識者評論「サイゴン陥落30年─インドシナ現況」
◎戻ってきた「アメリカ」それを利用するしたたかさ
松尾文夫(ジャーナリスト)
一九七五年四月三十日のサイゴン(現ホーチミン)陥落で、米国のイン
ドシナ軍事介入に終止符が打たれてから三十年。三月下旬、カンボジア・アンコールワットの門前町、シエムレアプで開かれた国際会議に招かれたのを機会に、ホーチミン、ハノイ、ディエンビエンフー、プノンペン、バンコクと回った。三十年ぶりの旅では、いたるところで、あっけらかんと戻ってきた「アメリカ」と出合った。
私は七五年の五月まで三年間、共同通信の特派員として、物量を誇る米軍と親米政府軍がベトナムやカンボジアの「人民の軍隊」に敗退する現場を、バンコクを基地に、取材した経験を持つ。当時、ハノイ、ディエンビエンフーは、はるかかなた「敵側」にあった。
シエムレアプを含むアンコールワット全域は、クメールルージュ(後のポルポト政権)の支配下にあり、近づくことさえできなかった。
それだけに、今回訪問したハノイをはじめベトナム各地で、社会主義の下でのアメリカ流市場経済の実践を目指す「ドイモイ」(刷新)政策が定着し、旧敵「アメリカ」をしっかり抱え込んでいる姿に接して、いささか拍子抜けした。
ドル札はどこでも通用するし、ホテルではCNNが見られる。タンソンニャット空港にはサンフランシスコからユナイテッド航空の直行便が飛来していた。アオザイ姿が消えた街角には、ネットカフェもあった。
米国の枯れ葉作戦の後遺症問題を報じる国営英字紙の記事も、冷静なトーンで貫かれ、ホーチミン博物館での対米戦争展示部分は、抑制がずいぶん効いていた。旧サイゴンの戦争証跡博物館の新館工事もストップ。五四年五月、フランスの植民地支配にとどめを刺したディエンビエンフー戦跡の方が立派に保存され、黄金色の巨大な戦勝記念碑を建設中だった。
この戦いの英雄、ボーゲンザップ将軍も九十四歳ながら健在で、「いまや祖国の繁栄が第一だ」とドイモイ路線の指示を表明した。
インドシナ戦争で敗れた米国は東西冷戦で勝利し、いまや全世界で市場経済のグローバリゼーションを主導する。そうした現実と共生することで経済立国を果たし、同時に、七九年には戦争までした中国への抑止効果を確保せんとする。そんなベトナム指導部のしたたかさを肌で感じた。
かつて、ベトナムは米国内に反戦世論という「第二戦線」を構築することに成功し、ジョンソン民主党政権を手玉にとった。故ホーチミン主席の腕前は間違いなく、現指導部に継承されている。
昨年度、ベトナムの対米輸出は繊維を中心に大きく伸び、それまでの日本を抜いて第一位の実績を記録したという。ハノイで「社会主義」を実感したのは、市内中心部にレーニン像がきちんと維持されているということぐらいであった。
プノンペンに入ると、ドル札やCNNに加えて地元英字紙に、ニューヨーク・タイムズ紙の記事が配信されており「アメリカ」は、さらに近くなる。空港の入国審査には、米国で高層ビルに入るときと同じ写真撮影システムが導入されていた。
観光客であふれるアンコールワットの門前のシエムラプでは、国際チェーンのホテルが増え続け、さながら国際観光都市といった感じだった。
(共同通信配信)