1985_09_高木八尺先生を偲ぶ会(月刊文藝春秋・巻頭随筆)

『文芸春秋 1985/09』

高木八尺先生を偲ぶ会

 

松尾文夫

 

 もう大分前のことになってしまったが、四月二十七日の土曜日、麻布鳥居坂の国際文化会館で、いい会合があった。松本重治、岡義武、中屋健弌、前田陽一、長清子、斎藤真、オーティス・ケーリ、嘉治元郎、本橋正、本間長世の十氏が発起人となって開かれた「高木八尺先生を偲ぶ会」である。昨年四月二十八日に九十四歳で逝去された高木先生の一周忌を機会に、日本のアメリカ研究の文字通りのパイオニアであった先生の大きな足跡を偲ぼうと計画されたもので、雨の中いろいろな分野から百一人もが集った。

 会場の真中には、柔和な、しかしどこまでもスマートで端正な先生晩年の写真が飾られた。その前には、ピューリタニズムの精神的伝統こそがアメリカ民主主義の原点であると説かれて、その後のアメリカ研究が避けて通れない古典となった「米国政治史序説」の昭和六年の初版本や、大正十三年に東大で開講され、太平洋戦争中も決して中断されなかった「アメリカ憲法、歴史および外交講座」の講義録で、戦後そのまま出版され、いまも版を重ねている「アメリカ」、さらには昭和四十五年から一年がかりで全五巻が完結した「高木八尺著作集」など先生の主要な著作が並べられた。

 また会場では、この一周忌に合わせて東大出版会から出版された「アメリカ精神を求めて=高木八尺の生涯=」(斎藤真、本間長世、岩永健吉郎、本橋正、五十嵐武士、加藤幹雄編)と、葬儀のときの弔辞や追悼文をまとめた小冊子「高木八尺先生を悼む」も披露された。いずれも、単にアメリカ研究者としてのみならず、日本の優れた知識人の一人として、太平洋戦争の開戦回避、終戦工作への努力、マッカーサーおよび占領軍への直言、講和問題やベトナム政策でのアメリカ批判──と

日本とアメリカの友好関係の節目節目には、常に控え目ながらも強じんな行動力を示された先生の広範な活動の軌跡がきちんと記録され、貴重な資料となっている。そうした努力は、高木先生の東大での後継者であっただけでなく、その研究全体の継承と発展のためにいまも尽力しておられる斎藤真国際基督教大教授を中心とする各世代、分野のお弟子さん方の見事な団結と先生への深い敬愛の念を物語るもので、参加者は、ここにも先生の遺徳の大きさを感じた。

 会は、斎藤先生の開会あいさつのあと、東大での最後の教え子の一人、本間長世東大教養学部教授の司会で始った。黙とうに続いて、高木先生の高弟として、最大の協力者として六十一年間にわたって行動をともにされた松本重治国際文化会館理事長が発起人を代表してしゃべられた。八十五歳の松本さんはますますお元気で、接したアメリカ人をすべて日本の本当の理解者にしてしまう先生の誠心誠意のお人柄を、国際文化会館や日米知的交流委員会の場での多くのエピソードを混えながらしみじみと話された。恩師の大きな影をそのまま立派に背負って歩いておられるようにみえた。続いて、昭和五十二年の米寿のお祝いのときの高木先生のあいさつがテープで流された。内村鑑三、新渡戸稲造門下として強いキリスト教信仰に生きられた先生らしく「人間に大事なものはホリゾンタル(横)の関係よりパーティカル(縦)な関係である」といった趣旨のお話で、甘<穏やかな、しかし気骨に満ちた声だった。このあと、東大法学部の後輩教授として丸山真男先生、遺族代表として次女の藤山静子さん(藤山楢一元駐英大使夫人)がそれぞれ思い出を語られた。そして、高木先生の母校であり、昭和二十五年に東大を退官されたあと十年間教壇に立たれた学習院の教え子の一人として私も貴重な先生との触れ合いを報告させていただいた。最後に、斎藤先生が「先生は私たちと一緒にいまもここにおられる」と感慨を込めた閉会のことばを述べられ、会は終った。

 確かに、斎藤先生ではないが、高木先生の鋭いアメリカ分析は、いまも私たちの導き手として間違いなく私たちとともにある、と私は思う。東京オリンピック直後の昭和三十九年十二月私が初めてニューヨーク特派員として赴任するとき、高木先生から二つの注意をいただいた。一つは「日本とアメリカはこれからますます親しく、近く、仲良くなっていくが、一方で文化、伝統、生活様式、物の考え方などこれほど違った国はない。もう二度と戦争はあり得ないが、この二つの国が仲良くしていくことも大変なことだ。これを忘れないように」というものだった。もう一つは「アメリカ人の生活態度は本来質素であり、その本質は質実剛健である。日本の生活もこのオリンピックを機会に派手になって来ているが、アメリカそのものは豊かであっても、その生活はつつましい。その辺を良くみてくるように」という内容だった。

 あれから二十一年、日本の経済力の高まりを軸にあまりにも違う国があまりにも急激に、しかも物から先きに近くなってしまった喜悲劇──、少なくとも衣と食だけはアメリカはもとより世界のどの国よりも豊かでぜいたくになってしまった日本と「小さな政府」の政治で質実剛健時代への回帰が目立つアメリカ──いま経済摩擦が燃えさかる日本とアメリカの関係は、まさに高木先生が予測され、危惧された通りの問題点をかかえて出口がない。

 イギリスから渡って来てアメリカを生み落したピューリタニズムとはなにか。その勤勉、節約、克己の精神がいま「レーガンのアメリカ」に引き継がれているのか、いないのか。先生がアメリカ民主主義成立のもう一つの条件として上げられた

フロンティア存在の意義(昭和二年、米国政治史における土地の意義、政治学研究)は、いまや多数派となった「西のアメリカ」に回生しているのかどうか。まだまだ高木八尺先生から学ばねばならないことばかりである。最末端の教え子として肝に銘じるこのごろである。

© Fumio Matsuo 2012