2003_02_「アメリカという国」を考える(その四)  ──なかなか進まない銃規制──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢青淵記念財団竜門社

機関誌「青淵」(二〇〇三年二月号)

 

「アメリカという国」を考える(その四)

─なかなか進まない銃規制─

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

 アメリカの銃規制がいつまでたっても完全なものとならず、痛ましい銃犯罪が絶えない─これが現在のアメリカの恥部である。しかし、このホットなテーマを解明しようとすると、結局またアメリカの建国と憲法成立のプロセスにまでさかのぼらねばならない。ことほどさように、アメリカという国はまだまだ若い国だということを肝に銘じておいた方がいい。

「われわれはしばしば悪党呼ばわりされる。しかし、われわれの使命は憲法修正第二条の導きにしっかりと従うことである。歴史上最もまれな、しかも大変な苦難のうえで勝ちとられた権利を悲劇によって無駄にするようなことがあってはならない」。いまのアメリカで銃規制に反対する最大最強のロビーである全米ライフル協会(NRA・一八七一年創立)の会長、老優チャールトン・ヘストンが一九九九年五月、コロラド州デンバーで開かれたNRA年次大会で行った演説の一節である。

 ここでいう「悲劇」とは、わずか十日前に大会会場にほど近いコロラド州リトルトンで発生した高校生の校内銃乱射事件のことで、全米を震かんさせた事件のショックが生々しく残るなかでの銃規制反対派の頑強さを実証する発言として、当時大きな注目を集めた。あれから三年半、NRAの最新のホームページを開いてみると、チャールトン・ヘストンは依然NRA会長の職にあり、NRA財団の目標として米合衆国憲法修正第二条を守り、育てることがかかげられていた。

 

 

 規則反対派が優勢

 

 この修正第二条が今回のテーマである。ヘストン演説で、「勝ちとられた権利」として位置づけられているもので、ガンロビーにとっては錦の御旗である。かつて教えを受けた故高木八尺先生の訳によると、修正第二条全文は次のような内容である。

「紀律アル民兵ハ、自由国家ノ安寧ニトリテ必要ナルヲ以ッテ、人民ノ武器ヲ保蔵シ又、武装スルノ権利ハ、之ヲ損フコトヲ得ズ」

 銃規制グループと規制反対派では、この解釈で真正面から対立する。前者は、現在の州兵となるかぎりにおいて武器所持の権利が認められるということだと主張、銃規制は憲法問題ではなく公共の安全確保の問題だとする。これに対して後者は、政府権力の濫用を見張り、市民の自由を守るのに不可欠な権利であり、アメリカ民主主義の生命線だと反論する。この対立はいまもアメリカの政治、世論にそのまま持ち込まれている。

 しかし、全体として俯瞰すると、後者、すなわち規制反対グループの方が優勢である。リトルトン事件の直後、当時のクリントン大統領と民主党が提案した銃購入規制強化法案が上院は通ったものの、共和党が多数をにぎる下院ではあっさりと否決され、陽の目をみず、その後NRAに近いブッシュ政権の登場となって、完全に沙汰やみとなっている事実がすべてを物語る。

 そもそも一七九一年、米合衆国憲法の発効三年後に追加された十項目の基本的人権保障条項、いわゆる権利章典部分の一項目である修正第二条が二百十二年たった現在も依然として存続していること自体、この主張の根強さを物語る。米合衆国憲法の修正は、現在まで二十七回にわたって行われている。一九一九年の修正第十八条で制定された禁酒条項が、その後一九三三年の修正第二十一条で廃止されたように、この修正第二条も、銃犯罪の温床になるという理由一つで廃止されても不思議ではなかったのである。

 

 

 ピューリタンも武装集団

 

 それがいままで生き残り、ガンロビーの錦の御旗となっている現実をアメリカ社会の素顔として理解しておいた方がいい。この連載の「その三」でみたアメリカ民主主義のオリジナリティへのこだわりと妥協という、米合衆国憲法成立のプロセスのなかで、この修正第二条が大きなウェイトを占めていた事実をいま直視する必要がある。

 当時、建国の父たちは、強力だった州権第一主義者に対してなんとか対外的、経済政策的に立ち上げを迫られていた連邦中央政府の存在を「必要悪」として憲法に盛り込むことを承認させる取引の代償として、この修正第二条があみだされたということである。つまりワシントンの権力が個人の権利を侵害しないよう一般市民が見張るために、イギリスからの独立戦争で活躍した民兵という名称を使って、事実上市民の武装を認める条項を加えたという歴史的ないきさつがある。

 独立宣言の起草者でありながら、パリ公使に出ていたため制憲会議に参加できず、その結果に不満を持ったジェファーソンの意向を受けて憲法の批准達成のために急ぎ追加されたのが、言論の自由の保障も含むこの権利章典十箇条の約束だったという話が残っている。それにそもそも「契約と合憲による権力の創出」でアメリカ民主主義の原型をつくったといわれるメイフラワー号のピルグリム・ファーザーズも、ピューリタニズムの裏側で資金の許すかぎりの武器を携行して大西洋を渡った、当時としては第一級の武装集団であった。

 アメリカという国は、その建国の第一歩から自由、平等の精神の保持とともに、武力行使がウェイ・オブ・ライフの一部となっている歴史を忘れてはならない。秀吉、徳川、明治─と中央権力が刀狩りを繰り返して来た国とは決定的に違うのである。

 イラク攻撃準備を進めるブッシュ大統領への米国民の多数の支持は、修正第二条を錦の御旗とするガンロビーの優位とシンクロしている。そして不思議なことに連邦最高裁は、この対立する解釈に明快な裁きを下していない。建国の父たちの生ぐさい取引の影がいまだにアメリカをおおっていると思っていた方がいい。

© Fumio Matsuo 2012