『中央公論 2006/10』
相互献花による新「信頼醸成」の提案
胡錦濤主席にもヒロシマで花束を手向けてもらおう
一年前、本誌で「ドレスデンの和解」を手本に、米軍による無差別爆撃という「棘」を抜く和解を提案した。靖国参拝の「呪縛」から解放されたポスト小泉時代を迎えるこの機会に、新しい北東アジア全体の「信頼醸成」のイニシアティブを提案したい
松尾文夫/ジャーナリスト
ポスト小泉時代の到来で、日本の外交はまたとないチャンスを手にしていると思う。小泉首相の靖国参拝という「呪縛」から脱して、中国、韓国をはじめとするアジア、太平洋諸国のみならず、アメリカを含めた不幸な過去を持つ国々との「棘」を抜く和解を再確認し、併せて環境問題やエネルギー問題など北東アジア地域のサバイバルにとって緊急な課題の解決でもイニシアティブを発揮する舞台が整っている、と考えるからである。東西冷戦時代の用語を使うと、新「信頼醸成」イニシアティブの発動ということになろう。
昨年五月、外務省高官は、ある講演で、日本外交の手詰まり状態を批判する声に応えて、「オセロゲームのようなもので、いま全体が黒になっているように見えるけれども、一つ白くなると玉が変わるのが早いから落ち込まないでやっていこうといっている」と述べていた。このたとえに従えば、一つの「白玉」で「黒玉」を一気に白に変える日本外交にとっての戦略的好機が到来しているのだと思う。
靖国参拝モラトリアム
まず私の基本的立場を明らかにしておかねばならない。
一つは、過去五年間、小泉首相の靖国参拝が生みだしていた中国、韓国との異常な関係を正常化することである。新首相は、日本国内でかつてない規模で深まった靖国神社のあり方についての、さらには戦没者全体の追悼のかたちについての論議、つまり意見の対立が収拾され、国民的コンセンサスが出来上がるまで靖国参拝にモラトリアムをかける。つまり参拝を控える。これが新イニシアティブにとっての大前提となる。このモラトリアムは、中国韓国の要求に従うといった視点で捉えてはならない。むしろ、あの戦争の敗北から六一年たったいまも戦死者追悼のかたちを巡って国内の意見が分かれ、A級戦犯合祀に象徴されるようにコンセンサスができていない問題を近隣諸国に押し付けること自体を、疑問視すべきだと思う。モラトリアムは、これまで日本自らが放置してきたあの戦争を総括する努力の一部として、前向きに受け止め、「国益」として割り切るべきだろう。被害者意識ではなく、プラス思考で考える時だろう。
もう一つ、このモラトリアムと同時に、再確認しておかねばならないことがある。「世界の近代史における数々の植民地支配や侵略行為に想いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民、特にアジア諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」との戦後五〇周年の一九九五年六月九日の衆議院決議。同年八月十五日の「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えた」ことを反省し、詫び、内外すべての犠牲者への追悼の念を示した村山首相の談話。そして昨年八月十五日、戦後六〇周年に当たり、村山談話と同じことばで反省、詫び、追悼の意を明らかにしたあと、「とりわけ一衣帯水の間にある」中国と韓国には名指しで触れ、未来志向の協力関係樹立を呼びかけた小泉首相談話。新首相はそのすべてを再確認し、その継承を明確にする。日本が積み重ねてきたこの明確な謝罪と反省のメッセージは、いま日本の「植民地支配と侵略」の対象となった国々の世論で、アメリカを含め、意外なほど忘れられている。
つまり、日本は、靖国参拝モラトリアムと同時に、あの第二次世界大戦で、アジア、太平洋では「加害者」であったという既にコミットしている歴史認識を確認したうえで、「黒玉」を白に変えるチャンスとして、多重かつ長期的な視野に立った「棘」を抜くイニシアティブを発動すべきだというのが、私の提案である。
具体的には、日本、アメリカ、中国韓国、やがては北朝鮮、それにロシア、そして最終的にはシンガポール、インドネシア、ベトナム、オーストラリアといった、あの戦争で犠牲を出したすべての国々の首脳によるそれぞれの国での死者を弔う代表的な追悼施設での相互献花の提案である。
