2005_08_「アメリカという国」を考える(その二十八) ──続 敗戦六十周年と靖国──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢栄一記念財団 機関誌「青淵」(二〇〇五年八月号)

 

「アメリカという国」を考える(その二十八)

 ──続 敗戦六十周年と靖国──

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

 先月号に引き続き、敗戦六十周年という節目の年の感慨のなかで、日本とアメリカとの関係について考えてみたい。靖国問題という重いテーマにあえて触れる。

 先月号で、六十年前までさかのぼると、アメリカと中国、さらには北朝鮮との間にさえ、「日本にはない良好な関係」があったことを忘れてはならない──と述べた。今月号で報告しておきたいと思うのは、アメリカのしかも、保守派で、イラク戦争全面支持といっていい論客のなかに、靖国問題では、中国や韓国と違わない異和感が存在し、公然と発言もしているという事実である。

 これだけ靖国問題が論議され、小泉首相の靖国参拝が国益にかかわるかどうかといったレベルにまで高まっている折から、その立場のいかんを問わず、直視しておかねばならない「アメリカの声」だと思う。

 その人物は、マックス・ブーツ氏。ニューヨークの外交問題評議会の主任研究員で、月二回、ロサンゼルス・タイムズに寄稿するコラムニストでもある。発言先は、ブッシュ政権を陰に陽に引っ張るネオコン・グループの機関誌としていまや有名な「ザ・ウイークリー・スタンダード」。その二〇〇三年十二月一日号である。「日本の記憶喪失─東京の戦争神社訪問─」という表題だった。

 内容は、靖国神社と遊就館と呼ばれるその資料館の訪問記である。出来るかぎり忠実にその靖国批判部分を要約しておく。

 

 

 ネオコン機関誌で靖国批判

 

 1) 東京滞在中に訪れた靖国神社の高名な戦争博物館の展示では、彼らが「大東亜戦争」と呼ぶ先の大戦での日本の軍 隊の行動について全く遺憾の意が示されていない。その展示内容は煽動的である。

 2) 連合国の占領下で裁かれたA級戦犯も戦争の英霊の一部として祀られている靖国神社には、毎年閣僚らが参拝して、常に一定の国際的波紋を呼んでいる。ドイツの政治家がナチSSの墓地を参拝するのに似た彼らの行動は、個人としての行動であり、英霊の勇敢な行為を賛えるもので、彼らが戦った目標そのものを是認するものではまったくない─と一貫して弁明されて来ている。

 3) しかし遊就館に入ると、これらの説明がいかに説得力に欠けるかがわかる。その展示では、つきつめると一八九 五年(日清戦争勝利)から一九四五年(第二次世界大戦敗戦)までの日本の行動のすべてが正当化されている。その期間中、日本の軍事行動やアジアでの植民地化政策で一千万人が死んだ。ナチによる組織的な虐殺行為とは比べることは出来ないものの、日本軍による犯罪も決して軽いものではない。アメリカ、イギリス、オーストラリア捕虜に対する虐待もすくなからずあった。遊就館では、これらになにも触れられていない。

 4) 二十万人以上(まま)が実際に死んだ一九三八年の南京占領時の日本軍による虐殺についても、「中国側は大敗し、多くの死傷者を出した」と述べ、「南京市内では、占領後、居住者が再び平和な生活を送ることが出来た」とだけ述べている。

 5) 太平洋戦争の開始についても、遊就館展示は、日本による真珠湾攻撃ではなく、ルーズベルト大統領のせいだとしている。国内経済の停滞を打開するため戦争を望んだ悪賢いルーズベルトは、国内の強い反戦世論を変えさせるために、資源に不足する日本を禁輸政策で戦争に追い込んだ、というわけである。

 6) とにかく一番気味が悪いのは、「桜花」、「回天」といった戦争末期の絶望的な特攻兵器が陳列され、その特攻隊員が美化され、中国や朝鮮の女性を強姦した兵士と一緒に祀られ、「現代日本のいしずえとなった」と賛えられていることである。

 

 

 靖国参拝には米国内からも反発か

 

 もちろん、ブーツ氏もこうした靖国神社的な見解が日本の多数派ではなく、日本の過去を美化する「狡かつなロマンティストでさえ、その過去の続編を望んではいない」と述べ、現在の日本人の戦争嫌いは本物であり、イラク派遣自衛隊についても死傷者が出ることを一番心配している、としている。そして、同氏はイラク戦争およびブッシュ・ドクトリンを百%支

持する立場から、日本の自衛隊派遣、五十億ドルのイラク復興支援拠出金を多としている。

 私は、このブーツ氏とは、三年前の二〇〇二年五月、ジャーナリスト復帰宣言してから初めてのアメリカ取材旅行に出たときにインタビューして以来の知己である。

 復帰後の私の最初の論文となった「したたかな新帝国主義の登場=たかぶる「ブッシュのアメリカ」=」(中央公論二〇〇二年八月号)で、ネオコン・グループの台頭と影響力、その結果としての対イラク武力行使の可能性を予言できたのも、当時まだ三十三歳、ウォール・ストリート・ジャーナル紙論壇ページ編集者をつとめていたブーツ氏から当時まだ知られていなかったネオコンの論理について、直裁な解説を聞けたのが大きかった。「テロに対する最も現実的な対応はアメリカが帝国としての役割を喜んで引き受けること、すなわち武力行使をいとわないこと」との最近のブッシュ大統領の発言とそっくりな主張を「九・一一」同時テロ直後の二〇〇一年十月の時点で行っていたブーツ氏については、昨年の拙著、「銃を持つ民主主義─『アメリカという国』のなりたち─」第九章「ネオコンの実像」で、ネオコンの主張の代表例として、詳しく紹介している。

 ブーツ氏が二〇〇三年暮れ訪日した時にも会い、夕食をともにし、明日靖国神社に行くという彼と別れた。その帰国後の「ザ・ウィークリー・スタンダード」誌への寄稿だけにショックを受け、照会の機会を待っていた。その後、訪米のたびに海外取材も多い彼とはすれ違い、この問題を話し合ってはいない。

 しかし、かねてから反中国、反北朝鮮の立場を明確にしているブーツ氏があの論文のなかで、「日本の戦争に対する後悔の欠如は、日本軍よりもっと多くの苦難を自国民に与えている中国、北朝鮮の共産主義者にアジア諸国の『反日感情』を操作するチャンスを与えてしまう。日本は自衛隊派遣など新しい日本の国際貢献をアジア諸国に受け入れてもらうためにも、第二次世界大戦の亡霊を眠らせてしまうことだ」と忠告している部分は、いま真剣に受けとめておかねばならない、と思う。

 小泉首相の靖国参拝問題に対する中国、韓国からの強い反発にアメリカからも同調する声が出る潜在性を示唆しているからである。引き続き「日本にはなかった」アメリカと東アジアとの関係を思い起こすことにこだわるゆえんである。

(二〇〇五年七月四日記)

© Fumio Matsuo 2012