説苑   松尾文夫氏の提言に賛同する内悧(61歳)

広島県広島市・会社員

 

 今年の夏、広島では被爆六〇周年記念式典が執り行われた。小泉首相も参列した中で、広島市長の平和宣言が読み上げられた。六〇年というと、人間の年齢では還暦の節目の年である。私自身、生まれて一年後に被爆した。私は幸いにして、この年まで生き長らえているが、親族には一家全滅したものもいるし、今なお被爆の後遺症に苦しんでいるものもいる。

 式典の模様をテレビ中継で見て、何か割り切れないもやもやした情念が体にまとわりついてならなかった。この時期、広島では被爆証言が堰を切ったように溢れ出る。あの日、虫けらのように、一瞬にして被爆死させられた被害者のほとんどは、学生・老人・女性・子供といった非戦闘員であった。その数は二〇万人を超えるとも言われる。長崎の死傷者も一〇万人を超えており、日本の敗戦が決定的になっても続けられた、米軍の執拗な焼夷弾爆撃でも、多くの非戦闘員が殺戮されている。

 考えてみると、私のもやもや感は、米国を中心とする旧連合国側の哀悼の意がまったく示されていないことから生じているようだ。それだけに本誌九月号の松尾文夫氏「ブッシュ大統領にヒロシマで花束を手向けてもらおう」には諸手を挙げて賛成する。

 第二次世界大戦において日本と同じ枢軸国であったドイツで、大戦末期、その美しさをたたえられたドレスデン市が連合国軍に絨毯爆撃された。街は壊滅し、多数の市民が死んだ。そのドレスデンで旧連合国の米英などから政府や制服組の代表も参列して手厚い鎮魂の儀式が行われたと知って、驚いた。

 日本は憲法第九条の規定に抵触する危険を冒してまで、イラクに自衛隊を派遣し、安保条約で国内における米軍基地の存在を容認しているのに、被爆者や非戦闘員の死者に対して米国側から哀悼の言葉など受け取っていないのである。そればかりか、あの空襲や原爆投下は真珠湾攻撃への正当な報復だとする考えが、今も米国内では根強い。

 とにかく、かつての敵国である米国などから、哀悼の意が示されないことには、原爆で亡くなった人たちの怨念はいつまでも残り、その魂も漂ってばかりだろう。空襲で亡くなった人たちの霊も同様だ。小泉首相は日本の指導者であるのなら、靖国参拝ばかりに拘泥することなく、「盟友」のブッシュ大統領に広島の平和記念公園に来てもらい、花束を手向けてもらったらどうか。それが実現してこそ、無残にも生命を奪われた人たちの無念さが晴らされることだろう。

© Fumio Matsuo 2012