夜間無差別焼夷弾爆撃のこだわり
その理由を説明する前に、まず、やはり、一ジャーナリストとして、いまあえてこうした相互献花といった提案にまで踏み込む私自身の軌跡を報告しておかねばならない。
私は昭和八年、一九三三年生まれ。あの戦争でアメリカと出会った最後の世代に属する。東京の小学校二年生で真珠湾攻撃、その四ヵ月後には東京初空襲のドゥーリットル機を見上げ、五年生のとき香川・善通寺で、グラマン戦闘機の機銃掃射にさらされ、最後には敗戦直前の七月十九日夜、疎開先の福井市でB29一二七機の「夜間無差別焼夷弾爆撃」を受けた。軍隊はおらず、対空砲火もなく、四発エンジンの巨大なB29は、白銀色の胴体を平気でさらしながら執拗に反復爆撃を行った。
北陸特有のベンガラ塗りの街並みが鮮やかな色を発して燃え上がるなかを、母親を中心に一家で郊外へと逃げ続けた。行き止まりの農道脇のさつまいも畑でひたすら伏せていると、大きな落下音と同時に、防空ずきんのうえに田んぼの泥水が雨のように降ってきた。命拾いの一瞬だった。B29が多用した集束型親爆弾がたまたま欠陥製品で、空中で開かず、そのまま水田に落下したからである。空襲が終わり、夜明けとともに、市内に引き返すと道路沿いは黒こげの死体の列。福井城の濠は男女の水死体で埋まっていた。通っていた旭小学校では、教頭先生と二六人の学友が命を落とした。
私はこの六年生、十二歳の原体験をバネに、いまもジャーナリストとして「アメリカという国」を追い続ける。一八五三年、黒船来訪で日本の近代化に決定的な影響を与えた国と、八八年後にはなぜ戦争を始めてしまったのか。この日米の「すれ違い」はいまも続いているのではないか──と問い続ける。そして、広島、長崎への原爆投下や、東京をはじめとする全国六七都市に対するB29の「夜間無差別焼夷弾爆撃」、さらには空母艦載機、艦砲射撃による約五一万に近い非戦闘員、つまり民間人の犠牲者に対して、きちんとした日米の鎮魂の儀式が行われていない、という事実にいつまでもこだわり続ける。厚生労働省の統計では「一般戦災死没者」と呼ばれる約五一万人の犠牲者は、もちろん靖国神社には祀られておらず、その社はどこにもない。
こうして私は昨年、『中央公論』九月号に「ブッシュ大統領にヒロシマで花束を手向けてもらおう──日米版『ドレスデンの和解』の提案」と題して発表した論文で、ブッシュ大統領に対し、次の訪日の機会に、この日本人の心の底に沈殿する「棘」を代表する広島の平和記念公園の地に立って、アメリカ大統領として初めて自ら花束を手向けてもらいたい、と呼びかけた。そしてこの「ブッシュの花束」の返礼と位置づけて、日本の首相が真珠湾のアリゾナ・メモリアルで献花、歴史も文化も違う日本とアメリカがここまで築き上げてきた、世界の歴史でも例のない特別な友好関係を新しい発展の土台に載せることを提案した。
私が日米間でこうした「棘」を抜く儀式が必要だと思うようになったのは、十一年前の一九九五年、たまたま出張していたワシントンでだった。ナチス・ドイツの敗色濃い一九四五年二月、アメリカ、イギリス連合空軍による無差別爆撃を受け、一般市民に三万五〇〇〇人の犠牲者をだし「ドイツの広島」とまでいわれたドイツ東部、ドレスデン市で、爆撃五〇周年記念追悼行事が行われ、ドイツ、アメリカ、イギリス三国が巧みに和解と鎮魂の儀式を果たすニュースに接したからである。
式典でヘルツォーク・ドイツ大統領は、「死者の相殺はできない」と言い切って、アメリカ、イギリスに対し、民間人爆撃の責任を認めることを言外に迫り、そのうえで、「文明の起源にまでさかのぼる人間感情の表現」である死者を追悼することで、かつての敵も味方も一緒になって「平和と信頼に基づく共生」の道を歩もうと述べて、「和解」の達成を宣言していた。驚いたことに、このヘルツォーク演説を聞くゲストの最前列には、米軍制服組トップのシャリカシュビリ統合参謀本部議長、イギリス女王の名代・ケント公らの姿があった。
同じころ、ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館では、戦後五〇周年を記念して企画された原爆投下機エノラ・ゲイ展示計画が挫折した。展示そのものではなく、広島約一四万人、長崎約七万人という原爆投下による死者の数を展示説明文に書くことに在郷軍人会や空軍協会が強く反対、不採用となり、館長が責任をとって辞任する騒ぎになったためである。
