『文芸春秋 1988/10』
一九六八年
松尾文夫
いまたけなわのアメリカ大統領選挙戦で、民主党候補のデュカキス・マサチューセッツ州知事が健闘している。そこで思い出すのが一九六八年の大統領選挙である。当時、ワシントン特派員として、共和党のニクソンが民主党のハンフリーを破ってホワイトハウス入りを果たす日々を取材した私には、デュカキスのリードで始まったことしの選挙戦が受け身の勝負の再現という点で、その二十年ぶりの続編のように思えるからである。あの年と同じように、アメリカの政治ならではの皮肉に満ちたドラマがまたみられるような気がするからである。
一九六八年という年は論じだしたら切りがない。すごい年であった。
年明け早々、南ベトナム各地での「テト攻勢」が、勝てないベトナム戦争の現実をアメリカ国民の前にさらけだした。反戦候補マッカーシー上院議員の運動が一気に盛り上がり、ニューハンプシャー州予備選挙でジョンソン大統領を事実上の敗北に追い込んでしまう。三月三十一日、そのジョンソンが再選出馬辞退、北爆部分停止─とそのワンマン政治の失敗を認めるのを待っていたように、あらゆる種類の亀裂がアメリカ社会を覆った。
キング師が暗殺され、黒人暴動がホワイトハウス間近で荒れ狂う。慌ててマッカーシーのあとを追いかけたロバート・ケネディがロサンゼルスでアラブ移民に射殺される。ケネディ兄から数えて五年間で三度目の政治暗殺だった。テレビの葬式中継がまた長々と続いた。民主党のシカゴ全国大会は、生中継のテレビの前で大乱闘を演じる。 十月のメキシコ・オリンピックでは、メダルを取った黒人選手が黒手袋をはめてアメリカ国旗と国歌の表彰を拒否した。コロンビア、バークレーと学生占拠が広がった。ヒッピー、フリー・セックス、マリファナがファッションの一部となった。「五月革命」が燃えさかるパリで始まったベトナム和平会談は、遅遅として進まなかった。民主党のハンフリー副大統領にとっては、北爆の無条件停止だけが唯一つの突破口だったが、「歴史の評価」を意識したジョンソンはなかなか応じなかった。
ニクソンは、この一九六八年に棹さすだけで、ケネディ兄に惜敗した一九六〇年の雪辱をとげた。「世界の警察官」を自認する強烈な使命感のあまり、ベトナム戦争のドロ沼にはまり込んでしまった民主党政治の自滅を前に、ただただ「法
と秩序」のスローガンだけを売り込んでいればよかったのである。受け身一本の勝負にかけた作戦であった。ニクソン当選の日、いまはもう廃刊しているワシントン・イブニング・スター紙のコラムニストは「蒼ざめた勝利」と評した。デュカキス健闘と聞いて、思い出すのはこのことばである。
あれから二十年、いまのアメリカにはあの激動はない。私はことしも二度ニューヨークとワシントンを訪れたが、あの年の追い詰められたような危機感と、狂ったような現状打破のエネルギーの痕跡を見つけるのは難しい。「強いアメリカ」、「小さな政府の政治」、「若者たちの保守化」──と八年間のレーガン政治を支えて来た土俵がどっしり腰をすえている。「レーガンのデタント」は四方八方に定着し、アメリカ兵の血は流れていない。経済も引続き好調で、不況の影はまだ見えていない。双子の赤字の深刻さは、一般のアメリカ人にはまだまだ遠い存在である。日本人の方がずっと詳しいし、心配しているといってもいい。
完全な白髪となったマッカーシーはことしも消費者党の大統領候補として立候補したが、もうだれも見向かない。アーリントン墓地で開かれたロバート・ケネディ暗殺二十周年の追悼ミサには一万人が集まった。しかし、ニューヨーク・タイムズ紙はなぜかこれを記事にしなかった。黒人と星条旗の間にはもうなんの違和感もない。各企業や自治体で魔女狩りのように進行する禁煙令のすさまじさに、あのころのラディカリズムをわずかにしのぶ程度である。
いまデュカキスは、狂乱の一九六八年のニクソンのように、この安定の一九八八年に棹さすことだけで勝利を手にすることをねらっている、と思われる。分裂と自己否定の民主党、レーガン人気依然上々の共和党、変革の年と自己満足の年──と条件は正反対でも、相手の力を利用する受け身の勝負への賭けであることでは同じである。デュカキスが民主党伝統のリベラル政治の再興には見向きもせず、あえてレーガン政治と同じ土俵にのぼっているのはこのためである。
本来ならこの安定の年とレーガン政治の実績の恩恵に一〇〇パーセント浴するはずのブッシュ副大統領が守勢に回り、無名に近かったデュカキスが緒戦で優位に立つ皮肉な展開がこの路線のしたたかさを立証している。いまや選挙の神様扱いのニクソンは大接戦を予測している。これからの選挙戦が面白い。
そして、日本にとって注意しておかねばならないのは、この受け身の勝利で登場したニクソン大統領が歴史的な対中和解、金ドル交換の停止──といったなりふりかまわない「競争者」としてのアメリカへの変身を演出したという事実である。怖いのは受け身のアメリカのリアリズムである。