『中央公論 2002/08』
〈たかぶる「ブッシュのアメリカ」〉
したたかな新帝国主義の登場
松尾文夫(ジャーナリスト)
独り勝ちのアメリカは「ベスト・アンド・ブライテスト」の時代を彷彿とさせる。しかし、ベトナムの泥沼に突っ込んだあの時代と異なり、エゴイズムと使命感を使い分ける二枚腰がある。
約一年ぶりに再訪したアメリカは、昂っていた。再度のテロ攻撃の危険に身構えながら、その静かな緊張のなかで「アメリカ独り勝ち」の責任を口にする新アメリカ帝国主義論まで飛び出していた。
チェイニー副大統領自ら、アルカイダによる新しいテロの発生を「ほとんど間違いない」と断言し、FBI長官もパレスチナ型の自爆テロの発生は「不可避」と認める状態に、脅えや不安がないといえばうそになる。エンロン事件をきっかけとするウォール街への不信感が拡大するなか、景気回復のかけ声にもかかわらず株価は低迷し、戦費増大による双子の赤字再来の可能性を含めて、経済の見通しを心配する声も多かった。しかし、ニューヨークの世界貿易センタービル崩壊現場の整理やペンタゴンビルの修復が最終段階を迎える中で、この試練に対して開き直る空気が印象的だった。
セキュリティ強化のために、戦時下を理由に別件逮捕や予防拘束など第二次大戦時にも例がなかったという人権侵害の強権が発動されている。しかし、これをアメリカ憲法違反だと抗議する声は、議会やマスコミを動かすところまでもいっていない。その一方で「自由と民主主義の開かれた国づくり」を選んだアメリカ建国の精神を守り続けることがテロ行為を封じ込める究極の手段であり、そのための代償は払わねばならないとの年頭一般教書以来のブッシュ・テーゼが浸透していた。
「さあ、かかろうぜ」の一言を残して操縦席に突っ込み、四つ目の自爆テロを防いだ乗客たちの勇気は今も話題にされ、第二、第三のテロによる一定の犠牲者が出ること自体は覚悟する空気が肌で感じられた。
この内に秘めた緊張と異邦人への警戒のせいか、アメリカ社会は伝統的な助け合いの精神による団結を取り戻しているように思えた。空港、駅、ホテル、レストランなどで接した市民が一年前と比べて親切になっていた。ベトナム戦争で国中に亀裂が走る前のアメリカ生活で経験した気前の良さにも何度か接した。
そして、テロ攻撃の元凶である海外の敵、「悪の枢軸」と対決し、その大量破壊兵器や生物・化学兵器の開発、保有を阻止するためには、世界中どこででも実力行使を辞さないとのブッシュ路線は、党派を超えて依然七〇%近い高率で支持されていた。旧知の大手紙幹部は「テロ報復のための米軍の武力行使は、今やアメリカの日常生活の一部になったと思ってほしい」という。
特に、イラン、北朝鮮はともかく、イラクのフセイン政権の排除という点では、すでに党派を超えて国民的合意ができているといってよく、その方法論で意見が分かれているだけの段階となっていた。C-SPANテレビではフセイン排除のための積極行動派と慎重行動派の真剣な討論を中継していた。
今、ワシントンで新帝国主義論をはじめ最も活発な発言を繰り返している共和党右派の政治団体、「新しいアメリカの世紀のための計画委員会」の幹部は、「アメリカは "文明の衝突" を受けて立つ用意がある。閉鎖的、前近代的、非民主主義的な文明との戦いでアメリカ文明は間違いなく勝利を収める」と言い切った。ちょうどプーチン・ロシア大統領がアメリカの思惑通り、戦略核兵器削減に合意し、NATO準加盟の道が開けた直後で、冷戦勝利が改めて確認された時期だったこともあって、「今やアメリカが世界全体を担わなければならない」との高揚感が濃淡の差こそあれ、いたるところにあった。
新版「ベスト・アンド・ブライテスト」
アメリカを追うジャーナリストヘの復帰第一歩にと、五月中旬、ニューヨーク、プリンストン、ワシントンを回り、三十人を超すアメリカの友人たちと接してきたこの旅の総括は、私にとって、皮肉にも三十八年前までさかのぼるアメリカ取材の原体験との再会であった。一九六四年十二月、私が初めてニューヨークに赴任したとき、アメリカは、まさに今と同じようにそのパワーを信じる昂りの中にあったからである。
