2010_03_オバマ政権一周年と日米関係 ──それぞれの危機──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

オバマ政権一周年と日米関係

—それぞれの危機—

 

ジャーナリスト 松尾文夫

 

 

 新年早々、また厳寒のワシントンを振り出しに、ニューヨークから、温暖なサンフランシスコへ—とアメリカを一回りしてきた。サンフランシスコでは、まぶしい太陽の祝福を受けながら、スタンフォード、バークレーの両キャンパスも訪問、グーグルやアップルを生みだし、インターネット時代の世界をリードするカリフォルニアの大地と人の豊かさをかみしめてきた。

 しかし、旅の結論は暗いものとなった。ちょうど政権担当一周年を迎えた史上初の黒人大統領、バラク・オバマが一年前の華々しい船出の熱気とは対照的な、苦しい受身に追い込まれていたからである。そして、その中で日本との関係にはぽっかり穴が開いていた。

 

 

「ティー・パーティー」運動の脅威

 

 帰国直後、このオバマの苦境を象徴するようなニュースが流れた。投票日直前のオバマ遊説にも�ゥかわらず、民主党が故エドワード・ケネディ後継の上院議員を選ぶマサチューセッツ州補欠選挙で共和党候補にまさかの大逆転を許してしまったからである。同州はケネディ家の牙城で、一九七二年以来共和党の上院議員は当選していない。しかもこの結果、民主党は上院で共和党の議事妨害を阻止するための六〇票を失うことになり、注目の医療保険改革法案の成立が宙に浮く可能性など、今秋の中間選挙戦が一気に前倒しされてしまうこととなった。

 このショッキングな敗北の原因は、突き詰めると、オバマ大統領が過去一年、目玉政策として推進してきた医療保険改革に対する国民的な不人気である。リーマン・ショック克服のための大規模な景気刺激策にアフガニスタン戦争の負担増も加わり、財政赤字が空前の規模に膨れ上がる事態を前にして、結局は近い将来の増税が不可避なのではないかとの恐怖感がアメリカの国民の間に広がったためである。

 具体的には、昨年夏、共和党保守派が中心となって全国的な草の根運動として展開することに成功した「ティー・パーティー」運動が、起爆剤の役割りを果たした。

 アメリカ建国期の一七七三年、イギリス政府の課税強化に反発し、東インド会社から運ばれ、課税される紅茶三四二箱をボストン湾に投げ込んだ故事にちなんだもので、民主党保守派、さらには二〇〇八年のオバマ勝利に貢献した中間層まで巻き込んで勢力の拡大が続いている。今度の大きな勝利もその結果で、既にフロリダ州、ネバダ州などでも、両党中道派の大物現職に対して「ティー・パーティー」候補が立候補、善戦が予想されている。

 つまり、就任以来、超党派の支持を集めることで「アメリカの第二の建国」を果たそうと呼びかけてきたオバマ路線が、皮肉にも一年たった時には、反増税、国民皆保険などへの連邦政府の介入反対というアメリカ建国以来の価値観の高揚に足をすくわれる状況が生れてしまっているわけである。オバマ大統領自ら年頭の雑誌「ピープル」とのインタビューで「一年たって、国内の分裂だけが残って、私の志は達成できなかった」と認めている。

 しかも頼みの中間層を「ティー・パーティー」運動に浸食された一方で、本来の民主党主流であるリベラル派、ハト派、さらには黒人始めマイノリティーの間では、しらけムードが漂う。アフガニスタン戦争を「正しい戦争だ」と位置付け、医療保険改革法案でも保守派への譲歩を繰り返す「オバマ超党派路線」にはついていけないからである。

 今、オバマ政権は、一にも二にも失業率低下に突破口を期待するしかないぎりぎりの守勢に立たされる「構造的な危機」にさらされている。

 

 

脆さが露出する日米関係

 

 日米関係の危機の方も、なかなか表面には現れない点で、深刻である。ワシントンは、内心では、沖縄普天間基地移転問題をめぐる鳩山政権の「決定先送り」のスタイルにとまどいながらも、公には政権交代という日本民主主義の成熟を歓迎し、鳩山政権の主張通り「時間をかけての再検討のプロセス」を受け入れる姿勢で一致していた。民主党政権が社民党を政権内に抱えながらも、安保体制—日米同盟の大枠そのものは是認する方針を打ち出したことでもあり、「五月末の期限厳守」で普天間基地移転問題のケリがつけば、「正常化」は十分可能との立場である。

 しかし、ここでも「構造的な危機」を肌で感じた。例えば、過去十数年来、日本からアメリカへの留学生が減っているという。米側シンクタンクの資料によると、一九九八年に四万七〇九七人だった日本人留学生は、二〇〇八年には三万三九七四人に減り、現在はこの傾向に拍車がかかっているという。これに比べてインド、中国、韓国からの留学生は日本のほぼ倍の規模に増え、大学院生となると日本はインドの十分の一、中国の八分の一となる。逆に有力ビジネススクールでは、「なにも質問しない、覇気のない」日本の大企業や官庁などからの派遣学生お断り、というところも出てきたという。

 ワシントンでは、経団連がなぜか昨年ワシントン駐在事務所を閉めた理由が、ニューズウイーク、タイム両誌の東京支局閉鎖の話題と一緒に、「いまやわれわれはワシントンの少数派だ」と自嘲的な知日派たちの間であれこれ論じられていた。つまり、日米間の相互理解のチャネルそのものが細くなっているという現実である。

 明るい話としては、新任のルース駐日米大使が極めて冷静、的確で、日米間の様々な「対話」からの再スタートを説いていることと、オバマ大統領が広島訪問に前向きの発言を続けていることぐらいである。日米首脳による真珠湾、広島での相互献花を手始めに近隣諸国まで含めた歴史的和解の現実を提案し続ける私としては、十一月にAPEC首脳会談で来日するオバマ大統領の広島訪問はぜひとも実現させねばと思う。

(2010年2月3日記)

© Fumio Matsuo 2012