渋沢栄一記念財団 機関誌「青淵」(二〇〇五年二月号)
「アメリカという国」を考える(その二十四)
─イラク「出口戦略」の行方
松尾文夫(ジャーナリスト)
大津波の惨状で明けた二〇〇五年の年の初め、かみしめるのは、アメリカがブッシュ大統領のもとで、イラク戦争をどう収拾し、どんな「出口」を見出すことが出来るのか、出来ないのか──という重い問い掛けである。イラクの地で自衛隊が〇五年の元旦を迎えた日本にとっても、他人事ではすまされない重大事である。
私は一九七二年から七五年までの共同通信バンコク支局長時代、アメリカが「ベトナム人化計画」によって、ベトナム戦争からの「出口」を見つけるまでの苦渋に満ちたしかし、最後は極めて利己的に処理した過程を、自らインドシナ各地で取材している。それだけに、時代も条件も違う今度のイラク戦争からの「出口戦略」があのときにも増して容易なものではないことを肌で感じるからである。
それになによりも、ブッシュ大統領自らの「出口戦略」についての発言に、緊迫感が漂い始めている、と私は思う。
ブッシュ大統領の慎重な発言
もちろん、ブッシュ大統領も、イラクのアラウイ暫定政府首相も一月三十日の二百七十五人の暫定国民議会議員を選出する選挙、同議会による十月までの憲法草案作成と国民投票による批准、十二月までの本格政権の樹立─という「民主主義イラク」誕生、そしてそれを支える新イラク国軍の育成による駐留アメリカ軍の段階的撤退─というシナリオを崩すわけにはいかないからである。
しかし、ブッシュ大統領は、二〇〇四年十二月二十日の年末記者会見で、いつになくその苦難に満ちた状況について、率直に語った。「最近の世論調査で、アメリカ国民の四八%がイラク戦争が成功裡に終結することに自信を持てないと答え、自信を持てるとの四一%を上回ったが」との質問に対し、�イラクでの最終的な成功は、イラク人自らが国の治安を維持出来るようにすることだ。これがわれわれの目標だ。現在、一部のイラク国軍がいざ戦争となると離脱してしまうことも事実だ。しかし、一方で立派に武装勢力と戦い、任務を果たす部隊も生まれている。イラク軍への応募者も多く、現在欠けている国軍として命令系統の確立が出来、必要な装備と訓練の提供を続ければ、目標を達成出来ると確信している。�テロリストたちの無差別攻撃がイラク国民に、そしてアメリカ国民の恐怖を呼ぶ効果をあげていることは事実だが、全イラク十八の州のうち十五の州では比較的安定した情勢で、生活も向上しており、われわれは長期的な利益という点で成功すると確信
している─と語った。
そしてさらに「十四万人のアメリカ軍はいつまでイラクに駐留を続けるのか」との質問には、可能なかぎり速やかにイラク国軍への肩代わりという目標を達成する、と前置きしたうえで、次のように述べた。
「イラク国軍に戦闘の態勢が整っていないことについては幻想を抱いていない。全体としては目標を達成することに楽観的だが、同時に、私はこれを達成する時期について貴方たちに言うほど愚かではない。もしそれを達成出来なかったら、私は次の記者会見で、それがどういう理由によるものだったか答えようと思う。」これまで強気一本のイラク政策で再選まで勝ち取ったブッシュ大統領としては、かつてない慎重な発言だ、と思う。
このブッシュ発言は、あまり日本に伝えられていない。しかし、私には、ブッシュ大統領のイラク「出口戦略」、つまり
イラクの治安維持の「イラク人化」によるアメリカ軍の引き揚げ──というシナリオが、そのイラク国軍の育成という根幹の段階から苦境に立っていることを正直に認めた点で、意味深長な発言だと思われる。
そこで、私は、ちょうど三十年前の七五年四月三十日の旧サイゴン陥落で幕を閉じたアメリカのベトナム軍事介入の「出口戦略」が、ニクソン大統領が構築した「ベトナム人化計画」であったことを思い出す。
出口のない、出口戦略
ケネディ=ジョンソンの民主党政権から引き継いだベトナム戦争の勝てない現実に対して、ニクソンは、自らがサイレント・マジョリティーと名付けた中産階級のエゴイズムと愛国的メンツに迎合する「名誉ある撤退」のシナリオをあみだした。「アメリカ兵の血は十分流れた。あとは自らを守れるようになった南ベトナム政府軍にバトンを渡せばいい。負けて帰るのではない」という論理で組み立てられた「ベトナム人化計画」は、アメリカ世論の支持を得、反戦運動を封じ込めることに成功した。右手では毛沢東との握手による歴史的な米中和解という大わざをかける一方で、左手では、北ベトナムへの爆撃強化、ラオス、カンボジアへの戦火拡大が「アメリカ兵の血を流さないため」にと正当化された。
ベトナム戦争戦死者の半数近くを占める二万七千六百二十三人の血が、このニクソンの「出口戦略」のために流された。
このシナリオに沿って、七三年、いまではアメリカ軍引き揚げの口実をつくるためのものであったことがはっきりしている和平協定が北ベトナムとの間に結ばれ、アメリカ軍の撤退式と引き替えに、ハノイ抑留のアメリカ軍捕虜四百人の釈放が実行に移される。そしてその一年半後、アメリカ議会が次々と南ベトナム援助をカットするなかで、南ベトナム政府はあっという間に崩壊する。アメリカによる親アメリカ政権の放棄のシナリオの完結であった。
いまニクソン・ホワイトハウス時代からの仲間であるチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官のコンビが早々と打ち出した「イラク人化計画」が、この「ベトナム人化計画」に学んでいることは間違いない。ブッシュ大統領が告白したのは、その「イラク人化計画」の窮状である。
しかも、三十年前は、アメリカが投げ出した南ベトナムを引き取ってくれた北ベトナム、さらにその背後の中国、旧ソ連がいた。いまこの東西冷戦構造は過去のものである。いまやアメリカ一人勝ちの時代である。アメリカが投げ出しても、引き取る者はどこにもいない。それにブッシュ大統領の再選は認めた新版サイレント・マジョリティーのエゴイズムが、いつまでアメリカ軍戦死者と双子の赤字の上昇を認めるのか。
ブッシュ大統領の率直な語りは、この「出口」なき「出口戦略」の現実をかみしめ始めた証拠かもしれない。
(一月五日記)