約一年前、暗殺に倒れたケネディから政権を引き継いだジョンソン大統領の絶頂期であった。その議会への影響力をフルに発揮して、ケネディのもとでは立ち往生していた減税や社会福祉改革法案、特に公民権法、新投票権法といった、今も歴史的成果と評価される人種差別撤廃関係の諸法案を「偉大な社会」計画と名づけて成立させていた。『タイム』誌と『ニューズウィーク』誌の一九六五年新年号には、大統領がアメリカをユートピアにするための青写真を描くことをスタッフに命じた、との記事が躍っていた。
その二ヵ月後、ジョンソンは、ケネディ政権末期から混乱状態にあったベトナム政策で、北ベトナムヘの爆撃開始、米地上軍派遣という直接介入の橋を渡る。「中国が民族解放戦争の一つと位置付ける南ベトナムの共産化を阻止することで、アメリカは世界の医者、あるいは警察官としての役割を果たさねばならない。偉大な社会政策の恩恵をアジアにも及ぼそう」との、すでにケネディが軍事顧問団派遣の理由として持ち込んでいた論理を、さらにエスカレートさせた上での決断であった。まさに「ユートピアをめざす」昂りの産物だった。
この一石が、ジョンソンの政治生命を絶ち、五万八〇一一人の米兵の血と二四〇〇億ドルを泥沼に捨てる悲劇の始まりだったことは、すでに歴史の一部である。
私は六六年にワシントンに移り、この民主党政権自滅の中から、暗殺と暴動が主役となった混乱の年、六八年の大統領選挙で共和党のニクソンがホワイトハウス入りを果たすドラマを追う幸運に恵まれた。このニクソンは米中和解の大勝負によって、このボロボロになった「世界の警察官」から国益を追う「一競争者」への変身を宣言。中ソ対立を逆手にとって世界を変える、冷戦終結の種を蒔く。そして、戦争の「ベトナム化」という名
前の敗北を受け入れる舞台を作る。
私は七三年の米軍撤退から七五年の旧サイゴン陥落にいたるこの「アメリカの挫折」の現場を、今度はインドシナ特派員として取材することができた。
今、対イラク実力行使のオプションを公然と論じる「ブッシュのアメリカ」の昂りに接して、驚くのは、当時との相似性である。「歴史がアメリカと同盟国に行動することを求めている。対テロ戦争という自由のための戦いを戦い抜くことがわれわれの世界に対する責任であり、特権である」(ブッシュ大統領年頭教書)という使命感は、まさに当時のケネディ、ジョンソンのレトリックの再来である。
そして今、ワシントンの政権内外で活発な動きを見せる「新保守主義者」、または、「新帝国主義者」と呼ばれるグループは、米軍直接介入に二の足を踏む制服組やCIAの慎重論を押し切り、ジョンソン大統領にベトナム介入拡大を決心させたバンディ兄弟やロストウ教授ら、その後「ベスト・アンド・ブライテスト」と皮肉られることになるパワー・エリートたちを彷彿させる。
今度の新版「ベスト・アンド・ブライテスト」たちは、いま『ウィークリー・スタンダード』『ナショナル・レビュー』『コメンタリー』といった雑誌を拠点に、フセインを一気に排除する「クリーン・カット・クーデター」構想や戦術核使用を含めた先制攻撃論などを声高に説く。彼らにベトナム戦争経験は、もちろんない。
政権内部にも仲間がいて、その中心人物が国防副長官の要職にあるウォルフォウィッツ氏。レーガン政権で国務省政策企画委員長、東アジア太平洋問題担当国務次官補、ブッシュ・シニア政権時代にはチェイニー国防長官の首席補佐官、駐インドネシア大使、ジョンズホプキンス大学高等国際問題研究所長などを歴任。コーネル大、シカゴ大で学んだ保守派の超エリート。レーガンの「悪の帝国」発言の信奉者で、ひたすら軍事力増強による「帝国」としてのアメリカの手による世界新秩序づくり、を説く。年頭一般教書でブッシュ大統領が「悪の枢軸」を口にしたとき、ワシントンの誰もが彼の影響力を感じ取ったという。ルイス・リビー副大統領補佐官、ジョン・ボルトン国務次官といった面々が彼に続く。
チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官の二人が、この新版「ベスト・アンド・ブライテスト」たちと公式、非公式に関係が深い。時折、新聞紙上にこのパワー・エリート独走に対するペンタゴン制服組の懸念がもれてくる。しかし、昨年九月十一日以降リベラル派が沈黙、反戦デモ一つない保守派優勢のワシントンで、彼らの影響力は、かつてのベトナム介入時を上回ると言えなくもない。
独り勝ちと一国主義
それでは、アメリカは今、再び国を挙げて「世界の警察官」の旗印を掲げ、そのまま第二のベトナムの泥沼に向かって走ろうとしているのか。たしかにかつてのような「力のおごり」の悲劇の再来はゼロとは言えない。しかし、私はベトナムとの安易なアナロジーは避けなければならない、と思う。同じようで同じではないところが核心なのだと思う。
それではどこがどう違うか。
一つは、ハードからソフトまで、硬軟取り混ぜたさまざまな分野でのアメリカの優位である。アメリカ独り勝ちと言われる状況である。一九六五年にはなかった条件である。もう一つは、ベトナムの悲劇そのものからの学習効果が腰を据えている。アメリカを「一競争者」として位置づけ、国益第一と考える路線の存在である。ニクソンが毛沢東との握手で「世界の警察官」を返上して以来、歴代の政権によって表現の仕方や力点の置き方が違っても、アメリカ外交の支柱として定着している。ブッシュ政権になってからは、「一国主義」と呼ばれている。
いま昂る「ブッシュのアメリカ」には、この一国主義と「アメリカ独り勝ち」のパワー、という二つの顔がある。
アメリカ独り勝ちの顔については、次の二点にまとめられる。
第一に、冷戦構造がアメリカの勝利で完全に崩壊し、米軍事力の圧倒的な優位が確立したことである。
今、ワシントンのタカ派パワー・エリートたちがフセイン政権排除を口にするとき、かつてジョンソン大統領がベトナム直接介入で苦しんだ米ソ共存体制の維持、つまり核戦争の回避を大前提に対ゲリラ戦争を続けなければならなかった冷戦時代の足かせはどこにもない。
当時の北ベトナムの指導部はこの弱みにつけ込み、アメリカ国内に反戦運動という「第二戦線」をつくることに成功した。今、そのベトナムもロシア、中国とともに対テロ戦争に協力する。当時苦肉の策として育成された特殊部隊がタリバン制圧で活躍し、これからの米軍事戦略でも中心的役割を担おうとしているのは、歴史の皮肉と言っていい。
「無人戦争」、あるいは「無血戦争」の登場も新しい条件である。アフガニスタンとベトナムとの地形の違いを計算に入れても、ベトナム戦争の五万八〇一一人、湾岸戦争の一四九人に対して、今度の対テロ戦争の戦死者は、まだ二ケタ台という数字が象徴的である。
主役は、ビデオカメラで偵察し、ミサイルも発射する無人空中機(UAV)と無人偵察機グローバル・ホーク、そして投下後、衛星誘導で誤差三メートルの精度で目標に命中する高性能誘導爆弾JDAMの、三無人トリオである。この一日三〇〇〇万ドルのコストをかけるIT技術の粋を集めた「新しい戦争」は、いまアメリカの独壇場と言っていい。その精度は湾岸戦争時の十倍以上に向上しているという。ブッシュ大統領もリアルタイムで観戦可能という。
私が、かつてサイゴンで夜ごとその地鳴りのようなホーチミンルート爆撃の音を聞いたB52は、いまやこのJDAM爆弾の「投下マシーン」として生きのびている。ちなみに、JDAMは一発一万二〇〇〇ドル。ミズーリ州にある工場の製造能力は、月間一五〇〇発。この計算からもイラク攻撃は半年後以降と観測されている。
アメリカの軍事能力があまりにも突出しているため、多国籍軍との共同作戦が限定されるという喜劇的な状況も生まれている。唯一、英国の特殊部隊だけが合格点だという。日本の海上自衛隊は、もちろんその外側の外側の下働きである。
エンロン事件のボディー・ブロー
第二に、いわゆる「ソフト・パワー」におけるアメリカの優位を認めておかねばならない。具体的にはマーケット・エコノミー、女性の権利の確立、そして人種の融合達成といった社会的、文化的なインフラでの優位を指す。
