2004_02_「アメリカという国」を考える(その十五) ──ドイツとの違いを認識しよう──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢青淵記念財団竜門社

機関誌「青淵」(二〇〇四年二月号)

 

「アメリカという国」を考える(その十五)

─ドイツとの違いを認識しよう─

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

 二〇〇四年年頭、陸上自衛隊のイラクへの出発を前に、「アメリカという国」と日本との同盟関係についてとくと思いをめぐらせる時、強く感じることがある。「アメリカという国」との関係におけるドイツとの違いである。改めてきちんととらえておかねばならないことだと思う。

 私がこのテーマで報告する気持ちになったのは、ブッシュ大統領が、難航するイラクでの「ネーション・ビルディング」に対する米国民の支持と理解と忍耐を呼びかける最近の演説のなかで、しきりに日本とドイツの国名を並べて触れるからである。つまり、イラク民主化の歴史的な価値を強調するなかで、その成功例として第二次世界大戦後の日本とドイツにおける民主主義定着の実績を懸命にPRしているからである。前号でも触れた再選を目指す「中央突破」戦略表明の場となった二〇〇三年十一月六日の「民主主義のための国家基金」二十周年の演説でも、この点をはっきり折り込んでいる。

 

 

 イラク・日本・ドイツ

 

 イラクでの「ネーション・ビルディング」の試練を、大戦直後、旧ソ連が旧東ドイツ内に位置したベルリンに対して強行した陸路による封鎖措置を、最盛時には九十秒に一機という輸送機の大動員で二百万トンを越す食糧や燃料を供給して一年後には解除させてしまった「ベルリン大空輸」にたとえて、米国民の協力を訴える論理の前座として、日本とドイツの民主化成功をそのお手本としで位置付けている。

「イスラムの伝統は代表制政治となじまないとして、中東民主化の価値に懐疑的な人がいる。日本降伏の直後にも、日本問題専門家の一人は、日本では民主主義は決して根付かないと断言した。同様にヒットラー後のドイツでの民主主義の展望にまったく自信が持てないという専門家もいた。いま米軍や多国籍軍がイラクの民主化成功のための困難な任務で犠牲を払い、中東の心臓部に自由なイラクを樹立することは、世界の民主主義革命にとって、一時代を画す出来事となる」──といった具合である。

 ブッシュ大統領は昨年十一月十九日、ロンドンを公式訪問した際のホワイトホール宮殿での演説でも、「イラクの民主化は第二次世界大戦後のドイツ、日本占領時を上回るスピードで実質的な成果を上げている」と述べて、その同列化に余念がない。

 しかし、この日本にとって一見、耳ざわりがいいブッシュ発言は、現在の日本とドイツとの同盟関係の違いをかみしめるきっかけとしなければならない。

 周知のように、ドイツはアフガニスタンには、国際治安支援部隊(ISAF)の一員として連邦軍を派兵しているにもかかわらず、アメリカの対イラク武力行使に対しては、最初からフランスとともに一線を画し、昨秋の新国連決議以降もこれまでのところイラク占領の多国籍軍には派兵の動きをみせていない。現行憲法を最大限拡大解釈して、特別法までつくって自衛隊派遣に踏み切り、「同盟国としてのあかし」を示そうとしている日本との差は明らかである。

 いま日本にとって一番必要なことは、ともにアメリカの占領下で「民主主義」が根付いたことだけは間違いないドイツと「アメリカという国」との関係を改めて理解しておくことだ、と思う。

 ドイツとアメリカとの間には、一八五三年、つまり百五十一年前のペリー艦隊の来航とともに始まった日本とアメリカとの関係とは比べものにならない歴史の積み重ねがある。ドイツ人は、イギリス植民地時代に年期契約移民として新大陸に渡り、アメリカ独立戦争時にはイギリス国王側の傭兵として戦った。そしてその多くが独立後は残留してアメリカ建国をになった。こうした過去は、やがて同じ白人という人種的なきずなにも助けられて、第二次大戦開始直後、強制収容所に隔離されたのは日系市民だけで、ドイツ系市民には一切及ばなかったという、いま日本がとかく忘れがちな、アメリカとの関係での歴史的な恥部へと発展する。日米民間交流に晩年を捧げられた渋沢栄一氏が「そんなバカな」と涙を流した排日移民法は、その前段であった。

「枢軸」仲間としてアメリカと戦い、敗れた時期を比べても、ナチ党の存在、ホロコーストの実行、ヒットラー自殺、東西分割占領──とマッカーサー占領下での「戦争責任」のとり方、とられ方と、日本との違いを上げれば切りがない。

 

 

 日本でも「ドレスデンの和解」を

 

 しかし、最大の違いは、ドイツがアメリカやヨーロッパ諸国との間で、いま日本がいぜんとして中国や朝鮮半島との間でかかえているような「歴史問題」の清算をはっきり済ませている、という事実である。過去の「傷口」を閉じているという事実である。

 ワシントンのど真ん中、ホワイトハウスや日本寄贈の桜の名所で有名な、ポトマック公園ともそう遠くない一角にアメリカ政府がつくったホロコースト博物館が位置する。そこでは常時、「ナチの犯罪」がさらけ出され、告発され続けている。

 その一方で、三月十日の東京大空襲や広島、長崎と同じような非戦闘員無差別爆撃で多くの犠牲者を出した古都ドレスデンでは、戦後五十周年記念の一九九五年、当時のアメリカ軍統合参謀本部議長ら米英の制服組トップ、イギリス女王名代も出席した「和解」の追悼式典を行っている。当時のヘルツォーク・ドイツ大統領はここで、「ナチの犯罪と非戦闘員の犠牲を相殺する論理は受け入れない」と演説、暗に旧連合国側にも民間人殺害の非を認めさせる、過去との清算を巧みに果たしている。

 今回の「同盟国」としての自衛隊のイラク派遣は、すくなくとも日本がこうしたドイツと米英との「ドレスデンの和解」のように、東京大空襲、広島、長崎の「傷口」を閉じるアメリカとの間のケジメを終えたあとで行われるべきだった、と私は思う。しかし、日本はその前に近隣諸国との「歴史問題」を閉じねばならない。重い気持ちが晴れない新春であった。

 

 

(注)私はこの大きなテーマについての問題提起を、二月四日に小学館から出版される『銃を持つ民主主義─「アメリカという国」のかたち─』と題する著書の冒頭と巻末で行った。ご高評いただければ幸いである。

© Fumio Matsuo 2012