『文芸春秋 1998/12』
クリントンとニクソン
松尾文夫
「あれだけセックス・スキャンダルにまみれながら、クリントン大統領はなぜ高い支持率を得て生き延びることが出来るのか」
最近友人と会うたびに必ずといっていいほどこう聞かれる。私がケネディ当選の一九六〇年を新米の共同通信外信部員としてカバーして以来、米国を追いかけ、六〇年代後半と八〇年代前半の二度にわたってワシントン特派員として勤務したこと、さらにここ十数年は米国の金融情報産業と組んで仕事をしており、ニューヨーク、ワシントンへの出張が多いことを知っての質問である。
私はこう答えることにしている。「クリントンがあのニクソンと赤い糸で結ばれていると考えると、一番理解しやすいのです」。
奇しくも下院が大統領弾劾調査を開始するのは、七四年のニクソン大統領以来二十四年ぶり。因果は巡るとはこのことだが、クリントンのサバイバル・ゲームのルーツは、そのニクソンが大統領に当選した六八年にさかのぼる。
この年は、米国の政治がはっきり変わった年だった。「世界の警察官」という使命感でケネディ、ジョンソンの二代にわたってベトナム軍事介入を拡大してきた民主党政権が立ち往生、代わって「米ソ中欧日の五極のなかの一競争者としての米国」への変身に徹するニクソン共和党政権が登場するからである。
キング師とロバート・ケネディの暗殺もあって、反戦デモと黒人暴動が全国で荒れ狂った。これを待っていたかのように、徴兵忌避、大学占拠、ウーマンリブ、ヒッピー、フリー・セックス、ゲイパワー、そしてブラックパワーと既成の価値に挑戦するカウンター・カルチャー運動が全米を覆う。米国社会全体が一種の騒乱状態となる、旗を振ったのは、ちょうど青春期を迎えた米国版団塊の世代、いわゆるベビーブーマーたちである。当時二十二歳のクリントンは間違いなくその一員であり、徴兵忌避の実績も持つ。
しかし、この年のドラマの本当の主役は学生でも黒人でもなく、騒乱状態を黙ってみていた白人中産階級だった。ニクソンは、自らを救ってくれたニューディール政策の恩恵を忘れて保守化したこの中産階級に的を絞り、「法と秩序の回復」だけをスローガンにホワイトハウス入りを果たす。この時、反学生、反黒人、反大都市、反東部、反連邦政府で結ばれた幅広い中産階級連合は、それまでのリベラル派に代わって、以後現在に至るまで米国政治の新しい主流派となる。
ニクソンは自ら「沈黙の多数派」と名付けたこの新主流派のエゴイズムに棹をさし、ベトナムからの名誉ある撤収を求めて歴史的な米中和解に踏み切り、世界を変える。さらにこのニクソン路線の延長で、レーガン、ブッシュと続く十二年間の
共和党政治の時代が生まれ、米国は東西冷戦に勝利してしまう。
クリントン大統領はこの六八年という年のアイロニーの落とし子であることを忘れてはならない。
九二年のクリントンの当選自体、共和党亜流の政策で中産階級票を民主党へ奪回することに成功したおかげだった。しかも、共和党も顔負けの緊縮政策で財政赤字の解消という米国経済積年の課題を克服し、好況を維持しているとあっては、主流派としての中産階級のクリントン支持がなかなか揺るがないのも当然といえる。ウォール街の旧友は「議会の弾劾論議の行方はこれからの景気次第」と割り切っていた。
いまや五十二歳のクリントン大統領とともに、あのカウンター・カルチャー運動の旗手たちは、そのままベビーブーマー世代の一部として米人口の多数派となり、そしてますます利己的になる中産階級の中核に位置している。従ってクリントンがいま大統領として君臨しながらも、根っこには反ワシントン、つまり政府の権威を認めない精神を持ち続けていたとしてもおかしくない。問題の大統領執務室周辺での行為自体、ホワイトハウス蔑視の潜在意識との関係でしか説明できない、と九月のスター報告公表直後、ニューヨークのホテルでたまたま再会したレーガンホワイトハウスの元高官が嘆いていた。
しかし、同時に今度のセックス・スキャンダルや「ウソ」についての世論の寛容度、特に女性からの反発の少なさは、こうしたベビーブーマー世代のクリントン夫妻への共感と無縁ではない。この辺が東部を中心とする有力マスコミを敵に回したところまではニクソンと同じでも、辞任まで容易に追い込まれそうにないクリントンのしたたかさの原点であり、過去三十年の米国の変容の証しでもあろう。
ワシントンのスター報告書が山積みされている本屋の奥で、一九六九年のベストセラー『カウンター・カルチャーの形成』の著者、セオドア・ロザークの新著『アメリカ・ザ・ワイズ』を見つけた。ロザークはこの中で人種の融合、女性の地位向上などカウンター・カルチャー運動から新しいエネルギーを取り込んだベビーブーマー世代の成熟を礼賛、これを高齢化する米社会再生のカギと位置付け、これまでの老人達とは異なる「ニュー・ピープル」と名付けて二十一世紀での活躍を期待している。
クリントン夫妻は、当然この「ニュー・ピープル」のリーダーということになる。米国という国のエネルギーの怖いところである。