マーケット・エコノミーでは、エンロン事件で会計監査というその心臓部での欠陥が明るみに出ている。
私は八○年代初頭、レーガン第一期政権を追いかけた二度目のワシントン勤務のあと、最近まで通信社の経営多角化の一環として、米情報産業のビジネスパートナーとしての仕事に携わり、このアメリカ産マーケット・エコノミーの荒々しい素顔にも接した。
その頃のパートナーの一人は「企業会計への不信感は株式市場そのものにダメージを与え、アメリカ経済にボディー・ブローのように効いてくる。その長期的な影響の深刻さは九月十一日と同じ、あるいはそれを上回るといえるかもしれない」と顔をしかめて語っていた。しかし、別の一人は「不正を起こした大手会計事務所アンダーセンをつぶし、簿外取引など問題の制度の透明性を増やせばいい。アメリカ資本主義はこうした自浄作用でここまで成長してきた。これからもこういうことは起こる」と強気だった。
いずれにせよ、東西冷戦の勝利でイデオロギー闘争を卒業したアメリカ資本主義が、IT革命をばねに経済のソフト化を軸とする資本主義の新しい形を生み出し、これが事実上のグローバル.スタンダードとなっている現実そのものは揺らがない。ロシアはもとより中国までが今そのコピーに必死である。
九〇年、まだゴルバチョフ末期のグラスノスチ時代、私が、国営モスクワ放送の一幹部が副業として始めた通信社、「インターファックス」と共同通信との契約を担当した際、もちろん共産党員であった同社創業者は、「これからのわれわれにはアメリカ型の経営をモデルにするしかないのだ。組合の結成も認めない」と言い切った。契約にはアメリカの弁護士が出てきた。最近のプーチンの徹底した親米路線、若いアメリカ型企業家によるロシア石油産業の再興を見ていて、必ず思い出すのがこの言葉である。
中国については、私はこれから学ばなければならない。しかし、現在、アメリカの名門ビジネススクールには中国からの優秀な留学生が目白押しで、彼らがMBAの資格とともに、マーケット・エコノミーの最先端のノウハウを中国に持ち帰り、即実践に移している状況だけは報告しておく。ウォール街の友人は「中国には日本の "抵抗勢力" のような邪魔になるインフラはない」と片目をつぶった。
女性パワーの確立については、多くを語る必要がないと思う。最近、ブッシュ大統領のテキサス時代からの側近で、九月十一日以降の演説起草をすべて取りしきっていたヒューズ女史が「息子との対話」を理由にホワイトハウスを去った。この事実にこの国での女性の地位の着実な向上を、実感する。
恐るべきマルチ・パワー
しかし、このアメリカの「ソフト・パワー」の中で、一番重要なのは、多民族
のエネルギーの融合に成功しつつあることだと私は思う。もちろん人種差別がなくなったわけではない。大都市ゲットーの吹き溜まり問題も解決していない。
しかし、ニューヨーク着任早々に、ハーレムでのマルコムX暗殺(六五年二月)、ロサンゼルスのワッツ黒人暴動(同年八月)、キング牧師の暗殺とその直後のワシントン黒人暴動(六八年四月)……と六〇年代後半の白人と黒人が憎悪を剥き出しにしていがみ合った現場を取材し、目撃した私としては、アメリカが黒人問題を忍耐強く前向きに抱え込み、自らのパワーの一つに昇華させるところまでよく持ってきた、とつくづく思う。
六八年のメキシコ五輪では、陸上二百メートルで金と銅のメダルをとった二人の黒人選手が表彰大でアメリカ国歌と国旗に、黒手袋をはめたこぶしを突き出して抗議した。あれから三十四年、星条旗を掲げての米黒人選手のウィニング・ランはオリンピックの風景の一部となった。
パウエル国務長官、ライス国家安全保障問題担当大統領補佐官という二人の黒人が米外交の中枢に座っている事実。台湾系、日系、ヒスパニック系とマイノリティが並ぶ閣僚。AOLタイムワーナーの新CEOも黒人。そしてゴルフ、テニスといった差別の壁が厚かったスポーツでのタイガー・ウッズ、ウイリアムス姉妹の活躍。今や「アフリカン・アメリカン」と呼ばれることが多くなった黒人や、マイノリティたちのエネルギー。そして、依然として世界中から集まってくる新移民たち。彼らを含めたマルチパワーの競争が、労働コストが上昇しないアメリカ経済の隠された底力である。