東京大空襲をはじめとする日本の都市への「夜間無差別焼夷弾爆撃」を立案し、実行し、そしてさらに戦後、「もし負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と自ら語っているカーチス・ルメイ将軍に対して「勲一等旭日大綬章」を贈っている日本の、ドイツとの落差を、どこかで埋めなければならない。あの戦争を知り、B29の「夜間無差別焼夷弾爆撃」を生きのこった一人として、以来、私は日米版「ドレスデンの和解」のテーマにこだわり続ける。
米紙寄稿とプレスリー余話
昨年の八月十六日付、米『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙オピニオンページに、昨年の『中央公論』九月号とほぼ同趣旨の論文を寄稿、直接アメリカ世論にアピールすることまで試みた。私の原稿を戦後六〇周年記念寄稿として論説主幹コラムのスペースに掲載してくれた同紙編集者は、見出しを「東京はドレスデンと同じ扱いを必要としている(Tokyo needs its Dresden moment)」とした。アメリカ人読者は、この見出しを理解するのだ──と私は改めてアメリカとドイツとの「和解」を実感することになった。
そして、八日後の八月二十四日付同紙投書欄には、日本関係の二つの投書が載った。一つは「アメリカも虐殺の責任を分かち合うべきだとの主張は、黒人にも南北戦争前の南部での黒人虐待の責任を共有させるべきだ、というのに似ている。真珠湾奇襲、バターン死の行進、南京虐殺などが触れられていない。ブッシュ大統領の広島での献花に代わって、小泉首相が『ソーリー、サンキュー』とだけいうべきだ」という私の寄稿への批判。もう一つの投書は私と同じ日に掲載されたベテランの外交コラムニスト、ジョージ・メロン氏のコラムに対するもので、六〇年前の日本の神風特攻隊とイラクなどでの自爆テロとを対比させて論じているのは間違いであり、神風特攻隊は軍事目標だけを攻撃したもので戦争犯罪ではなく、ジュネーブ条約にも違反していない。意図的に民間人をねらうムスリムのテロとは違う──と指摘していた。
投書欄編集者がバランスをとって投書を選択した感じで、二つの投書の上に「六〇周年にあたっての第二次世界大戦の遺産評価」と小見出しがついていた。私の寄稿の反論には、ヘルツォーク演説が拒否した「ナチが犯罪行為を犯したのだから、ドイツ民間人が死んでもしかたがない」との「相殺」の論理がむきだしになっていると思った。日本政府の謝罪と反省のメッセージなどは伝わっておらず、一般的アメリカ世論の素顔に触れた感じだった。
しかし、六〇年代までさかのぼる長年の友人を含め、ワシントン、ニューヨークのいわゆるパワー・エリートや東京の大使館を含めたブッシュ政権当局者の反応は前向きだった。ネオコンの友人も賛成のメッセージをくれた。ちょうど昨年十一月のブッシュ訪日前だったこともあって、アメリカ側で、広島献花が戦争終結六〇周年の政策オプションの一つとして検討されたことは間違いない。ある当局者は、今春、「実はクリントン政権時代の五〇周年に際し、大統領の広島献花が真剣に検討された。東京でも意見が分かれ、結局、踏み切るところまでいかなかった。昨年秋は、靖国問題での中国、韓国と日本との衝突が公然化していたこともあって、大統領の中国訪問、釜山でのAPEC首脳会議出席を控えたブッシュ政権としては、日本重視の基本姿勢にもかかわらず、詰め切れなかった。日本側からはなんの話もなかった」と、語っていた。
ここで、一つの重いエピソードを報告しておく。ブッシュ大統領夫妻とともに訪れたテネシー州メンフィスのグレースランド、つまりエルビス・プレスリー記念館でのプレスリーの物まねで全米に知られることになった七月初めの小泉訪米を間近にしたある日、ニューヨーク近郊に住むアメリカ人の友人から届いたメールに、こうあった。「小泉首相はグレースランドに行くそうだが、なせその後、真珠湾のアリゾナ・メモリアル(日本軍の奇襲攻撃で撃沈された戦艦アリゾナの残骸上に立つ犠牲者追悼施設)に足をのばさないのだろうか。なぜならアリゾナ・メモリアルは、一九六一年にプレスリーが興行収益六万五〇〇〇ドルという当時としては大変な額を寄付したことから、難航していた建設が軌道に乗り、一年後に完成した歴史を持つからである。アメリカ国民にとっては誰もが納得できる追悼の場でもあり、エルビスのゆかりもあるアリゾナ・メモリアルを小泉首相が訪れ、戦争の傷跡を消す努力をすれば、首相は二重の意味で歴史に名を残すのではないか」。
