2005_12_「アメリカという国」を考える(最終回) ──ブッシュという大統領──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢栄一記念財団 機関誌「青淵」(二〇〇五年十二月号)

 

「アメリカという国」を考える(最終回)

 ──ブッシュという大統領──

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

 二〇〇二年十一月号から三十二回にわたり続けて来た連載を今号でひとまず閉じるに当たり、やはりまとめておかねばならないと思うのは、ブッシュ大統領論である。

 折しもそのブッシュ大統領は、前月号の執筆を終えた直後から、政権担当以来、最大といってもいい政治的試練に直面している。

 十月三日、テキサス州知事以来の顧問弁護士で、判事経験のない現大統領法律顧問のマイヤーズ女史を最高裁判事に指名したとたん、昨秋の再選に大きく貢献した「社会的保守派」と呼ばれる党内宗教右派勢力の猛反発を招き、あっという間に指名撤回に追い込まれた。

 次いで二十八日には、チェイニー副大統領の首席補佐官、リビー氏が、CIA工作員の身元情報ろうえい容疑で起訴され、辞任した。リビー氏とコンビを組んで政権運営の軸となって来た大統領の高名な政治指南番、ローブ次席補佐官も同じ容疑で特別検察官の捜査の対象となっている。

 おかげで本来ならイラク戦争への世論の支持をつなぎとめる重要な節目となるはずだった、十五日のイラク国民投票での憲法草案承認のニュースも影が薄い存在となってしまい、遂に二千人の大台を越えたイラク戦死者の数がクローズアップされる結果となった。

 ロバーツ最高裁長官、バナーキ次期FRB議長という二大人事での手固い人選、カタリーナ災害での陣頭指揮──といったプラス面は相殺され、政権二期目の最初の年を支持率四〇%を割るニクソン以来の低空飛行で終えようとしている。

 

 

 早寝早起き大統領

 

 このブッシュ大統領を一ことで説明することにあえて挑戦すると、二〇〇二年の「九・一一」同時テロというアメリカ史上前例のないショックのなかで、国民からの求心力を集める「ワン・チャンス」を生かし、絶大な指導力を構築しながら、その成功の重荷にあえいでいる大統領─といったとらえ方が適切ではないか。

 「ワン・チャンス」を生かしたブッシュ大統領の資質については、フェアーに認めておかねばならない。フィリップス・アカデミー、エール、ハーバード・ビジネス・スクールと東部のエリート校で高等教育を受けながらも、キャンパスでは、生まれ育ったテキサス気質を常に失わず、気さくで誰とでも仲良くなれる人気者。成績はCクラスで、自らを「非インテリ」と呼ぶ。しかし、一度会った人の名前は決して忘れない"特技"で知られた。当時のベトナム反戦運動には見向きもせず、だからといってエリート志向のガリ勉型でもなく、もっぱら野球などのスポーツ、パーティの幹事役に精出すノンポリ学生の一人だった。

 「九・一一」後の全国的なパニック状況の中では、こうした体育会系の明るさ、わかりやすいことばと短いセンテンスで区切るテキサス・カウボーイ風の演説が、そのまま信頼感となって国民をひきつけたという。二〇〇〇年大統領選挙での集計トラブルもあって、それまで「五〇%大統領」といわれていた二世大統領にとって、「九・一一」はこの資質を生かすまたとない「再生」のチャンスだったわけである。

 夜は遅くとも午後十時までにはベッドに入り、午前五時には起きてジョギングなどで体を鍛え、四十二歳の誕生日をきっかけにアルコール中毒をローラ夫人の内助の功で克服、酒は一切口にしない。結婚と同時にローラ夫人のメソディストに改宗、日曜の礼拝は欠かさない。会議の時間厳守、情報漏れを許さない規律保持──といったブッシュ・ホワイトハウスの流儀は、こうした私生活の延長上にある。

 テロとの戦いに勝つためには、フセイン政権を打倒し、イラクや中東の地に民主主義のタネをまくことが第二次世界大戦や東西冷戦を戦い、勝利を収めて来たアメリカの義務だとの論理で組み立てられて開始され、いまも進行中のイラク戦争は、まさにこの「九・一一」という「ワン・チャンス」で手にしたブッシュ大統領の指導力の産物であった。

 そして、昨年の大統領選挙戦では、開戦の口実となったイラクでの大量破壊兵器の存在が虚構であることが明らかになりながらも、アメリカ国民の多数は、「フセイン大統領がいなくなっただけでも世界はより安全になった」とのブッシュ大統領の強弁を結果として受け入れた。再選は、上下両院の共和党支配と合わせて、ブッシュ大統領に対する信頼継続の証だった。

 

 

 ポスト「九・一一」時代を切り開けるか

 

 従って、いまブッシュ大統領にとっての課題は、あの「ワン・チャンス」で得たアメリカ国民の信頼をつなぎとめることが出来るかどうかの一点にしぼられる。その意味で現在の苦境は、父親のブッシュ政権時代には一線を画していた、中絶反対や銃規制反対を声高に叫ぶ「社会的保守派」まで取り込むことで、イラク戦争の遂行を多数派としての共和党時代の形成とだぶらせて来たローブ戦略の試練といっていい。ブッシュ大統領は、マイヤーズ女史の指名撤回後も、即座に「社会的保守派」が歓迎するアリート連邦高裁判事を指名して、民主党との両院での全面対決を辞さずに、彼らの支持固めに懸命である。ローブ路線の継続である。

 しかし、ローブ氏まで捜査の対象となるCIA工作員事件の浮上は、大量破壊兵器の有無という対イラク開戦理由をめぐる政権中枢部での情報操作をあばく可能性まで秘めているだけに深刻である。潜在的には、ウォーターゲート事件に似た、ブッシュ大統領のクレディビリティそのものが問われる局面も予想される。

 ここで「九・一一」以前の「五〇%大統領」時代のブッシュ大統領は、イラク戦争でその主張に組したネオコンの「民主主義世界革命」路線とはほど遠い「ノンポリ」政治家であった事実も忘れてはならない。二〇〇〇年の選挙戦でのスローガンは、中道的な「思いやりのある保守主義」であり、ライス現国務長官が助言したその外交政策も、海外でのコミットメントは国益第一に極力控えるとの内向きのものだった。その点で、優秀な行政能力で「陰の首相」といわれる政権内の実力をもとに、一〇〇%ネオコン路線に乗って来たリビー氏のボス、チェイニー副大統領との距離も注目される段階に入って来たといえる。

 アメリカ世論全体は、民主党の次期有力大統領候補ヒラリー女史が反戦運動のシンボルとなったイラク戦死者の母シーハンさんへの支持をためらっている事実に示されるように、まだ「九・一一」ショックの呪縛から解きはなたれていない。その落とし子であったブッシュ大統領にとっても、いつまでもこの呪縛とともに走り続けるのか、それとも「ノンポリ」のオポチュニストとしてポスト「九・一一」時代を切り開く指導者として再び「再生」するのか。中間選挙の年の二〇〇六年を控え、時間はほとんど残されていない。

(十一月二日記)

© Fumio Matsuo 2012