それに加えて顔が見えない対話、取引、人里離れた遠隔地からのビジネスといった新しい型の経済活動を可能にしたインターネット革命は、マルチ人種パワーにとってこれ以上ない格好の受け皿といっていい。その意味で、アメリカにぴったりの産業革命である。
そして今、イチロー以下多くの日本人野球選手が「夢をかなえたい」と太平洋を渡る。彼らの大リーグでの活躍を日本人として喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。日本はもとより、他のどの国も真似のできないアメリカのすさまじいマルチ人種パワーに飲みこまれ、その一部になってしまっているのだという事実だけは理解しておかねばならない。
「自由の帝国」としての責任
こうしたアメリカの軍事的、経済的、社会的なパワーの優位、その独り勝ちを意識して台頭してきているのがアメリカ新帝国主義論である。国民が意識すると否とにかかわらず、アメリカはローマ帝国、あるいはそれを上回る「領土的野心のないリベラルで人道的な帝国」になってしまった以上、世界に対して責任を持ち、行動しなければならないというのがその主張である。『ニューヨーク・タイムズ』紙の日曜版雑誌が昨年末に特集した「二〇〇一年中に姿を現した一〇〇の新傾向」の一つにも取り上げられた保守派の新路線である。
クエール元副大統領の首席補佐官を務めたウイリアム・クリストフ氏が主宰する「新しいアメリカの世紀のための計画委員会」がその中心。先に述べた新版「ベスト・アンド・ブライテスト」たちとほとんどのメンバーがダブる。『バルカンの亡霊』などで知られ、このグループに近い海外紀行作家ロバート・D・カブラン氏は近著『勇者の政治』のなかで、「後世の人たちは二十一世紀のアメリカは共和国であったと同時に特別な帝国であったというだろう。アメリカのこれからの指導者は慎重な統治でローマ帝国の領土の維持に成功した皇帝ティベリウスに学ぶべきだ」と書いている。
国連でも活発に活動するNPOの人権擁護団体「ヒューマン・ライト・ウォッチ」の幹部も「人権を本当に守るためには、ボスニア、コソボで成功したように、アメリカの軍事力が必要だ。帝国主義という言い方は刺激的だが、主張には同調できる」と語っていた。本来はリベラル派と言われる団体である。
昨年十月、クリストフ氏が編集長を務める『ウィークリー・スタンダード』誌に、「アメリカ帝国の場合=テロに対する最も現実的な対応はアメリカが帝国としての役割を喜んで引き受けること」と題する論文を発表、一躍同グループの論客となったマックス・ブーツ氏とは旅の初日に会った。ブーツ氏は三十三歳。『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙論壇ページの現役フィーチャー・エディター。『大国の興亡』の著者として知られる歴史学者ポール・ケネディ、エール大学教授の弟子。最近、『平和のための残酷な戦争=小さな戦争とアメリカのパワーの興隆』と題する新著を出版したばかり。同書は、米建国直後の北アフリカでの米商人救出作戦から、義和団事件、シベリア出兵を経て最近のボスニア、コソボにいたる米軍の「小規模」な軍事行動の歴史を詳述、その成功例と植民帝国と同じような誤りを一つ一つ検証している労作である。「アメリカはこれからも『自由の帝国』として必要な武力行使をためらうべきではなく、そのためのコストは冷戦が解消したいま、格段に安い」
というのがその結論だった。
私に対しても、依然として大量破壊兵器の製造をやめないイラクのフセイン政権排除のため、実力を行使することがメリカの義務だと言い切り、「米軍による侵攻と占領が必要だろうが、イラク軍の戦力も落ちているし、湾岸戦争時、バグダッド進撃をやめ、フセイン政権によるシュート族、クルド族の反乱弾圧と虐殺を見て見ぬふりをしたブッシュ・シニア政権とは違って、アメリカは本気だということを示せば、イラク国民も立ち上がるだろう。湾岸戦争時の動員兵力である五〇万人以下で対処できるだろう」と明快であった。そして、「帝国という言葉自体は世論の関心を引くために使った。要は責任を行動に移せということだ」という。