そして、私の『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙寄稿を読んでいたこの友人は、アメリカ大統領による広島献花実現のためにもと、小泉首相のアリゾナ・メモリアル訪問を強く求めていた。ちなみにアリゾナ・メモリアルに詣でた日本の現職首相はまだいない。
米中韓首脳との共同作業
私の新「信頼醸成」イニシアティブの提案は、こうしたアメリカ・メディアとの直接のかかわり合いを含めた自らの経験から学んだ教訓をもとに組み立てられている、といってもいい。
私が主張したブッシュ大統領による広島献花という日米間の「棘」を抜く儀式自体が、昨秋のブッシュ訪問時の経過からも明らかなように、靖国問題での中国、韓国との関係打開なしには実現しない状態が明らかになってきたからである。この点で、八月十五日の小泉靖国参拝後、米国務省マコーマック報道官が「日本の国内問題だ」と不干渉の立場を明らかにしつつも、「東アジアの国々が歴史と向き合い、認識の違いに対処することが重要だと考える」と述べ、日中韓三国をはじめとす�驛Aジア諸国が未来を見つめ、建設的かつ、「隣人らしい率直な関係」を構築することが大切だ、と述べたことは、こうした状況を裏付ける重要な発言だと思う。つまり日中韓三国のこれからの建設的な関係には、アメリカが祝福し、協力する用意があることを示唆したもので、逆にいえば、その新しい枠組みの中での「和解」の儀式には、アメリカも加わる、日本にとってはまたとない展開の可能性が出てきているのだ、と思う。
したがって、新首相には、まず中国の胡錦濤国家主席、韓国の盧武鉉大統領、ブッシュ・アメリカ大統領の三者に対し、それぞれの過去の「棘」をとるための相互献花という共同作業を行って、「和解」を再確認し、未来での協力を目指す新しい時代を築こうと呼びかけることを提案する。献花の場所は、それぞれの国民が納得する追悼施設であればいい。日本は人類最初の核爆弾犠牲者が眠る広島平和記念公園しかない。中国は北京郊外・盧溝橋の中国人民抗日戦争記念館、韓国はソウルの国立墓地、アメリカは真珠湾のアリゾナ・メモリアル──といったところだろう。期間を決めたり、限定する必要はない。
ただし、こうした呼びかけに応じる、賛成するとの意思表示はしてもらわねばならない。外交手腕の見せ所だろう。いずれにせよ、日本の新首相はその口火を切る意味で、なるべく早く外交日程のタイミングを合わせて、各地で最初の献花を行わねばならない。
献花の趣旨は、死者を弔うとの一点にしぼって「無差別爆撃」という「棘」を巧みに抜くことに成功した「ドレスデンの和解」の立役者、ヘルツォーク元大統領のテーゼをコピーすればいい。すなわち、「死者の相殺はできない」との論理で「歴史問題」への埋没を封じたうえで、死者追悼という「文明の起源にまでさかのぼる」行為によって、かつての敵も味方も一緒になって、共生の未来を目指そうという論理である。したがって、各首脳のスピーチもいらない。真摯な献花の行為だけで十分だろう。
しかし、忘れてならないのは、ヘルツォーク元大統領が、このドレスデンでの演説に先立ち、ドイツおよびドイツ人の戦争責任について明確に謝罪しているという事実である。「ドレスデンの和解」から約六ヵ月前の一九九四年八月一日、ナチス親衛隊(SS)以下のドイツ占領軍の武力行使により、約二〇万人の死者をだしたポーランド人による「ワルシャワ蜂起」五〇周年記念日、ワルシャワ市内の「ワルシャワ蜂起記念碑」前での追悼式典に、就任後初の外国訪問として参加したヘルツォーク大統領は、「われわれドイツ人が多くのポーランド人に与えた苦難を恥じ、許しを請います」と全面的な謝罪演説を行っていた。
