「公共の自由を侵すようになるほど長くない」と説明している。二年ごとの議会選挙と合わせて、四年に一度、国民が大統領を選択する制度は、イギリスやフランスにもないアメリカ民主主義を生み出すことに苦心したアメリカ建国の父たちの知恵の産物であり、その傑作といわれている。

 いまネオ・コンが、この大統領選挙を自らがブッシュ政権に強く働きかけたイラクの戦争という「トライアル」の信任投票と考えているところが面白い。なんと私と会ったネオ・コンの一人は八月に入り、ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿し、「アメリカがこれ以上軍隊や資金を出せない以上、国連に各国の占領参加が可能になるような新決議をしてもらうことだ」と割り切った提案をしている。

 イラクに自衛隊を出すところまで踏み切った日本にとって、忘れてはならないのはこの「アメリカという国」の民主主義が持つ制度的な弾力性とゲーム感覚である。

© Fumio Matsuo 2012