民主主義によるアラブ新秩序
しかし、私がブーツ氏との話で注目したのは、彼は「フセイン政治を打倒すればアラブで初めての民主主義を樹立することが可能となり、サウジ、ヨルダン、エジプトと、軒並み独裁政権の圧政のもとにあるアラブ世界に希望の灯をともす歴史的な価値を持つ。アメリカの決意さえ変わらなければ、中東のオポチュニストたちは協力に転じるだろう」と述べた部分である。
つまり、フセイン打倒は民主主義樹立のための戦いだという論理である。ブーツ氏は、真珠湾攻撃のあと日本やナチに立ち向かい、勝利を収め、マッカーサー元帥、クレイ将軍の占領によって、日本やドイツに民主主義を立派に根付かせたのと同じことをすればいいのだ、という。パールハーバー、ジャパン、マッカーサーという言葉がポンポン出てくる。
すなわち、イラクのフセイン政権排除の次は、サウジアラビア、ヨルダンなどの王制転覆の可能性まで覚悟し、中東全体さらにはイスラム世界全体の民主主義化という「自由の帝国」アメリカの義務として世界新秩序づくりを目指す、どえらいシナリオの登場ということである。「アメリカ文明が勝つ」と宣言した「新しいアメリカの世紀のための計画委員会」の幹部は「アラブ諸国の現在の支配者たちがいま本当に心配しているのは、アラファト議長の運命ではなく、国内の民主化運動で自らが葬り去られる可能性ではないのか」と皮肉った。そして「こうした国づくりは新しい "明白な天命" だ。アメリカという国はそう運命づけられた国なのだ」と熱弁をふるった。
ここではもちろん、イスラエルは唯一の民主主義国として位置づけられている。したがって、現在、ブッシュ政権がシャロン・イスラエル政権の強硬政策に同調、パレスチナ国家建設承認の条件として、パレスチナ自治政府の「改革」という名のアラファトはずしを模索している路線も、この「民主主義革命」を求める「自由の帝国」の論理の延長線上でとらえると、わかりやすい。
保守派も親ユダヤ
そして長年の友人である大手紙政治記者がとどめをさすような観察を教えてくれた。「いまや共和党保守派は親イスラエル派だ。もちろん新帝国主義者たちもそうだ。民主党親イスラエル、共和党反ユダヤといったかつての構図はいま急速にくずれている」というのである。
たしかに、反ユダヤ、反セミティズム批判で知られていた共和党保守派の最右翼『クリスチャン・リパブリカン』が、ブッシュ大統領にシャロン・イスラエル首相支持を呼びかける電話作戦を展開していた。イスラエルの軍事基地を慰問するかつてのボブ・ホープ・スタイルの合唱団の派遣も計画中という。
聖書はユダヤ人にイスラエルの地を約束していると教義的にもゴーが出され、中西部のクリスチャン州でも「クリスチャン・シオニスト」を名乗る共和党候補者が登場している、という。
もちろん、これはレーガン第一期政権で、レーガン大統領がアラブの石油パワーに負け、激しいイスラエルの反対を押し切って、早期空中警戒機AWACS五機のサウジアラビア提供を決め、それをべーカー現駐日大使が共和党院内総務だった上院が支持して以来、AIPAC(米イスラエル広報委員会)が精力的に始めた共和党保守派抱き込みキャンペーンが成果を上げたということでもある。特に大物政治家たちをイスラエルに招待する作戦が効果を上げたという。
このアメリカ政治インフラの変化の大きな延長で、国際政治のアラブ石油への依存度の低下というもう一つの新しい水面下の流れが生まれていた。
