2004_04_「アメリカという国」を考える(その十七) ──ついに「同性婚」も争点に──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢青淵記念財団竜門社

機関誌「青淵」(二〇〇四年四月号)

 

「アメリカという国」を考える(その十七)

─ついに「同性婚」も争点に─

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

 共和、民主両党が激突し、かつてない泥試合になる可能性が高い、と先月号で報告したばかりのアメリカ大統領選挙戦に、「同性婚」の合法化是か否か─というアメリカ社会の基本的な生活ルールにかかわるドロドロした争点が加わることになった。

「同性婚」問題は、その前提となる同性愛関係(男性間の場合は主にホモセクシュアル、女性間の場合はレスビアン、総称してゲイと呼ばれるのだと思う)とともに、世界各地でさまざまな歴史を持つ。

 アメリカの場合、ゲイ問題が社会的問題として顕在化したのは、一九六〇年後半からのベトナム反戦運動が黒人の公民権運動などとシンクロして一世をふうびした反体制運動の一部としてである。この時、ポルノ解禁、ウーマン・リブ、ドラッグ文化などと一緒に、ピューリタンの伝統に支えられたアメリカ社会の既成価値観に挑戦する別名カウンター・カルチャー運動の一つとして市民権を得た、ということである。

 

 

 カウンター・カルチャー運動の統括

 

 このカウンター・カルチャー運動は、「声なき声の多数派」と呼ばれた白人中産階級を中心とする保守派の反発を招き、その力がピークを記録した一九六八年の大統領選挙で共和党のニクソンを当選させてしまった。以来三十六年、アメリカ政治における保守派優位、カウンター・カルチャー運動を結果として黙認したリベラル派守勢の潮流が定着する。

 いま再選をねらうブッシュ政権もその延長線上に位置する。ちなみにイラク戦争の進行などブッシュ政権に大きな影響力を行使したネオコン・グループは、その起源を探れば、このカウンター・カルチャー容認の民主党リベラル派と決別した一団である。

 この政治的潮流のなかで、ポルノ解禁、ドラッグ文化などは姿を消した。しかし、ゲイパワーは生き長らえた。一九九六年、ハワイ州最高裁が「同性婚を認めないのは州憲法違反」との判決を出して以来、バーモント州での同性婚承認(二〇〇〇年)、マサチューセッツ州最高裁の「州憲法に同性婚排除の理由なし」として五月からの承認の勧告(二〇〇四年)──と州裁判所、地方自治体レベルでの容認の実績が積み上がる。

 この二月十日、サンフランシスコ市長が「同性婚」禁止のカリフォルニア州法(二〇〇〇年の住民投票で制定)を無視して、同性カップルに「結婚証明書」の発行を開始、一週間で二千五百組が受給、テレビカメラの前で公然と喜びのキスを繰り返す段階に達した。エイズ問題の深刻化の結果、ゲイ側が公的保障を必要とするところまでその存在が一般化したともいえる。

 この意味で、ことしの大統領選挙戦は、ネオコン路線に乗ってイラク戦争に踏み切ったブッシュ政権に対する信任投票であると同時に、カウンター・カルチャー運動の落とし子であるゲイパワー「認知」についての是否も問われている点で、一九六八年という「アメリカという国」の分水嶺の年が総括される選挙と、いえる。

 

 

 「伝家の宝刀」への歴史的審判

 

 争点とする引き金はブッシュ大統領が引いた。二月二十四日の演説で、かねてから党内保守派が主張して来た「同性婚」を禁止する修正条項をアメリカ合衆国憲法に追加すべきだとの提案を支持することに踏み切り、連邦議会に対して憲法修正案を発議するよう要請したからである。これに対して、民主党の大統領候補指名を手中に収めたケリー上院議員は、結婚は男女間によるものだとして、「同性婚」そのものには反対しながらも、それを禁止するかどうかを含めて結婚の定義については各州の判断にまかせるべきだとの見解を表明し、はっきりブッシュ大統領と一線を画した。

 そもそも合衆国憲法の修正は、各州の権利を第一に組み立てられた連邦制国家であるアメリカの政治の仕組みのなかで、「伝家の宝刀」といってもいい重みを持つ機能である。

 合衆国憲法は、事実上の独立国であった十三の旧イギリス植民地、つまり現在の州が、まず州権を主張したうえで、その連合体としての新国家建設のために、妥協に妥協を重ねて「必要悪」としての連邦中央政府のシステムをつくり上げたアメリカ独自の政治インフラである。それだけに、州権を拘束することになる修正の発議には、国内の政治的なコンセンサスを最大限達成するために極めて高いハードルがもうけられている。

 発議には、上下両院の三分の二の多数、または各州の三分の二の州議会の請求が必要で、しかもその成立には各州の四分の三、すくなくとも三十八州以上の批准がなければならない。一七八八年の発効以来続いている、この世界最古の成文憲法の歴史でも、修正が実際に成立したのは二十七回だけ。このうち修正第十条までは、憲法批准討議の段階で、成立直後に追加することが決まっていた権利章典部分で、一八〇〇年以降は十六の修正しか通っていない。

 しかも、手続き的な規定を除くと、政治インフラ自体に手を加えたものとしては、奴隷制度廃止関係(一八六五年確定の修正第十三条など)と女性の参政権獲得(一九二〇年確定の修正第十九条)にとどまる。

 ブッシュ大統領は、当然ながら、「同性婚」禁止の憲法修正は、十分この高いハードルを超える条件を満たしている、という立場である。演説でも一九九六年、クリントン政権で結婚は男女間の法的契約だと明確に規定した「結婚防衛法」が下院の賛成三百四十二対反対六十七、上院では八十五対十四の多数で成立し、三十八の州で同様の州法が成立している事実を強調、こうした国字的コンセンサスに対して「一握りの裁判官や、地方当局者が従わない事態を打開するためには、憲法修正で押さえ込むしかない」、との論理を展示している。

 このブッシュ大統領の一石は選挙での保守票固めのためとみられている。国民の大勢も「同性婚」には約六〇%が反対との調査結果が出ているものの、配偶者としての税金や年金など公的特典がないだけで、実態は変わらない同性の男女による「シビル・ユニオン」(市民契約)関係については、事実上許容する立場が多数である。この問題については、保守派、リベラル派という政治的立場に加えて世代的格差も深い。

 ゲイ問題が国家的ケジメを必要とするところまで来ていることは間違いなく、十一月二日の投票結果は「二一世紀のアメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」の行方も左右する。

 

(三月四日記・次回は六月号の予定)

© Fumio Matsuo 2012