2004_07_「アメリカという国」を考える(その十九) ─エノラ・ゲイ号との対面─(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢栄一記念財団 機関誌「青淵」(二〇〇四年七月号)

 

「アメリカという国」を考える(その十九)

 ─エノラ・ゲイ号との対面─

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

 六ヵ月ぶりにまたアメリカ取材の旅に出ている。五月二十六日に成田からANA直行便でワシントンに入り、三十一日からはニューヨークに移って、マンハッタン五十四丁目の定宿でこの原稿を書いている。

 着いたとたん、司法長官、FBI長官、それに次の日には国土安全省長官まで加わって、十一月二日の大統領選挙前にも、

アルカイダによるアメリカ本土に対するテロ攻撃があり得ると警告する物騒な記者会見があった。そして、このテロ攻撃に関係する疑いがある人物として、白人のアメリカ市民一人を含む七人の顔写真がマスコミに公表され、市民に情報提供が求められた。

 

 

 大統領選挙戦の大きな影

 

 しかし、「九・一一」の悲劇の再来に脅える空気は、少なくとも一般の市民生活の表面からはうかがえない。ワシントンでもニューヨークでも、経済の活況は肌で感じられ、レストランはどこも客であふれ、タクシーの運転手からも「経済は悪くない」といった強気の声が返って来る。空港のセキュリティー強化も、昨年十一月と比べてクツを完全に脱がされるようになったぐらいで、係員も乗客も黙々と新しいルールをこなし、緊張感はゼロに近い。

 逆に、テロ攻撃の「予言」ともいえる当局側の派手な動きに対しては、民主党側から、支持率の低下に見舞われ始めたブッシュ政権が大統領への求心力の復活をねらう政略の一部ではないか、という批判が即座に飛び出した。つまり、イラク戦争の是非をめぐる一大信任投票となることがはっきりして来た大統領選挙戦が、早々と本格化している、ということである。ブッシュ、ケリー両陣営のテレビ広告がかなりの頻度で流れている。

 米有力紙のベテラン政治記者が、「もしもう一度九・一一のようなテロ攻撃が米本土にあったとしたら、テロとの戦いを第二次世界大戦でのファシズムとの戦いになぞらえ始めたブッシュにプラスと働くのか、あるいはテロを防げなかった責任を問われてケリー民主党候補が有利となるのか─まったく読めない」と考え込むところに、大接戦と予想される今年の大統領選挙戦の深刻さが浮き彫りにされているように思える。

 長いアジア勤務を持ち、大使経験もある八十歳近い老外交官は、「アメリカにとって、これほど重要な選択となる大統領選挙は経験したことがない」と語ってくれた。こう書いているうちに、CIA長官の辞任の速報がテレビで流れた。

 この国のただならぬ成り行きについては、次号以降で分析していきたい。今号では、先週末ワシントンで、日米間にいまだに「歴史問題」が存在するという、とかく忘れがちな現実に改めて向き合うことになった体験を報告しておきたい。

 

 

 第二次世界大戦記念広場がオープン

 

 アメリカ人にとって夏の訪れを告げる休日である「メモリアルデー」、つまり南北戦争直後から続く戦没将兵追悼の記念日がそれで、今年は五月三十一日の月曜日だった。イラク戦争戦死者の新しい墓標が目立ち始めたアーリントン国立墓地内の無名戦士の墓の前で、慣例通りブッシュ大統領の献花、演説が行われた。

 しかし、今年は「メモリアルデー」に先立つ一週間、ワシントンの中心部、国会議事堂からワシントン記念塔を経てリンカーン記念堂までのびる長方形の広大な公園、ザ・モールのど真ん中に、十一ヵ月の月日と一億七千五百万ドルの経費をかけて完成したばかりの「第二次世界大戦記念広場」の記念行事が続き、ワシントンの街は、連日全国から集まった最年少でも七十歳代後半という高齢の大戦参加在郷軍人とその家族であふれた。欧州と太平洋の両戦線で戦ったアメリカ国民干六百万人のうち、約四十万人が戦死、五百万人近くがいまだに生存しているものの、一日当たり干百人が死亡している勘定だという。

 第二次世界大戦が「アメリカという国」を、全世界の政治・経済に決定的な影響力を持つ「世界国家」にのし上がらせ、国内的にも黒人差別解消と女性の地位拡大という今日の多元的アメリカ社会の活力を生み出すきっかけとなったことも事実である。二十九日に、クリントン、ブッシュ・シニアー両元大統領にケリー民主党候補も参加し、十五万人がモールを埋めた式典でも、ブッシュ大統領が演説で大戦参加者の犠牲と献身に対して、アメリカが負っている恩義に、遅ればせながら記念広場の建設で報いることが出来たと、率直に述べていたのも納得出来た。

 しかし、実際に広場に立って、数々の碑文を読んでみると、いろいろと考え込むことになった。中央のアメリカ国旗掲揚台の下には、「アメリカ人は、制圧するためではなく解放するために、自由を回復し、専制を終わらせるために来た」とあった。ブッシュ大統領がイラク戦争で今すがろうとしているのは、まさにこの「大義」である。

 太平洋戦線側の犠牲者を追悼する南側の壁には、マッカーサー元師のミズーリ艦上降伏式での名調子の演説の一節に続いて、ミッドウェー海戦について「彼らには勝つ権利がなかった」と切り出し、「確実な敗北を信じがたい勝利に変えた」アメリカ兵の技術、信念、勇気を讃えたウォルター・ロードのことばが刻み込まれていた。ブッシュ大統領は、演説で大戦での日系アメリカ人の貢献にわざわざ言及して、現在の良好な日米関係への配慮をみせた。しかし、この記念広場では、日本は「勝つ権利」がなかった敵として、永遠に記録されている事実を忘れてはいけないと思う。

 

 

 広島、長崎の死者数には触れず

 

 この微妙な異和感は、同じ足で訪問したダレス国際空港の地続きに昨年十二月にオープンしたばかりのスミソニアン国立航空宇宙博物館別館内で、完全復元された広島原爆投下のB29、エノラ・ゲイ号に対面を果たしたことによって、さらに深まることになった。エノラ・ゲイ号は、巨大な格納庫のなかに、コンコルドやスペースシャトルと肩を並べ、ピカピカに磨きあげられて展示されていた。

 私は一九四五年の敗戦一ヵ月前、福井市でB29百二十七機による焼夷弾攻撃を受けて九死に一生を得ており、爆撃の主を間近に見て一瞬たじろいだ。しかし、問題はその足元に書かれている説明文だった。B29が、機内の気密装置まで持ったプロペラ機時代の最優秀爆撃機であったことが記述されたあと、エノラ・ゲイ号とボックス・カー号が広島・長崎に原子爆弾を投下、グレート・アリステ号が二回とも観測機を努めたと、そっけなく書かれただけで終わっていたからである。広島で約十四万人、長崎で約七万人の犠牲者が出た事実はこの説明文のみならず、同博物館の展示記録のどこにも触れられていなかったからである。

 私は、この約十年前までにさかのぼる広島、長崎の死傷者数に触れることを博物館側が拒否する長い経緯について十分承知しており、最近の著書でも触れた。

 しかし、「第二次世界大戦記念広場」とエノラ・ゲイ号展示に続けて接してみると、やはり割り切れない「アンフェアネス」を感じる。

(ニューヨークにて 六月三日記)

© Fumio Matsuo 2012