七三~七四年のオイルショック時に出来たアラブ産油国とテキサスを始めとするアメリカ内産油州との協調というイスラエル・ロビーにとっての壁が、最近のロシア原油の増産およびカスピ海油田の将来性といった新条件によって、低くなってきたということである。七七年には米石油輸入量の七〇%を占めたOPECの産油はいまでは四五%にまで落ち込んでいるからである。この中東の産油パワーの地位低下がイスラエル・ロビーにとって追い風となり、共和党保守派イコール親イスラエル、親シャロンという新しい地図が生まれている。この現状は非常に重要である。WTO加盟を目指すロシアの対米接近、対NATO接近の背景には、この石油パワーの裏付けがあることも忘れてはいけない。いまや親イスラエル連合の一部でもある新帝国主義者たちが描くシナリオには石油、パワーのシフトという地殻変動まで織り込まれているということである。新帝国主義はすでに一部始動しているともいえる。
彼らはその延長でアジアでも新しい構図を描きつつある。もともと台湾支持派の多い新帝国主義グループの一人は、匿名を条件に「アジアでも民主主義の連合をキーワードに、かつてのNATO型の新しい国家連合をつくる構想がブッシュ政権の最高レベルも関与して進行している。台湾は民主主義だが、中国が難しい問題だ」と肩をすくめた。日本にとって要注意のアプローチである。
一国主義は健在
この新帝国主義グループの昂りの中で、一国主義の顔のほうは、昨秋以来対テロ包囲網のために棚上げにしていた、昨年度分の国連分担金五億八二〇〇万ドルの支払い、国連大使の任命などなりふりかまわない政策の転換に追われた。あれだけ問題にしていた核開発を不問にし、パキスタン、インドに対する制裁も解除した。クリントン前政権時代に比べて距離を置いていた中国とも対テロ情報での情報機関同士の協力が実現した。
しかし、京都議定書離脱、ABM条約脱退、鉄鋼輸入制限、国内農業保護政策など最近の動きが示すようにアメリカの利益保護という原点は不変である。
しかも、帝国主義者グループはブキャ
ナンら孤立主義者とは敵対しても、一国主義は否定しない。ブーツ氏も「ニクソン時代の変身から始まる一国主義の路線はリベラル派のスローガン政治、大盤振る舞い政治から決別したという意味で正しい。私がいま対イラク攻撃でコストを重視しているのも同じ考えからだ。しかし、これまでアメリカの実力行使をためらってきた一国主義は誤りであり、テロ攻撃はその結果だった」と一国主義プラスアルファーを求める立場である。
したがって、いま「ブッシュのアメリカ」は、一国主義のエゴイズムと、帝国としての責任というしたたかな二枚腰を持つ。二つの顔を時には使い分け、時には一緒にする。ベトナム介入の学習と生来の「明白な天命」の使命感との間の綱引きである。
早寝早起きの大統領
舵をとるブッシュ大統領は大体午後十
時までにはベッドに入り、午前五時半には起きるという。
彼は「ブッシュ王朝」の後継者として、フィリップス・アカデミー、エールと東部エリート校の教育を受けながら、生まれ育ったテキサス気質は終始失わず、気さくで誰とでも仲良くなれる人気者だったという。一度会った人の名前を忘れない抜群の記憶力で知られていた。
当時のキャンパスを覆っていたベトナム反戦運動には見向きもせず、エリート志向のガリ勉型にも与みせず、もっぱらパーティの幹事役やスポーツに精を出すノンポリ学生の一人だった。
この体育会系の明るさ。単純で直截なテキサス・カウボーイ流の演説がそのまま信頼感となって国民に伝わり、昨年九月十一日直後の全国的パニック状態の収拾に役立ったという。それまでは、二〇〇〇年大統領選挙での集計トラブルもあって、「五〇パーセント大統領」と言われていたこの二世大統領にとって、一気に国民の求心力を集めて再生するチャンスとなったわけである。一昨年の大統領選挙では、わずか八パーセントしか票を獲得できなかった黒人層の七五パーセントが、演説後は支持に回っている事実がこの起死回生の一打を証明している。
この早寝早起きの大統領は、チェイニー、ラムズフェルド、パウエル、オニールといった優秀な閣僚に恵まれ、政権内部の団結の固さと規律の良さと能力の高さは、歴史的にも前例が見つからないほどだという。情報のリークも皆無に近い。
ハーバードMBAも持つブッシュ大統領のCEO型リーダーとしての資質と安定感は評価しておかねばならない。最初軽く見られていたレーガンと同じように将来の可能性を秘めているリーダーだ、と言う人が多かった。
