渋沢栄一記念財団機関誌『青淵』寄稿

■2018_01_「伸びしろ」がまだ感じられる中国 ──なぜかゴミ捨て場となっていた日本軍司令部跡──

■2017_07_「朝鮮危機」の根っこにある日本とアメリカの「古傷」を忘れてはいけない ──日本記者クラブ賞受賞で改めて思う中国、韓国との和解の重要性──

■2017_01_特異なトランプ大統領とどう向き合うか ──第二の「ニクソン・ショック」を警戒──

■2016_06_「トランプ現象」の奥深さ、サンダースとの共通点も ──オバマ広島献花で新たな日米関係の展開を──

■2015_12_中国も韓国も沖縄米軍基地を「安全弁」として求めている ──翁長知事の「出口」を理解しておかねばならない──

■2015_07_「村山談話」100%継承で歴史問題に終止符を ──中国・韓国の批判を続けさせてはならない──

■2015_02_「オール沖縄」のメッセージには東アジア歴史若いの構想で応えよう ──翁長知事が「万国津梁の精神」に触れた意義──

■2014_09_レーム・ダック化が懸念されるオバマ政権の行方 ──「タオルを投げた」との説まで流れる受け身の日々──

■2014_04_波紋収まらぬ安倍靖国参拝、日米同盟の試練 ──注目されるオバマ大統領との東京会談──

■2013_10_安倍首相は真珠湾のアリゾナ訪問で「和解外交」の一歩を ──オバマ広島訪問実現に期待されるケネディ次期米大使──

■2013_06_琉球の「万国津梁」精神を生かす東アジア歴史和解の訴え ──「主権回復記念式典」の落し穴──

■2013_02_アジア系市民の影響力増に注目を ──オバマ再選で定着した「多元化」の意義──

■2012_10_オバマケアに対する明快な選択の場 ──接戦のアメリカ大統領選挙戦展望──

■2012_05_日米同盟の「劣化」をどう食い止めるか ──グルー・バンクロフト基金の挑戦──

■2011_12_中国の「大国化」に冷静に接しよう ──やはり歴史和解のケジメをつけるとき──

■2011_07_東日本大震災をチャンスとして捉えよう ──災い転じて福となす発想で──

■2011_02_「歴史和解」というケジメをもう一度考えよう ──サンフランシスコ平和条約六○周年目の教訓──

■2010_09_沖縄現地で見た日米同盟の暗闇 ──見えない「出口」をどう構築するか──

2010_03_オバマ政権一周年と日米関係 ──それぞれの危機──

2009_09_オバマ大統領、「道義的責任」発言の背景  ──軍縮外交に日本の活路──

2009_02_「シカゴの政治」育ちのプラグマテイスト  ──「オバマのアメリカ」始動──

2008_03_のしかかるアメリカ建国の呪縛 ──「銃を持つ民主主義」英訳本を抱えての旅──

2007_08_揺れる「移民の国」アメリカ ──メキシコ国境で見た試練──

2007_03_「硫黄島でかみしめた、日米の『すれ違い』 ──日本側一万三千六百人の遺骨が未回収──

2006_09_時評「人と人」から「国と国」へ ──再生国際文化会館への期待──

2006_03_「イラク戦争は第二のベトナムか ──その似ているところと違うところ──

2005_12_「アメリカという国」を考える(最終回) ──ブッシュという大統領──

2005_11_「アメリカという国」を考える(その三十) ──ハリケーン災害と「遭遇」の旅──

2005_09_「アメリカという国」を考える(その二十九) ──続々 敗戦六十周年と六カ国協議──

2005_08_「アメリカという国」を考える(その二十八) ──続 敗戦六十周年と靖国──

2005_07_「アメリカという国」を考える(その二十七) ──敗戦六十周年と米中関係──

2005_05_「アメリカという国」を考える(その二十六) ──旧サイゴン陥落から三十年の旅──

2005_04_「アメリカという国」を考える(その二十五) ──内政勝負のブッシュ第二期政権──

2005_02_「アメリカという国」を考える(その二十四) ─イラク「出口戦略」の行方

2004_12_「アメリカという国」を考える(その二十三) ──ブッシュ再選の意味──

2004_10_「アメリカという国」を考える(その二十二) ──アメリカ経済と選挙──

2004_09_「アメリカという国」を考える(その二十一) ──同じ土俵に上った民主党──

2004_08_「アメリカという国」を考える(その二十) ──レーガン時代の安定感──

2004_07_「アメリカという国」を考える(その十九) ─エノラ・ゲイ号との対面─

2004_06_「アメリカという国」を考える(その十八) ──「共通の価値観」という曲者──

2004_04_「アメリカという国」を考える(その十七) ──ついに「同性婚」も争点に──

2004_03_「アメリカという国」を考える(その十六) ──続大統領選挙戦の展望──

2004_02_「アメリカという国」を考える(その十五) ──ドイツとの違いを認識しよう──

2004_01_「アメリカという国」を考える(その十四) ──大統領選挙戦の展望──

2003_12_「アメリカという国」を考える(その十三) ──北朝鮮とアメリカとのチャンネル──

2003_11_「アメリカという国」を考える(その十二) ──国防長官がネオコンと対立──

2003_10_「アメリカという国」を考える(その十一) ──成熟した「帝国」と若い「帝国」──

2003_09_「アメリカという国」を考える(その十) ──四年に一度の大統領選挙という知恵──

2003_07_「アメリカという国」を考える(その九) ──マルチ人種パワーの一人勝ち──

2003_06_「アメリカという国」を考える(その八) ──チェイニー、ラムズフェルドとの出会い──

2003_05_「アメリカという国」を考える(その七) ──米国版原理主義の戦争──

2003_04_「アメリカという国」を考える(その六) ──「明白な天命」を信じる国──

2003_03_「アメリカという国」を考える(その五) ──気になるマッカーサー人気──

2003_02_「アメリカという国」を考える(その四)  ──なかなか進まない銃規制──

2003_01_「アメリカという国」を考える(その三) 

2002_12_「アメリカという国」を考える(その二) 

2002_11_「アメリカという国」を考える(その一) 

© Fumio Matsuo 2012