日本の新首相がまず靖国参拝モラトリアムを行い、「植民地支配と侵略行為」への謝罪と反省を再度表明しなければならない、と思うのはこのためである。この手順を踏めば、昨年四月のジャカルタ談話で「中日両国が和すれば共に立ち、戦えば共に傷つく」として関係改善のための五項目を挙げ、双方の努力で日本との関係を「健全で安定した発展の軌道に乗せる」ことを希望している胡錦濤主席にとって、広島での献花を中国外交金体にとってのプラス要素ととらえ、初の訪日時に実行する条件は整うのではないか。盧武鉉大統領にとっても、靖国参拝モラトリアムへのコミットがあれば、同様の条件を作り出せるのではないか。
北朝鮮とロシアの参加も
私は、この北東アジアでの相互献花の共同作業に、やがては北朝鮮、そしてロシアにまで加わってもらうべきだ、と考える。北朝鮮との関係では、拉致問題という現在の「棘」のみならず、ミサイル連続発射、さらには地下核実験の観測も飛び出す緊張した状態にあるなかで、小泉外交が二〇〇二年九月の日朝平壌宣言を破棄せず、外交的には、ぎりぎりのところで切れていない状態を維持していることを、私は評価する立場である。
なぜなら、大局的には盧政権の北朝鮮に対する「太陽政策」が定着する方向となっている韓国内の空気に加えて、肝心のアメリカまでが、まったくの民間レベルでありながら、激しい対立の水面下で、IT関係の技術英語の研修というまさに未来志向の文化交流を北朝鮮との間で行っているという事実を知っているからである。つまり、小さな動きではあっても、日本にはない友好的な関係が進行している折から、日朝平壌宣言は日本外交にとってオリジナルな資産として大事にしなければならないと思うからである。
この米朝間のプロジェクトは、ニューヨーク北部のメソディスト系有力大学、シラキュース大学が平壌の理工系エリート校、金策工業総合大学との間で二〇〇三年来つづけている。反共で知られた雑誌王で、『タイム』誌の創業者であったヘンリー・ルース氏の遺産で運営するヘンリー・ルース財団などが資金を提供している。
その詳細は『中央公論』二〇〇四年三月号「アメリカが睨�゙『危機』後の統一朝鮮──水面下でつながる米朝関係」と、その後の、動きについては私のブログ「松尾文夫『アメリカ・ウォッチ』」でも書いているので、重複は避けたい。
しかし、このIT英語研修が昨年夏に引き続き、今年もまた七月二十九日から八月十九日まで北京のホテルで、北朝鮮から二〇人が参加して、アメリカから出掛けたシラキュース大学教授陣の指導を受けるかたちで実施された、という新しい事実は、報告しておかねばならない。
ミサイル連続発射後、日本も深く関与した国連の非難決議採択後に、そしてブッシュ政権が北朝鮮への金融制裁政策を続行するなかで、こうした米朝間の交流が堂々と行われている現実は、シラキュース大学グループが、ブッシュ政権に対して北朝鮮との直接対話再開を要請しつづけている上院外交委員会の共和、民主両党有力委員、そのスタッフと良好な関係にあることを知る私としては、日本が北朝鮮との関係で二年後の「ポスト・ブッシュ」の局面までにらんだ長期的な布石を考えておく必要性を強く感じる。朝鮮戦争の経験を除けば、日本との間のような不幸な過去のないアメリカと、北朝鮮とのふところの深い関係には注意を怠ってはならない。一九九四年のクリントン民主党政権下での核凍結などについての米朝枠組み合意以来の人脈は脈々と生きている。
したがって、過去の植民地支配についてもはっきり謝罪している日朝平壌宣言で、「信頼醸成」を図るための枠組み整備が重要との認識が明記されていることでもあり、広島と、平壌の「革命烈士陵」での日朝首脳の相互献花というイメージを描いておいても無駄ではないと思われる。行き詰まっている拉致問題の打開にも、こうした「信頼醸成」イニシアティブの延長で取り組む発想も捨てるべきではない。ちなみに、朝鮮戦争当時、あのルメイ将軍が戦略空軍司令官として、北朝鮮の都市やダム、農村地帯に無差別爆撃を行い、人口の二〇パーセントに相当する約二〇〇万人を死亡させた、と自伝に記録している。日本の都市への焦土爆撃の死者約五一万人をはるかに上回った数字であることも記憶しておかねばならない。