新帝国主義グループとも仲のよい、チェイニー、ラムズフェルドと歩兵大隊副隊長としてのベトナム従軍経験から「実力行使には必ず "出口" を考えておかなければならない」という「ドクトリン」をもつパウエルとの路線の違いは明らかにある。しかし、最近のパレスチナ政策のように、最後には双方が折れ合ってきているところが、ブッシュ大統領のレーガンにもなかった指導力だと言う人がいた。事実、パウエル国務長官もいまでは、はっきりとイラクの体制転覆をオプションの一つと明言、態度を変えている。
しかし、フセイン排除の具体的な行動計画はまだ何も明らかにされていない。ブッシュ大統領は六月一日の陸軍士官学校の卒業式で「先制攻撃」の正当化を行い、また一歩、対イラク実力行使へ近づいたように見える。「ここまでくるとなかなかやめられない。増税否定を撤回して再選を果たせなかった父親と同じく、実力行使を放っておくと決定的な政治的ダメージをうける可能性が刻一刻と近づいている。すでに中間選挙を超えて、二○〇四年の再選への影響が焦点になってきている」とワシントンのベテラン・キー局記者は電話で解説してくれた。
近着の『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙によると、今秋、民主党のバイデン上院外交委員長がイラク実力行便全般についての公聴会を計画しているという。かつてのフルブライト上院外交委員長がジョンソンのベトナム政策を追い詰めたと同じ場所で、前代未聞の他国攻撃についての「国民討論」の開催である。民主党サイドで唯一発言を続けているナイ前国防次官補(現・ハーバード大学ケネディ政治研究大学院院長)は「フセイン排除にも先制攻撃にも基本的には反対しない。しかし、少なくとも同盟国の支持なしの行動には賛成できない」とブッシュ
大統領に注文を付け始めた。
旅の終わりの前日、ワシントンのジョージタウンでのぞいたCD屋では「チル
ド・ミュージックCD」と銘打った特設売り場があった。文字通り、頭と心を冷やす癒しの音楽の特集カセットで、黒人の店員は「よく売れる。われわれには、この音楽が必要だ」と屈託なく笑った。アメリカはある意味で建国以来、初めてと言ってもいい昂りと緊張の中にある。
影の薄い日本
最後に、このアメリカでいま日本の影が薄いことを報告しておかねばならない。日本問題専門家たちも、まず口にするのは「小泉改革はやはりダメか」といった質問で、あとは五月二日、オニール財務
長官がニューヨークの日本協会で行った演説を心配する人が多かった。この演説でオニール長官は「日本経済がこのまま停滞を続け、中国が年七%の成長を続ければ、二〇二七年には、日本は中国経済の五分の四の規模になってしまう。そうなれば日本経済は世界経済の機関車ではなく、一つの貨車にすぎなくなり、誰も日本経済の話などしなくなる」と数字まで挙げての強烈な対日警告を行っていた。
オニール長官については、日本のマーケット関係者は「前任のルービンと違ってマーケットを知らない」と冷たい。しかし、オニール長官は世界一のアルミ製造会社、アルコアを再建したアメリカを代表する実業家の一人で、グリーンスパンFRB議長、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官とは、フォード政権時代からの親友である。エンロン事件を契機に、アメリカ国内での経済についての発言力がマーケットから産業界へとシフトする兆しが出ている折から、オニール軽視は間違いだと思う。日本協会の演説はなぜか日本のメディアでほとんど
報道されなかった。
海上自衛隊艦船の派遣に踏み切った日
本がどこまでこのアメリカの昂りと付き合えるのか。付き合わねばならないのか。やはり、とことんこの「怪物」を知ることからもう一度始めねばならない─「明白な天命」を祝福するかのように、いつまでも沈まない太陽の下、ワシントンから成田に向かうANA直行便の中でいつまでも考え込んだ。