2002_12_「アメリカという国」を考える(その二) (渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢青淵記念財団竜門社

機関誌「青淵」(二〇〇二年十二月号)

 

「アメリカという国」を考える(その二)

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

「あるアメリカ人に私があなたの住んでいる国は立派ですね、というとする。そのアメリカ人は、それは本当です。世界中にこんなに立派な国はありません、と答える。─これほどにうるさく口やかましい愛国心はとても他の国では想像できない。」

 アメリカ研究のバイブルといわれるアレクシス・ド・ドクビルの名著『アメリカの民主政治』からの引用である。一八三一年、「丸太小屋からホワイトハウスへ」の夢を実現した最初の大統領であった第七代ジャクソン大統領のもと、その民主主義がすそ野を広げつつあった時代のアメリカをわずか九カ月旅行しただけで、この鋭い観察を残した当時二十六歳のフランス貴族の感受性には驚くばかりである。

「アメリカは他の国と違って、すべての人は平等で自由だという全人類へのメッセージを手に世界に登場したのだ」。

 これは現在の第四十三代ブッシュ大統領のことしの独立記念日での演説の一部である。アメリカは、昔も今も、「こんな立派な国はない」、「他の国とは違うのだ」と思い続け、いい続けて来た国なのだ、ということを忘れてはいけない。

 

 

 米合衆国憲法のこだわりと妥協

 

 このアメリカの選民意識は、一七八七年にフィラデルフィアの制憲会議で成立し、翌年に発効して以来二百十四年間、世界最古の成文憲法として今も、「アメリカという国」の基本インフラとして機能し続ける米合衆国憲法にさかのぼる。一七七六年の独立宣言から十二年間もかかって出来上がった事実が物語るように、この憲法は、初代大統領ワシントンのみならず、ジョン・アダムズ、ジェファーソン、マディソン、ハミルトンといったいわゆるアメリカ建国の父たちのこだわりと妥協の産物だったからである。

 こだわりとは、この憲法づくりに、アメリカ独自の民主主義のシステムを織り込むことだった。イギリスやフランスの民主化とは異なる「新世界」アメリカならではのオリジナルな民主主義づくりに挑戦しようとの情熱であった。

 一方、妥協とは、独立宣言後、事実上の独立国といえた十三の英国植民地、つまり現在の州が連合して新国家をつくる過程で、州権対連邦政府、大州対小州、東部対南部、商業対農業,大都市対地方、常備軍対州兵といった当時のあらゆる種類の利害の対立の調整であった。

 その結果生まれたのが、①まず旧植民地を州として、その州権尊重を第一としたうえで連邦制という国家形態をとる。②国家として外交関係や経済の運営上不可欠となる「小さな」連邦中央政府を「必要悪」(トーマス・ジェファーソンのことば)としてつくる。③その中心に国家元首としての大統領、その左右に連邦議会と最高裁判所を配して、いわゆる三権分立によるチェック・アンド・バランスのシステムを通じて人民の主権を確立する。─といった原則を骨子とする合衆国憲法である。一〇〇パーセントオリジナルなアメリカ型民主主義の誕生であると同時に、さまざまな対立をまとめ上げた「妥協の束」と名付けられた憲法であった。

 

 

 二〇〇〇年選挙が実証

 

 建国の父たちのこうした苦心のほどを理解するうえで、二〇〇〇年大統領選挙がかっこうの材料を提供してくれる。

 周知のように、この選挙では、一般投票では民主党のゴア候補に破れた共和党のブッシュ候補が合衆国憲法第二条第一節第三項で定められた大統領選挙人の投票で、当選に必要な過半数を一票上回るだけのきわどい勝利により、第四十三代大統領に就任した。しかし、この勝利こそ、まさに建国の父たちが描いたアメリカ民主主義の「かたち」であった。

 州ごとの大統領選挙人数の構成を、人口の変動に応じて変わる下院議員の数に、人口の大小に関係なく各州二人と平等に割り当てられた上院議員の数を足したものとする制度は、彼らのこだわりと妥協の中から生まれたものだったからである。そもそも各州二人の上院議員という仕組み自体が州権平等の考え方からあみだされたものであった。

 それに建国の父たちは、当時の各植民地の超エリートたちだった。従って衆愚政治を警戒し、大統領選挙人の選出さえ一般投票で決めるのに反対し、これが実現するのは、ちょうどトクビルが訪れたころのジャクソン大統領の一八三五年のことである。さらにいえば、上員議員の選出は最初各州議会で行なわれると規定されていて、これが一般市民の投票によって選出されるようになるのは、憲法修正第十七条が批准された一九一三年以降のことである。

 従って、このブッシュ大統領の当選には、彼らのこだわりと妥協の成果がそのまま生かされていたといえる。フロリダ州の集計トラブルで連邦最高裁による最終決定というチェック・アンド・バランスの機能が働いたこととも合わせ、まさに合衆国憲法のオリジナル精神に沿った決着であった。惜敗したゴア前副大統領がこの制度への恨みは一切もらさず、米国憲法への忠誠を強調して、再起への道をキープしたのも、この重さを承知していたからである。この選挙人制度を変える憲法修正案は、これまで、七百回以上試みられているが、常に葬り去られている。

「われわれは特別な国なのだ」というアメリカの強烈な選民意識は、こうしたオリジナルな憲法への誇りにルーツを持つ。今回の中間選挙でのブッシュ大勝とイラク攻撃準備は、この延長線上にある、ともとらえることが出来る。

© Fumio Matsuo 2012