ロシアも、除外するわけにはいかない。北方領土問題、平和条約未締結交渉といった状況にもかかわらず、この北東アジアでの新たな「和解」のイニシアティブのなかで忘れるわけにはいかない「棘」がある。ロシアとの間では、あの大戦末期、日ソ中立条約を破棄して参戦した旧ソ連軍の旧満州への侵攻、およびその後の混乱のなかで推定二四万五四〇〇人(厚生労働省調べ)の日本人の生命が失われ、さらに日本兵捕虜約五七万五〇〇〇人をシベリアに長期間抑留、苛酷な強制労働のもとで、推定五万五〇〇〇人が死亡した事実が厳然として存在するからである。このことは、やはり、はっきり言っておかなければならない。
プーチン大統領には、広島のみならず、日本政府が一九九五年、ハバロフスク市に建設した総レンガ張りの正方形の「日本人死亡者慰霊碑」にも是非花束を手向けてもらいたい。旧ソ連を引き継いだロシアにとっては、「相殺」の論理は通用しない。ひたすら死者を追悼することで、相互献花という共同作業に加わることは、プーチンのロシア」にとって、国際的な勲章になるのではないか。
日本だけが蚊帳の外
こうして、まず第一段階として、アメリカから始まり中国、韓国、北朝鮮、ロシア、と相互献花による新「信頼醸成」を果たそうとする国々を詰めていくと、現在の北朝鮮核開発問題を巡る六ヵ国協議と同じ顔が並んでくる。私にはこの点が一番重要なことのように思える。長期的には、日本が「和解」再確認後、その経済力と技術力を生かして構築していかねばならない未来志向の協力体制のパートナーとなるはずの国々が、現在は北朝鮮核開発阻止というホットな課題で顔をそろえているのがこの六ヵ国協議の場だと捉えられるからである。本来なら、日本にとって一番のプライオリティを持つ外交舞台のはずだと思う。
現在、北朝鮮核開発問題を巡る六ヵ国協議がまとまる展望はどこにもない。八月末から本格化するイラン核開発を巡るアメリカ、欧州との駆け引きと連動しながら、長期化の形勢である。これに並行して、日本との国交正常化問題も、拉致問題の解決という入口で行き詰まっている。この点について楽観的な観測を振りまくつもりはない。
しかし、専門家でない私の目にも、現在、酸性雨、黄砂、海洋汚染などの環境問題、感染症サーベイランス、エイズ予防といった健康対策、そして石油消費国としての日中韓三国による北東アジアエネルギー協議機関(仮称)の設立構想が、緊急の対策として(財)日本エネルギー経済研究所から提案されているエネルギー対策──といった北東アジアの地域としてのサバイバルのための共通インフラの整備が、切羽詰まったところにきていることがわかる。にもかかわらず、日本の未来指向のイニシアティブは必ずしも果たされていない。
エネルギー問題でいえば、中国との東シナ海での石油ガス田開発での調整が難航しており、産油国ロシアとの協力も宙に浮いている。環境問題ではエチゼンクラゲ異常発生などで深刻化していると思われる日本海汚染対策で、日本海の名称を拒否し、東海と呼ぼうという韓国代表の主張で、協議の場そのものが立ち往生する場面が多いのだという。この結果、富山と釜山に事務所がある地域海としての日本海汚染対策グループは、国連の場では「北西太平洋地域海行動計画」という奇妙な名前で呼ばれている。こうした竹島問題にとどまらない韓国の強烈なナショナリズムは、経済力の裏づけを持ち、最終的には北朝鮮のそれと連動する可能性をあらわにしている。日本政府当局者は手をこまねいているだけなのが実情である。
そして、最近の北朝鮮の深刻な水害に対する中国、韓国からの緊急援助の動きに見られるように、またアメリカも、民間ベースとはいえ、シラキュース大学による金策工業総合大学に対するIT英語研修の継続が物語るように、「六ヵ国協議」なき「六ヵ国協調」が現実には進行している事実を見逃してはいけない。ロシアもこれに加わっている。そしてアメリカと中国の間には、政府間レベルでも、ニクソン訪中以来のしたたかな関係がある。二年後のポスト・ブッシュの局面まで含めて、気がついてみれば、日本だけが蚊帳の外といった状態を放っておいてはいけない。
私が、いま、新首相に、相互献花による新たな「信頼醸成」イニシアティブの発動を提案するのは、小泉靖国参拝が加速させたことだけは間違いない、こうした日本の北東アジアにおける事実上の孤立状態からの脱却が、急務だと思うからである。
回り道のようでも、やはり「信頼醸成」という根っこのところから始めなければならない。その意味で、皮肉なことに小泉靖国参拝は、日本外交に歴史的なチャンスを与えたともいえる。