2004_09_「アメリカという国」を考える(その二十一) ──同じ土俵に上った民主党──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢栄一記念財団 機関誌「青淵」(二〇〇四年九月号)

 

「アメリカという国」を考える(その二十一)

 ──同じ土俵に上った民主党──

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

 ボストンで開かれていた民主党全国大会でケリー、エドワードの正副大統領候補が正式に決まり、米大統領選挙戦は、十一月二日の投票日に向けて、また一つ日程をこなした。

 この機会に、かつてない党内の団結を維持して、ホワイトハウス奪回を目指す民主党側の分析をまとめておきたい。

 

 

 目立つ "軍国ムード"

 

 こんどの民主党全国大会の最大の特徴は、イラク対策からテロ対策まで含めた、いわゆる「国家安全保障問題」と総称される一番ホットなテーマについて、ケリー民主党がブッシュ政権と「同じ土俵」に上って勝負する道を選択した、ということだと思う。「私はイラクでわれわれがなにをしなければならないかを知っている。われわれは同盟国を味方につけ、重責を分担してもらい、アメリカの納税者の負担を減らし、アメリカ軍兵士の危険を少なくしてくれるような信頼性を持つ大統領を必要としている。

 同盟国との関係を再構築し、テロリストがわれわれに行動を仕掛ける前に彼らをとらえねばならない。私はかつて若者としてこの国を守ったように、大統領としてアメリカを守る。必要とする時には、武力の行使を決してちゅうちょしない。いかなる攻撃に対してもじん速かつ確実な対抗措置をとる。

 私はアメリカの国家としての安全のためにはいかなる国、いかなる国際組織の拒否権も認めない。私は強いアメリカの軍事力を構築する。現役部隊を四万人増強する。これはイラクのためではなく、拡散しすぎ、重責にあえぐアメリカ軍事力を強くするためである。テロと戦う作戦のために特殊部隊は倍増する。われわれの部隊には、彼らの生命を救い、戦闘に勝利を収めるため、最新の兵器を提供する。州兵・予備役を使った裏口からの徴兵をやめさせる。アメリカ軍の将兵には、いま救いの手が届こうとしている、と言いたい」。

 長くなったが、ケリー民主党大統領候補が指名受諾で行なった演説の一節である。ケリー候補は登壇直後、「ただいま出頭しました」と軍隊用語であいさつ、アメリカ海軍流の敬礼をしてみせた。前日のエドワード副大統領候補の演説では、ケリー候補の「ベトナム戦歴」を手放しで礼賛する「軍国ムード」がさらに目立った。

 

 

 吉と出るか凶と出るか

 

 「約三十年前、ケリー候補は大学卒業後、ベトナム参戦を志願、快速パトロール艇の艇長という最も危険な任務に就き、川に落ちた戦友を救うため、敵の銃撃下、一瞬のためらいもなくパトロール艇を引き返させ、敵を鎮圧しながら無事救出に成功した。彼自らも負傷した。この勇敢な行為で勲章をもらった。果断と強さ、アメリカ国民が最高司令官に求める素質ではないだろうか。国に奉仕するために志願し、仲間を救うために、自らの生命を危険にさらす。ケリー候補はまさにこの「アメリカの価値」を代表する人物である」──といった具合である。このエドワード演説では、アルカイダに対して「逃げることは出来ない。隠れる ことは出来ない。われわれはあなたたちを撃滅する」と高飛車の挑戦がたたきつけられている。

 そして、ボストン全国大会では、イラクからの撤退の主張が徹底的に脇に追いやられた。エドワード・ケネディ、ハワード・ディーンら、かねてからのイラク反戦論者の演説では、この点での「自己規制」が目立った。強烈なブッシュ批判で驚異的な興行成績を上げている映画「華氏911」の監督マイケル・ムーア氏もカーター元大統領の招待で大会場に姿をみせただけで、大会での発言は一切認められなかった。周辺のホテルでの集会で、「ケリーよ逃げるな」と毒舌を飛ばすだけだった。ケリー候補のマサチューセッツ州副知事時代の知事で、一九八八年の民主党大統領候補者でブッシュ・シニアに完敗したリベラル派のデュカキス氏にいたっては、会場にさえ入れてもらえなかった。

 そして、この党大会での発言や運営でばっさり切り捨てられていたのが、ケリー候補がベトナムから帰還後、ベトナム反戦運動に転じ、七一年の上院外交委員会で、ベトナム戦争および現地アメリカ軍の非行を糾弾した有名な証言の一幕である。ケリー、エドワード両候補はもとより、大会発言者の誰もがこの「実績」に触れなかった。ケリー候補もその受諾演説を「メコンデルタでのパトロール艇長としての仕事でさまざまな人種、背景を持つ人々と同じ船に乗ることでアメリカの価値を実感した。こうしたアメリカを私は大統領としてリードしたい」とそのベトナム経験を強調して結んだ。しかし、マスコミの注目を集め、地元マサチューセッツ州のケネディー家との関係も深まり、やがて副知事、上院議員、大統領候補──と出世の階段をのぼる登龍門となったあの「ベトナム反戦活動」には見事なまでに触れなかった。

 つまり、これはイラク戦争とフセイン排除というブッシュ政権が残した「九・一一」以来の実績を事実上容認し、その軍事的、外交的実行において、ブッシュ大統領にはない「ベトナム戦争体験」を 軸に、より効果的、賢明、かつスマートな指導性を発揮できる、とのメッセージの発信であった。イラク戦争をその理由や口実は二の次にして、テロとの戦いの「先制攻撃」だとして正当化し、第二次世界大戦や東西冷戦の苦難の時期に例えて国民の支持を訴えるブッシュ路線、私が昨年一月号以来、本欄で触れている「中央突破作戦」と同じ土俵に乗ったことを意味する。

 そのうえで、ブッシュ政権の「ミスマネージメント」や「ミスリード」を批判することで八年間のクリントン政権時代に戻って来ていた保守的な「リーガン・デモクラット」の支持を固め、主権委譲も治安の維持もままならないイラク現地情勢やここに来て伸びが鈍って来た景気動向、ガソリン価格再上昇──といったブッシュ政権側の「自滅」にかけようという戦略である。

 私は七五年のサイゴン陥落までの三年間、ベトナム戦争の末期を取材した経験がある。ケリー艇が活躍したというメコンデルタでもぼろぼろに傷ついたアメリカ軍に接している。

 それだけにかつての自らのベトナム反戦活動の総括を避けて、あえてブッシュ共和党と同じ土俵の上に乗り、その「失策」に活路を見出そうというケリー戦略に、共和党側は、八月末のニューヨークでの党大会でいかなる反撃にでるのか、そしてアメリカ国民がどのような評価を下すのか、心して見守りたい。

(八月四日記)

© Fumio Matsuo 2012